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短いお話
似非超能力者



水彩絵具で鮮やかに染めたような空は万物を受け入れる。陽の当たる道を歩く者も、湿った暗い道しか歩くことを許されない者も。そんな真っ青な空の下で――青年は逃走していた。

現在の風潮に合わせた服装の人間が、白い四角の建物から吐き出される。髪を栗色に染め上げ、緩くパーマをかけた女性や、黒髪の清楚な女性まで。視力が悪くないにも関わらず眼鏡を掛けた男性や、シルバーのネックレスを首に掛けた軽薄そうな男性まで。実に様々な男女が賑やかに塵一つ落ちていない煉瓦道を歩く。そんな彼らの前を、ある一人の青年が風のように走り去っていく。

「おい、今の氷室さんじゃねえの」
「氷室さん、今度は何してんだ」

既に小さくなっている青年の背を見つめ続ける男女。すると次は、実に軽薄そうに安全ピンを耳につけた青年が豹のように颯爽と通過していく。

「今度は椎名かよ」
「氷室に椎名とくると、河津くんもいるな」

いつものことだと言わんばかりに肩を竦めて男女は歩を進めた。彼らにとっては、呼吸をすることと並ぶくらい、日常に溶け込んだ風景なのだ。











青年もとい氷室は依然と逃走を続けていた。人生の中で大人と認められる年齢を越した身体に、この運動量は苦痛でしかない。
決して伊達ではない眼鏡を掛け、栗色の髪の氷室という青年は平常にさえしていれば非常に知的な青年だ。分厚い本でも持って書庫にいれば、十分絵になる。
しかし今の二酸化炭素と酸素との入れ替えを荒く繰り返すその様は、思わずスポーツドリンクを差し上げたくなる。自動車の停まる場所に着いた氷室青年は、普段授業で使う脳を回転させて、咄嗟に自動車の陰に身を潜める。

その一方で、椎名という名の軽薄そうな青年は氷室の姿が消えた駐車場にいた。安全ピンを耳につけるという冗談のような恰好をした彼は、瞳を閉じた。
中学二年生の頃に覚醒した、もう一つの眼を使う。この眼は、自分にとって周囲の人間を奪うものでしかなかった。自分は、関わりたい。周囲の人間と、関係を築きたい。なのに、この眼はそれを拒否した。他の人間が椎名に近付くと、その眼は擦り傷に塩水を擦り込むかのような痛みを伴った。
しかし、それを突破する人間が現れた。
それが、氷室と河津とである。
最近では彼らと共にいることで眼を制御できるようになり、他の人間とも関係を築き上げることができている。その眼を、今こそ覚醒させるのだ。人を拒絶することができたのならば、引き寄せることもできるはずだ。

「萌え上がれ…俺のコスモぐえふっ」

椎名の身体が吹っ飛んで、コンクリートの地面に投げ出される。氷室が自動車の陰から飛び出して、その全貌を掴もうと目を見開いた。

「河津くん!」

河津と呼ばれた青年はたんっと軽快な音を立てて地面に降り立った。どうやら椎名の背中を蹴っ飛ばしたらしい。
涼しげな瞳の河津は、漢字検定六級の資格を持つ程度の学歴の持ち主だ。

「河津っ…お前、俺のことを裏切ったな…!」

椎名が息を切らせて上半身を起こす。その瞳は憎悪に染まり、今にも眼の力を使わん限りだ。

「椎名、お前は眼の力を使おうとしただろう。…氷室を、危ない目に遭わす気か」

霧に包まれた湖のように静謐な、しかし熱く燃え上がるマグマのような怒りを瞳に灯す。有無を言わさぬその瞳に、椎名は反論しようとした唇をぐっと噛み締めた。墨を流したような色彩を宿した椎名の瞳は戸惑いの色が見える。

「ちがっ…俺は、そんなこと…。河津、お前は俺の味方じゃなかったのかよ! 二人で協力して、氷室を捕まえようって約束したじゃねえか!」
「ああ、したさ。お前が、自分の能力を行使するような卑怯な真似さえしなければな」

かっと椎名の白い頬の血行が活発になる。

「卑怯? 罠を仕掛けたわけでも、秘密道具を使ったわけでもないのに、卑怯? 自分の能力を使って何が…」
「椎名、止めろ。河津くん、それくらいにしとけ」

河津と椎名との間を、それまで黙っていた氷室が割って入る。冷めた表情からは、先程まで肩で息をしていた者と同一人物とは思えない。薄いレンズに、心を許し合った友の姿を映す。

「椎名…君は、試そうとしたんだね? …今まで君を苦しめてきた眼を、使いこなせるかどうか」
「……」
「これは、僕の勝手な想像なんだけど。本当は、いつ眼が自分の制御できる範囲を超えて暴れ出すか、不安で仕方なかったんじゃないのか」
「………そうだな」

蚊の鳴くような声。
しかし、その声は二人の鼓膜にしっかりと響いた。

「恐かったよ。ずっと。恐ろしくて、気持ち悪くなって、頭が、冷えて、体が、ふるえ、ふるっ…ぅ」

頭を抱えてその場にしゃがみ込む椎名。幼い子供のように怯えて自分の身体を抱き締める様子は、今にも砂のように散ってしまいそうで儚く悲しい。

「小さいときも、この眼のせいで、俺の周りは誰もいなくて……おれは、おれの…おれ、…」
「だから、再現しようって、僕たち言ったよな」

冷えた表情を一変させて、氷室はふうわりと瞳を細める。凍った花が、春の訪れを歓迎するかのように。

「子供の頃の遊びをして、今からでも思い出を作ろうって…河津くんと君が鬼で、僕は逃げる役」
「けど、そこで能力を使ったら、何にもならないって思わないか?」

孤独な過去を塗り替えようとしてくれている友人の言葉に、椎名は表情をくしゃっと歪めた。それはまるで、小学生が担任の教師に怒られたときのような反応だった。
コンクリートに丸い染みが広がる。嗚咽を漏らす都度に、耳につけた安全ピンが頼りなく揺れた。

「能力を使わないで、他の子供たちがやってる遊びを、僕たちもやってみよう。ほら、鬼ごっこで泣く奴がいるか」

氷室が黒いシューズでつかつかと近付けば、椎名が思い切り氷室に抱き着いた。

「氷室、つーかまーえたっ!」

涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、笑顔で叫ぶ椎名に氷室は抱き締め返し、河津は邪眼を持つ友人の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。










駐車場の車の運転席から身体を出した助教授が、助手席に座っていた教授に質問を投げ掛ける。

「…教授、彼らは駐車場で何をしているのですか。危ないと注意した方が…」
「さあねえ。私はよく分からないが、学生たちが言うには、彼らは中二病というやつらしい」
「中二病…ですか? その…うちは医大ですけど、そのような病名は聞いたことが…」
「私もないさ。病気と聞いて私も焦ったのだが、学生たちは放っておいても平気な病気だと言うのだよ」
「放置しておいても平気…日常生活で上手に付き合えば支障を来さない糖尿病のようなものですかね」
「似たようなものなのかもしれんな」

日本でも上級クラスに入る医大の助教授は、中二病という単語をグーグルで調べてみようと思った。













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