迷い鳥の飛ぶ空は
花
「もうあんたとは会わない」
会って、第一声だった。
一度押して反応のなかったチャイムを再度押そうと腕を上げた姿勢で、健はぽかんと口を開いた。
なにも知らない午後の柔らかな日差しが、背後からその鳶色の髪を温かく包んでいる。
一方、チェーンをかけたままの薄く開いた扉の隙間から、暗い影に身を浸した庸介は続けた。
俯き加減の横顔は漆黒の前髪に隠され、少しも表情が読めない。
「さっき、駅前で見たよ。男と一緒に歩いているあんた」
「えっ。お前、あそこにおったんか」
見たもなにも、それはほんの少し前の出来事だ。
健はつい先程、この庸介の部屋を訪れるため最寄の駅に到着した。
そして偶然に、むかし付き合っていた男と会ったのだ。
懐かしさにつられ、互いの近況を語っていたのは、さほど長い時間ではなかった。
まさか、その場面を庸介が見ているだなんて、思いもしなかった。
「散歩がてら、駅まで迎えに行ったんだよ。そうしたら男とじゃれ合うあんたを見つけた」
そして、こんなにまで彼が感情を揺らすことも、予想だにしていなかった。
不快に感じたのなら、その場で声をかけて注意をしてくれれば良かったのに、と健は思った。
だが、庸介が憤っているのは、そんなことではないとも思い直した。
「あんた、男好きのホモだからね。ヤってくれる奴なら誰だっていいんだろう?」
会話の途中、男はふざけて健の肩や腰に手を回そうとした。
庸介と会う前の話だが、何度か寝たこともある馴染みの相手だ。
そこはかとない誘いを滲ませる、悪戯な手つきで触れられても、健はあからさまに拒むことはしなかった。
慣れている健にとっては、適当にやり過ごそうとしていただけなのだが、庸介にはそうは見えなかったのだろう。
(くそ、どじった……)
どう弁解しようかと視線を巡らせていると、ドアの隙間から見える庸介が低く呟いた。
「俺はもう、不要な男?」
弾かれたように顔を上げた健は、庸介と目を合わせ、必死に首を振った。
庸介の残酷な言葉に傷ついた実感はない。非があるのは自分だ。
それより、庸介の深い色の瞳に光がないことを不安に思った。
「庸介、違う」
「なにが」
「あいつはただの昔の知り合いで、たまたま会って話してただけや」
「そう」
力なく頷く庸介を見ても、健は安心できなかった。
だから、今にも閉まりそうなドアの狭い隙間に指を差し入れ、力任せに開く。
繋がれたままのチェーンが限界まで伸び切り、がちゃんっ、と耳障りな音を立てた。
「とりあえず、入れてや」
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