迷い鳥の飛ぶ空は

部屋に入ると、甘やかな香りが鼻をくすぐった。
先日までは固い蕾だった鉢植えの花が咲いたらしい。
以前、健は無理に咲かせようとして、白く閉ざされた固い蕾をつつき、庸介にこっぴどく叱られた。
だが、その大切にされていた花でさえ、今では根本から茎を折られ、無惨な姿を晒している。

庸介は、また荒れたのだろう。
部屋の中の惨状は、以前の嵐よりもさらに酷い有様になっている。



花びらの散った甘い匂いが、澱んだ空気に漂っている。
大学で植物の遺伝子学について学んでいる庸介の部屋には、いつもなにかしらの観葉植物が置かれていた。
普段は大事に育てられているが、目につきやすいそれらは、時として一番の感情のぶつけ所ともされてしまうらしい。

「またか……」

健のため息を庸介は黙殺した。
室内の尋常ではない様子についても、なにも語ろうとしない。
重すぎたからだろう。ただ一つ無事だった、部屋の片隅に据えられたソファーに健を座らせ、庸介はキッチンに足を向けようとした。

「なにか飲む? コーヒーと紅茶……」
「庸介、ええから話を聞いてや」



飲み物など後回しだ。
健は庸介の服の裾を掴み、引き止めた。
突っ立ったまま振り向きもしない恋人を見上げ、誤解を解こうと訴える。

「聞いてくれ。今日のあれは、浮気とかそういうんと違う。俺はそんなことはせん。これからも絶対にせえへん。俺は庸介が好きや、庸介が……」

言葉にしていく内に、瞳が潤んでくるのを健は感じた。
どうして自分はこうも信じてもらえないのだろう?
今まで、いい加減な付き合い方ばかりしてきた報いだろうか。

庸介に信じてもらわないと、健はとても困ってしまう。
とても悲しくもなってしまう。
庸介に会って、初めて身体だけの関係の虚しさを知ることが出来たというのに。



「なんでや……」

健を変えた男は、表情も変えず健に触れてくる。
伝う雫を拭うことなく、濡れる頬にただ指を沿え、健が涙を流す様子をじっと見下ろしている。

「ただ立ち話をしとっただけやん。なんで、そんなことで不安になるんや。そないに俺を疑うんや。俺は庸介が好きやて、何度も言うとるやないかっ」
「健……違う」
「俺のなにがいけないん? どこがあかん? 俺にどっか、駄目なとこがあるならいくらでも直す」
「違うんだ、健」

違うんだよ、低く呟いて庸介は俯いた。
同時に健の頬を撫でていた指をそっと下ろす。
長い指は一瞬きつく握り込まれたが、すぐに力無くゆるみ、散り際の花びらのように儚く綻んだ。

潤んだ瞳を見張り、健が思わずその手を握ると、庸介は待っていたように冷たい床に膝から沈む。

「健に不満があるとか、そういうことじゃないんだ」


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あきゅろす。
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