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息する深海魚



氷室学級。学内の者ならば誰もが知る氷室零一のクラスがある。

評判は悪くも良くもなく、彼のクラスになりたがる者もいるが、氷室のクラスでなくて本当に良かったと思う者が大半を占めているだろう。
理由を言うならば様々だが、大抵の生徒は口をそろえてこう言うのだ。
“氷室先生、怖い”と。




氷室学級の一人である小波なみこは絶望を味わっていた。休み時間の騒がしい教室のなか彼女だけが異空間に存在しているような顔をして机の上に突っ伏し、目だけは白い紙へ向けられ、更には眉間によった皺。これを見て誰が近寄りたいと思うだろうか。


定期的に行われるテスト。はばたき学園は全ての順位が大々的に公表されるという今時珍しいシステムになっている。
それから勿論、赤点三つ以上の者には補習が待ち受けているのだ。
なみこは今朝、順位の張り出される渡廊下へと足を運んだところ、見事に三つ程数字が赤い色をしていた。

ここ最近、成績は良い点を取っていた。まあ、氷室から言わせればもっと上を目指してほしい点数なのだろうが、何故か今回は誰が見ても酷いと言えるだけの点を取ってしまい、今この状態になっていたのだ。

(先生に何て言えばいいんだろう・・・。)

なみこは、氷室を教師としてとても尊敬していた。確かに、アンドロイド教師と言われるだけあって厳しく、冗談さえも全く通じないせいか好かれる事はほとんどない。
しかしなみこは違った。氷室が怒るには勿論理由があるし、頭ごなしに怒る訳でもなくそれには常に正しい言い分がある。そう、彼は“生徒の為”が常に最優先されているのだ。尊敬できる教師として十分だった。


「なみこ!見たよー赤点やっちゃったねぇ。こっちの世界へようこそ〜。」
「うるさい。なっちんは赤点なかったの?」
「ん?まー、一個だけ。」

友人の一人、藤井奈津実。彼女にとって勉強はあまり、いや、とても苦手なものだった。
勉強?そんなもんするんだったらおしゃれするわ、とでも言うように肝の座った性格の持ち主で、いつだったか彼女は、氷室本人が居るそばで補習さえなければ何点だっていいと発言した強者であり、それを聞いて呆れたのを今でも思い出せる。勿論、氷室にはこってりお説教されていたのだが。
ただ、そんなサバサバした性格の奈津実だからこそなみこは彼女をとても気に入っていた。勿論、口には出さないが。

「でも珍しくない?いつもいい点だったアンタがいきなり補習組の一員だなんて。確か20位前後にはいつも居たよね?」
「ぐっ…。ま、まあね…。」

今回の敗因は、分かっている。こんな理由は氷室に通用しないし、隠しておきたい事実なのだけれど。

まぁ、ただの勉強不足だ。
勉強も大切だが、やはり交友関係や部活、やりたい事がありすぎてしまい、結果勉強をしていないと気付いた時はテストが目の前に迫っていた。

ただ、今までが好成績だったためにいきなり赤点三つは取るはずがないと思っていたのだけれど、範囲が新しかったというのがある、が、実は。

「は?何これ。解答欄ずれてんじゃん。」

奈津実の声が、なみこの頭にガンガンと響いた。




――

「小波」
放課後。何もなかったように時間はすぎ、奈津実の「ケーキ食べて行かない?」の誘いも断り帰り支度をしていた時、担任の氷室から声を掛けられる。勿論理由は一つ、テストの事。

「最近君に勉強への意欲が薄れているとは感じていたが。」
「すみません…。いやぁ、意欲は…あったと思います、多分。」
「多分?」
「とてもありました。あは、は…。」

結局、氷室学級の赤点はなみこただ一人だった。事の重大さに気付いたときはもう遅く、氷室に呼び止められると分かっていたのだから奈津美の誘いもきっちりと断った。
氷室の顔を見ることができない、いや、見なくても分かってしまっていたからだ。
担任のため息は、なみこにとって気を更に重くさせられる他なかった。

「君には失望させられた。」
「返す言葉もありません…。」
「…この状況をどう打開するか、私はとても楽しみだ。」
「だ、打開、ですか…?」
「小波。君は素質がある。」
「素質?」
「君が入学をして最初のテスト。自分が何位だったか覚えているか?」
「ええと、多分…200位?」
「218位だ。そのくらい覚えていなさい。」
「覚えてるんですか…。」
「私の教え子の点は全て覚えている。それに君が一番低い順位だったからな。」
「う…。」

さすがアンドロイド教師と言われるだけある、となみこは妙に納得してしまう。それから、あんなに悪い点の生徒の事も気に掛けていてくれた事を嬉しくも思う。

「私はその事で一度も口を出したことはなかった。しかし君はその後きちんと予習、復習を行い次のテストでは君の苦手としている部分をきちんと改善をされていた。二桁台の順位を出した事に私はとても満足している。いや、実際には更に上を目指せると…。」
「あの!」
「なんだ。」


氷室学級になり、成績を伸ばしたいと思い始めたのはいつだったか、何故だったか。
勿論氷室に嫌われたくなかったからなのだが、なぜ嫌われたくないのか。それはきっと氷室を尊敬しているからなのだろうけれど。しかしこの答えに妙に納得のいかない自分が居た。
結局答えは分からずに、担任に怒られたくないからという無理やりな理由を後からつけて勉強をし、次のテストの結果が自分でも驚くほどいいものになったのだ。
その理由は効果てき面だったけど。

「せ、先生は、私がもっと頑張れば一位だって取れると。そう言いたい訳ですね。」
「正解だ。次週の補習は覚悟しておきなさい。私がみっちりと指導する。勿論、ついて来れる者、それを維持し努力を怠らない者のみが手にする事ができるエースだ。」
「先生は…私を見放したりしないんですか?」
「しない。」
「頑張ったら頑張った分、褒めてくれるですか?」
「…君という生徒は褒めないと伸びないのか?」
「伸びません。」
「ハァ…君次第だ。」
「頑張ります!」
「よろしい。」

氷室は、自分の口角がいつもより若干上がっている事に気付いた。この生徒の瞳が一段と輝き、多少理解に苦しむ言動もありはしたが、やはり期待通りの答えが返ってきたからだ。
一学期の時に比べ、格段に成長したこの生徒はまだまだ上を目指すことができる。変わりはじめたのはごく最近なのだが、その成長ぶりには氷室本人とても驚き、そして嬉しくもあった。

「ただ解答欄のずれに関しては」
「分かってます。精進しますので説教だけはご勘弁を!」
「駄目だ。」
「ええ〜!」
「ええ〜ではない。帰り支度をしたら私が車で君の家まで送る。君の家に付くまで時間は十分にある。」

どう考えても無理な事も氷室から言われると出来てしまいそうになるから、怖い。



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