迷い鳥の飛ぶ空は
対価
「あっ、なあなあ播摩くん!」

唐突にかけられた高い声に反応し、庸介は肩に鞄をかける手を止めた。
今日は健の帰りが早いから、夕食はなにを作ろうかと献立を考えているときだった。
振り返ると、本日最後の講義を終えた学生たちがぞろぞろと大教室から出ていく中、似たような恰好をした女の子が二人立っていた。

(誰だろう。知り合いだったかな)

わずかに首を傾げて記憶を探るが、思い当たらない。



女の子二人は目を合わせて頷き合い、高い位置で髪をお団子にまとめた女の子が口火を切った。

「今日な、ゼミ飲みがあんねん。せっかくやし、一緒に行かん? ワインの美味しいお店らしいで」

軽い口調の割にやけに熱っぽい眼差しを送られ、戸惑いつつよくよく見てみれば、同じゼミの子たちだと気付く。
あまり他人と交流を図らない庸介はすっかり忘れていた。

行こうよ、ともう一人のゆるく髪を巻いた女の子も上目遣いで誘いかけてくる。

「播摩くんって、あんまりそういうところ来ぉへんやん? いつも授業終わったらすぐ帰りよるし。みんな、めっちゃ話したがっとるんよー」
「そうそう、特に女子が……」
「こらっ、なに言ってん!」

互いの腕を軽く叩き、きゃっきゃとはしゃぐ女の子たちから庸介は視線を外した。

「ごめん、用がある」



一言だけ返して教室の出入り口に足を向けようとすると、「待ってや」と細い指が腕に絡んできた。
触られた場所から全身にぶわっと鳥肌が広がるのを感じ、庸介は顔を引きつらせる。

黙り込む庸介に気付かず、髪をアップにした女の子が一生懸命に言い募る。

「ほないつなら空いとるん? うちら、播摩くんの予定に合わせるから」
「もし団体飲みが苦手なら他の子とか誘わへんし。ねっ、一緒に飲も」

なにを言われているかも理解しないまま、庸介は腕にへばりつく感触を払いのけた。

「無理。恋人の夕食作らなきゃ」

そう呟いて隙を与えず女の子たちに背を向け、足早に教室を出ていく。



二人から見えない場所まで行くと、ようやく息をつき、冷たく粟立ったままの肌を撫でさする。
――やはり、まだ駄目だった。
庸介の心はあの頃から少しも前に進むことができていない。

胸を悪くする気持ちを振り払おうと、庸介は歩きながら健のことだけを考えた。

(何時に帰ってくるのかな。残業はしないって言ってた。なにを食べさせてあげようか。昨日は鯖のムニエル、おとといはナポリタン。健はなんでも美味しいって食べてくれるから)

大学の敷地を出る頃にはもう二人の女の子のことはすっかり忘れていた。

(そうだ、肉にしよう。精をつけさせて、明日は平日だけどしたいって言おう。嫌がられるだろうけど、その気にさせたらこっちのものだ。なにがいいか。とんかつ。ハンバーグ。焼き肉……)

頭の中は今日の献立と健でいっぱいだった。


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あきゅろす。
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