迷い鳥の飛ぶ空は

健には分からないだろうけれど、と言葉を切り、庸介は一人よがりな絶望感に浸った。
健には絶対に分からないことだ。
だって、健はあの一族の者ではない。

「あんたが他の男と……俺を裏切るような真似をするなんて、思わない。さっきのはそんなことじゃないって、頭では分かっていたよ」

でも、と呟きそうになって、庸介は唇を噛んだ。
こんな惨めなことを言いたいわけではないし、こんな話をしたいわけではない。
こんな醜い自分をわざわざ健に見せたいわけでもない。

しかし、庸介は己の欲深さをよく知っていた。
庸介は業の深い一族の血を色濃く受け継いでいる。



(足りない足りない足りない、こんなんじゃ全然足りない)

自分は貪欲で強欲で、相手を根こそぎ手に入れなければ気がすまない人間なのだ。
理性で抑えられる衝動ではない。
誰かに愛される健を見るだけで、健が二人だけの領域を離れ外に向かうだけで、あっけなくこの胸は軋むのだ。
その不気味な軋みの音色を庸介の耳は微細に感じ取り、克明に記憶していた。

「たける、健。たけ、る」

健、何度その名を呼べば彼は手に入るのだろう。
呼ぶだけで自分のものだけにできるのなら、きっと喉が潰れても、呼び続けるのに。

「健、健。今から、とうてい無理なお願いをするよ」



あんたが悪い。
せっかく空っぽにした俺の心に知らない内に入り込んで、深く根を張って、出ていこうとしないから。
優しくするから。
明るく笑うから。
好きだと、思わせるから。

だから俺はこんなにもあんたに食われてしまった。
隅から隅まであんたに侵されてしまった。

あんたに支配された俺から、あんたが離れてしまったら、あとには一体なにが残るのだろう。
ただの残滓でしかない俺はどうなる。
駄目なのかもしれない。
あんたがいないと、俺は、もう。

(お願い、お願いだ)



「俺を一番にして。俺だけを見て。俺以外は、捨ててしまってよ」

唇を寄せ、落とすのは羽根のような口吻け。
触れるか触れないかの、瀬戸際の接触。
言葉を失った健の唇に呪縛の声音を注ぎ込む。

「健、俺だけを愛して」

吐露した願望への返事も聞かないうちに、庸介の指は言葉よりも確かな熱を求めて健の肌を彷徨いはじめる。

「庸介」

唇から悲鳴のような吐息が洩れても、臆病な嘆願者は耳を塞いでしまう。

「健」

暗い囁きと共に何度も絡めた指先が伸びてきて、回答者の視界を閉ざした。
子供の遊びのような目隠しのまま、渇いた唇同士が重なり、子供らしからぬ淫らな水音を生む。

「庸介っ、待ってや。お前、なんにも分かってない。俺はお前を……」
「黙って」

巧みな愛撫に、健はたまらず本能的な声を漏らしてしまう。
そうして庸介の囁きに埋もれてゆく。

「お願い、俺を愛して」



自分もいつかあの花のように千切られるのだろうか、といずれ訪れる時間を夢想し、健は庸介の背中に爪を立てた。

漂う花の甘い芳香が、熱を帯びる頭にめくるめく霞をかける。
あとは、暴力的な愛の濁流に呑み込まれるだけ。

それ以外の触れ合い方を、二人はまだ知らなかった。


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