迷い鳥の飛ぶ空は
写真
「はい、元気にしとります……はあ、さいですか。はい、はい……。分かっとります。そちらは――ああ、はい。……はい、こちらこそ。それではよろしゅう……」

通話を切り、健はため息をついた。
鳶色の髪を乱暴にかき上げ、ひどく険しい顔つきで、切ったばかりの携帯を睨む。

「仕事の電話?」

唐突に声をかけられ、健はびくりと肩を跳ねさせる。
即座に振り返ると、パジャマ姿の庸介が寝室のドアに腕を組んで寄り掛かり、こちらを見ていた。
速まった心拍数を持て余しながら、健は頭にやっていた手を下ろす。

「――びっくりした。庸介、寝てたんと……」
「喋ってる声が聞こえて目が覚めた。どうしたんだ、こんな夜中に。会社から?」
「いや、仕事やない。親戚の人からや」

疲れた様子でため息をつく恋人に近付き、庸介は冷えた身体をそっと抱きしめる。
2LDKの狭い室内では、十歩も歩かないうちに目指す人へと辿りつく。
健の匂いに溢れ、温みと生活感のあるこの部屋が、庸介は好きだった。



「そう。また呼び出しかと思った。健の休みって、だいたい仕事で潰れるから」
「下っ端は馬車ウマのように働く運命やで。それが社会の正しい仕組みや」

つまらない冗談を言って嘆く健は、庸介の背中に腕を回した。
柔らかい布地から伝わる優しい体温にほっと息をつく。

「ま、俺の場合、呼び出しやすいっつーのもあるからな」
「なんで? 下っ端だから?」
「ぐっ、それもあるけど……言っとらんかった? 俺の勤め先、オヤジの会社」

こともなげに言われたため、庸介の反応は一瞬遅れた。
父親の会社で働いてるということは……。

「それって、健は社長のご子息ってやつ?」
「そう、それそれ。そういうお坊ちゃまって普通、ちやほやされるもんやろ。でも有象無象の中小企業の場合はちゃう。いいようにこき使われるだけや」

顔をしかめて本当に嫌そうに話すものだから、庸介はくすくすと笑ってしまう。



なだめるように背中を撫でて、深い皺の刻まれた眉間に軽く唇を落とす。

「嫌なら他の企業に就職すれば良かったのに」
「俺かて好きで入ったんと違うわ。なんつーの、強制就職みたいな……あー、あかん。お前まで冷えてしもた」

庸介の肩から二の腕をさすり、「すまんな」と苦笑する。
互いの背中に回していた手を下ろし、寝室へ戻ろうと庸介の手を引く。
狭いけど温かなベッドへと再び潜り込み、二人は横向きに抱き合って体温を分け合った。

「健の両親の話って、あまり聞いたことがないな」

話を促す庸介に、健は「んー?」と心地よさげにまどろんだ声を出す。



「たいした話、あらへんで。オヤジとはあんま仲良うないんや。――お袋は、東京の病院におる。病気でな。こんな田舎よか、設備の整ったあっちの病院で見てもろた方がなんぼかマシやから」

そう言ったとき、薄く開かれた健の目に暗い影が走る。
母親のことをとても大事に思っているのだろうと、健の悲しみを感じた庸介の胸もきゅっと痛んだ。

「俺とこんな風に会ってくれて、大丈夫?」
「は? なんでや」
「健も社長のお父さんも、こっちにいるんだろ? 東京のお母さんの看病は大変なんじゃないのか」
「ふーん。ほなお前を置いて、俺が東京に行ってもええんか?」

一日来なかっただけで大騒ぎのくせに、と以前のことをからかわれて庸介は顔を赤くした。

「そりゃ健に会えないのは嫌だけど。お母さんが理由なら話は違う」



「もしこうして週末ごとに会うのが健の負担になるなら……」と庸介が言いかけたところで、健は「冗談や」と首を振った。

「行かんでも平気。あっちに世話してくれる親戚の人がおるんや」
「でも……」
「それにお前に会えへんのは、俺にとっても大問題や。ありえへん。絶対、庸介不足で死ぬ」
「なに言ってんだよ」

嬉しいことを言ってくれるが――甘い口調の割には、いつまで経っても同棲を許してくれないくせに。
言いたい言葉を飲み込み、庸介は顔を背ける。

まだ一年にも満たない付き合いだと分かってはいるが、常に健の存在を望んでやまない庸介の心は、もっと密接な関係を欲しがって仕方ない。

(健も、俺が健を想うのと同じくらい、俺を想ってくれたらいいのに)


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