君は僕のもの僕は君のもの
兆しと綻び
「春臣、頼む、待ってくれないか!」

僕の耳に残る音と同じ、だが数段低く滑らかになった独特の響きを持つ声が、僕を止めた。
いや、実際に止めたのは彼の長く力強い右腕だった。
僕の肩をしっかりと掴み、それ以上先に進むことを妨げている。

「別れるなんて、僕は納得していない。それだけは絶対に嫌だ、嫌だ」

愚かな子供のように嫌だと繰り返す初音の髪先からはぽたぽたと色の付いた液体が滴り、整った細い鼻梁から顎へと伝い落ちてゆく。
僕が浴びせた黒褐色の飲料は、初音が身に纏う仕立ての良い上品な服にも大きな染みを作ってしまっている。
拭う暇も惜しんで僕を追い掛けてきたのかと思うと、僕の独占欲はいたく刺激された。
冷たい風の吹きすさぶ晩冬の冷寒の最中、初音はコートも着ていない。
手にも持っていないから、あのファーの付いた高そうなブランド物のコートを、初音はこじんまりとした喫茶店の古い椅子に忘れてきてしまったのだろう。

僕の心臓が締め上げられる。
僕だけしか見えていないような行動を取る初音に、僕は弱かった。

「なあ、春臣。落ち着いて話をしよう。僕は君の言うことなら、何でも聞くから」

ああ、その一途な言葉にも弱い。
共に過ごした長い時間の中で、僕が初音のことを知ったのと同じく、初音も僕のことを知っている。
彼は僕がどんな台詞や行動を好むのかよく理解していた。
初音は常に僕の理想の、僕だけの人であり続けた。

だが、と僕は視線を落とす。
僕の二の腕を、冬の厚い服の上から容易く囲い込む長い指、大きな手。
僕を守ろうとする逞しい長身。
すらりとした男らしい肉体。
こんなの、欲しくなかった。



初音が変わったのは今年の夏だった。

一年からずっと、幸運にも同じクラスでいることが出来た僕たちは、すっかり二人で一人のような関係に落ち着いていた。
僕は初音の全てに干渉しようとし、初音はそんな僕を穏やかに受け入れてくれた。
僕はかねてからの予定通り、独り占めできるただ一人の人を得ることができたのだ。
だが、少しばかりの想定外の出来事も生じてしまったらしい。

夏の少し前から、初音の態度がおかしくなった。
僕と触れ合う度に慌てふためき、ちょっとした台詞にも赤面する。

時折、言葉なく見つめてくる初音に、僕も何となく気付いてしまった。
何がきっかけとなったかは分からないが、初音は恐らく、僕を好きになってしまったのだろう。
初音の元々の生まれ持った性癖は知らないけれど、これだけ僕しかいないような閉鎖された環境にいれば、恋愛の錯覚を起こしたとしても不思議はない。
薄情な僕は、面倒くさいことになったなあ、と思っただけだった。


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あきゅろす。
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