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novel
夜桜
――月の光、桜の色、夜の闇。
その調和を乱す鮮やかな紅(あか)。

 僕は時々、そんな夢を見る。



「――ってぇ……なんでああやって全力なんだ……。」

 昨日まで冷蔵庫にあったはずのプリンが忽然と消えていることについて、兄と盛大に戦った後、敗北した僕は新しいプリンを買うためにコンビニへ向かっていた。
 今になって冷静に考えると、無いものについて争うなんて馬鹿げていると思う。というか、兄も僕も大人気ない。おかげで、たった一つのプリンのために、僕は怪我までしてしまった。

「つーか、こんなときに限って売り切れとか……。」
 もう三件は回った。なのにプリンはひとつも売っていない。ケーキはあるのに、プリンが無い。だからといって、ケーキを買って帰れば、また兄と戦う羽目になる。
夜のコンビニやなんかは、確かに品数は減っているが、ここまで無いと不思議に思えてくる。

「後は、あの遠いところか……。」

 僕が知っている最後のコンビニは、普通の道を通っていくとここから四十分もかかってしまう。そんなことしたら、『遅い!』と今度は親に怒られるのが目に見えている。
夜の七時過ぎに出かけるのだって嫌な顔されたんだ。その上帰りが遅いとなれば、命の保障はできないだろう。
……気は進まないが、公園を通って近道をすることにした。

「…………。」

 こんな時間なのに、遊具も何もない公園に人がいた。

雲ひとつ無い夜空に浮かぶ満月。
満月はあまり好きじゃないが、今はそんなことはどうでもよかった。兄に頼まれたプリンのことも、すっかり頭から消えてなくなっていた。公園には月の光でかすかに見える一本の桜の木。そしてそれを眺める一人の少女。

 それはとても神秘的だった。
その少女を見たとたん、別の世界に引き込まれたようだった。
まるで時が止まったように少女は桜を、僕は少女を見ていた。
 
一瞬、とても強い風が吹いた。思わず目を閉じてしまうほどの強い風だった。その風が止んだのを感じて、目を開ける。

「あれ……?」

目を閉じたのはほんの数秒のはずなのに、目の前から少女は消えていた。辺りを見渡しても見当たらない。僕は不思議に思いながら、とりあえず公園の桜の木のところまで歩いていった。
 木の下まで行ってみても、やはり少女は見つからなかった。見間違いだったのかと、あきらめて帰ろうとしたとき、いきなり背後から声がした。

「お久しぶり。」

 その声の主は、先ほどの少女だった。

「嘘……だろ……?」

 僕が驚いたのは、いきなり背後から彼女が話しかけてきたことではなく、彼女に見覚えがあり、そしてここで会うのがありえなかったからだった。
 そんな僕の考えを見透かしているかのように、微笑みながら彼女は言った。

「ふふっ、驚いた? 私がここにいて。」
「驚くも何も……お前は……っ。」
「……あのね、この時期って、夜の桜が綺麗なの。」

 戸惑いを隠せなかった僕は、彼女の言葉に耳を傾けるしかなかった。彼女は淡々と語る。

「この桜の木はね、昼も綺麗だけど、夜になると月の光が反射してね、いつもと違う色になるの。特に今日みたいな満月だと最高ね。だから、いつも見に来るの。」

 淡々と話しているが、彼女が本当にこの桜が好きなのが伝わってくる。きっと、とても昔からこの桜の良さを知っていたんだろう。
 そう、きっと。あの事件があった――……

「五年前からずっと……か?」



―――五年前。
ある場所である少女が殺される事件があった。
犯人は未だに見つかっていないし、この先見つかる様子も無い。おそらく、時効になってしまうだろう。
その少女は桜の木に寄りかかった状態で見つかり、その桜の木は、所有者が『気味が悪い』と切り倒して処分し――……。

「そうだ……っ、何でその木が……ここにある?!」

 すっかり忘れていた。僕はその木が切り倒されるところを目の前で見ていたはずだった。
 それなのに、今目の前にある。
 あってはならないものが、二つも。
 ……何故だろうか。桜のことを思い出してから息苦しくなってきた。何かを拒絶するように。何かが引き金となり発作が起きたように。僕はその場にうずくまった。

「私がいるから、ここにあるのよ。あなたなら分かるでしょう?」

彼女は僕を見下しながらそう言った。その表情はさっきの笑顔からは考えられない憎しみの感情で満ちていた。
どうして僕ならその理由が分かるのか、僕にはさっぱり分からなかった。問いただそうとしても、息が苦しくて何も言うことができなかった。
今にも気を失いそうな僕に、彼女はとどめの一言を放った。

「ねぇ? 犯人さん。」

 その後のことは、何も覚えていない。


 ――満月。
公園の真ん中に立つ一人の少年。
 その少年は、一本の桜を眺めていた。


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