迷い鳥の飛ぶ空は

「隣、座ってもええかな?」

出会いは、ごみごみとした小汚い歓楽街の片隅にある小さなバー。
『refuge』という店名の通り、入り口もひっそりとした目立たぬ店で、来る客の年齢層もこの界隈では比較的高い方だ。
そのしっとりと落ち着いた店内のカウンターで、ひとり酒を飲む庸介の隣のスツールに会社帰りの健が腰掛けたのが、始まりだった。



庸介は隣の相手にちらりと視線を向けただけで、すぐにまた長い睫毛を伏せる。

「……別に、かまわない」
「おっ、東京弁。君、どこの人?」
「関東」
「なんやそれ、関東いうても広いわ〜」

ここらの出身ではないらしい庸介の訛りのない口調を面白がりながら、健はいるのかいないのか分からないくらい物静かなバーテンダーに適当な酒を注文する。

「関東のどこ?」
「東京」
「東京かて広いわ。どっから来たん? なにしてる人?」
「あんた、うるさい。酔ってるのか?」
「酔ってへん酔ってへん」



そっけなくあしらわれても気にせず、健は薄暗い店内の中でさりげなく真横の人物に視線を滑らせた。
スツールにだらしなく寄り掛かることはせず、自然と背筋の伸びた綺麗な姿勢。
音も立てず酒を喉に流し、僅かな光源に輝くグラスを支えるしなやかな指の角度。
洒落たデザインだが落ち着いた色味のジャケット、その清潔な襟元にかかる少し伸びた漆黒の髪。
長い足はゆったりと組み替えられ、皺一つないトラウザーに浅い陰影を生み出している。

どの仕草一つをとっても品がある――なんとも上等な部類の男だ。
また、彼のどことなく神経質で繊細さの滲む雰囲気、気品のある優美な顔立ち、やや厚めの柔らかな輪郭の唇は健の好みだった。
バランスの取れた伸びやかな身体つきや、その細身を包むラフながらセンスの良い服装も気に入った。



駄目で元々、話すだけならタダだ。
外向きにはねるようセットした横髪を指に絡め、そう内心で唱えながら、健はそれとなく軽い誘惑を仕掛けた。

「綺麗な顔しとるね。お袋さん似?」
「さあ……」
「俺はオヤジ似。クソオヤジにうんざりするほどクリソツや」
「クリソツって……いまどき言わないだろ。あんたオヤジくさいな」
「あっ、言いよったな」

戯れで腕に手をかけると、相手の身体がわずかに強張ったのが健にも伝わった。
おや、脈ありか――?
あまりこちらに興味がないようにも思われたが、予想が外れたのは幸いだ。
夜の遊びを楽しむ小粋な大人から、獲物を見定める野蛮な狩人へと纏う雰囲気を変え、健は甘い誘いを含んだ声音で形の良い耳に囁いた。

「なあ、このあと時間ある……?」



特殊な嗜好を持つ者のみが集まるそのバーで親交を深めた二人は、その晩に一夜の関係を持つに至った。


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あきゅろす。
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