迷い鳥の飛ぶ空は

電話を切り、曜子はきりきりと吊り上げていた柳眉をようやくゆるめた。
あの男と話しているとどうしようもなく神経を逆撫でされる。
細く白い足を組み、お気に入りのアンティークの椅子に落ち着いたところで、胸に巣くう苛立ちは治まることを知らない。

だが仕方ない。
すべては愛する弟との輝かしい未来のためだ。



曜子は傍らの小机にある写真立てを手にした。
桜貝のような薄い爪をそっと磨かれたガラスに這わせ、嘆息する。

「庸介……」

二人で並んで写る写真は、庸介が中等部に進学するとき、姉弟揃って校門の前で撮ったものだ。
古式ゆかしい黒の学ランは、播摩の男子が代々通う名門校のもの。
新調したばかりの鮮やかな加賀友禅の着物を纏い、にっこりと花が咲いたように微笑む曜子の横で、真新しい制服姿の庸介はかたい表情をしている。
いつからか曜子は、こんな顔の弟しか見たことがなかった。

(庸介、会いたい)

たまらなくなって写真立てに額を押しつける。



曜子は弟を愛していた。
世界中の誰より愛していると言っても過言ではない。

自分の生まれ落ちた狂った一族のことなど、本当はどうでもよかった。
そのような血筋に生まれついたから弟に執着するのだと陰口をたたかれても知ったことではない。
どんな理由があろうが、事実は揺るぎない。
曜子は庸介を愛した、ただそれだけのことだ。

弟の注意を向けようと、曜子は幼い頃から必死だった。
庸介が自分を見ていないと嫌だった。
いつも一緒にいて、触れ合っていたかった。
それは理由のある感情ではない。
言いようのない、理性を超えた希求。本能の求めるものだった。

だから曜子は庸介の愛する全てを奪った。

(あの子は私のもの。庸介は私のもの)



庸介にガールフレンドができたことを知った日の夜、曜子は弟を犯した。
許せなかったからだ。
庸介は自分のものだ。生まれたときから、死ぬまで。

弟のなにもかもを、曜子は手に入れなければ気が済まない。
細い手足を押さえつけられ、泣きながら止めてくれと懇願する弟の赤く火照った頬は、この上なく曜子を興奮させた。
庸介は初めての精通を姉の胎内で経験した。

それからも曜子は嫌がる弟を脅し、騙し、拘束し、無理やり身体を繋げた。
庸介の子を身ごもりたくて、避妊具もなにもつけない未熟な行為を繰り返した。
幸か不幸か、曜子が孕むことはなかった。
二人ともまだ男女として幼かったこともあるかもしれない。

成長し、思春期になると庸介はさらに曜子を拒絶するようになった。
ひどいときなど、曜子の姿を見たり声を聞くだけで吐いた。
怒り、がんじがらめに弟を縛りつけながらも愛する庸介からの拒絶は曜子の心を深く傷つけた。



当主の弟である父の跡継ぎとして相応しくないと一族から猛反対を受けながらも、庸介は寮制の男子校に高校進学を決めた。
たまの長期休暇にも実家に戻ることはせず、曜子を寂しさに泣かせた。

しかし、真面目で純粋無垢な庸介のことだから、血の繋がりがある相手と愛し合うことに葛藤があるのだろう。
内心では曜子のことを憎からず想っているはずだ。
庸介とて播摩の血が流れているのだから、血の近い曜子を愛さないわけがない。
そう考え、切ない想いも我慢をした。

なのに庸介は大学進学の際、ついに曜子の元から逃げ出した。
曜子の可愛い小鳥は健気な想いに見向きもせず、見当違いな空へと迷い、勝手に飛び立ってしまったのだ。



高校を卒業した庸介がようやく家に戻り、喜んだ曜子が庸介の部屋を訪れた夜。
最も残酷な言葉を曜子は耳にすることとなる。
最愛の人に甘く囁き、唇を寄せた瞬間、強く突き飛ばされ床に倒れ込んだ。
髪を乱したまま信じられないと見上げる曜子に、庸介は鋭く叫んだ。

『やっぱり変わってなかった……もう限界だ。もう、戻ってはこない。あなたにも会わない。二度と。もし無理やり連れ帰らせようとしたら、俺は死ぬ。どんな手を使っても』
『なんてことを言うの、庸介』

青ざめる曜子を弟はものすごい目で睨みつけた。
肉親を、ましてや同じ人間を見る目つきではなかった。



『姉さん、ずっとあんたが憎かった……! 殺してやりたいと、何度思ったか分からない。あんたとセックスする度、死にたくてたまらなかった! あんたの異常な振る舞いに付き合わされるのはもうごめんだ』

あまりにも心ない言葉に曜子は震えた。
一体どうしたんだろう、庸介は。
曜子の庸介、可愛くて従順な庸介はどうしてしまったの……。

『俺は播摩を捨てる。二度と俺に近付くな。関わるな。少しでもあんたの影を感じたら、すぐにでも世界から消える』

運び込んだばかりの荷物もとかず、庸介はそのまま夜中に家を飛び出した。
そして母の知り合いの紹介で、遠い地方へと姿を消してしまったのだ。

待ち続けたのに。
信じていたのに。
柔らかな心をずたずたに傷つけられ、愛しい人とまみえることもできなくなってしまった曜子は泣いて暮らした。


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