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ラサラス1
誰も踏み入れないこの場所で一人きりだというのがひどく寂しかった。誰かに愛されたかった、誰かを愛したかった。
そう思ってたのに、ふと気付いたら私の両手は真っ赤に染まっていた。



「ひ、ぐ、うぇ、」
生い茂った木々によって月の光を一筋も通さない闇が広がる森の中、どこからともなく聞こえてくる獣達の鳴き声にびくびくと身体を震わせながらも、少年は道ではない道を一人歩いていた。遠くから野犬か狼らしい遠吠えが聞こえてくると、恐怖から目を閉じ耳を押さえ、必死に嗚咽を押し殺した。狂暴な獣達に噛み殺されるかもしれないと考えれば考えるほど涙がぽろぽろと頬を伝い、枯れた地面を濡らしていく。得体の知れない何かに怯えながら、足音をたてないよう慎重に枯れた落ち葉や枝をゆっくり踏み締め、身を置いている村を目指してひたすらさ迷い歩いた。
「たすけてよぉ…!」
少年は震える声で木々達に向かって小さく叫んだ。少年は好きで森に入って迷い込んだ訳ではなかった。何もしてないのに突然木の棒や石を持った同年齢の子供達に追い掛けられ、訳が分からないまま捕まらないよう広い森の中に逃げ込んだ。背後から投げられる石から息を切らして走って逃げた。ようやく自分の名を呼ぶ、恐ろしい声が聞こえなくなったと思った時にはもう遅かった。辺りはすっかり暗くなっていて、自分がどこにいるのか分からない状態だった。
冷たい風が頬を撫で、身体を冷やしていく。身につけている薄い布は寒さから少しも守ってくれない。丸腰の自分を狙っているのか近くから獣の息遣いや、がさがさと草木を掻き分ける音が聞こえる。寒さに体温を奪われ、途方もなく歩き疲れた少年は大きな木の幹に身体を預けると、ずるずると崩れ落ちた。限界を超えた足は自由がきかず、まるで壊れたかのようだった。逃げている際に何度も転んで膝に出来た傷がぴりぴりと痛む。身体中が痛かった。
(もう死んじゃうのかなぁ)
がさがさと草木を掻き分ける音がどんどん近付いてくる。少年はかたかたと身体を震わせながらも、その場から身体を動かすことはなかった。幼いながらに少年はここで死ぬと感じとった。だから少年はせめて怖くないようにと、かたく目を閉じて俯いた。目を閉じた途端、待ってましたとばかりにさくさくと軽快な足音が自分に近付いてきた。足音がどんどん大きくなる。あと三歩、二歩、一歩。足音がぴたりと止まった。ああ、死んじゃうんだなぁ。そう思ったその瞬間、そっと頭に暖かい大きな手が乗せられた。予想もしなかったことに怯えながらもゆっくりと瞼を開け、顔を上にあげるとそこには人の姿があった。
「お前、大丈夫か?」
「……だれ、ですか?」
少年が問い掛けると青年はぐりぐりと痛いくらいに頭を撫で、軽々と少年を肩に乗せた。
「私は七松小平太だ!」
暗闇のせいではっきりとした表情は分からないが、確かにその青年はにっこりと笑った。闇の中に見えた一筋の光に少年は泣くことを忘れ、つられて微笑んだ。
「お前の名前は?」
「…八左ヱ門、って言います」
小平太はそうか!と明るい声で言うと八左ヱ門を抱えなおし、続けて八左ヱ門に問い掛けた。
「八左ヱ門はこんな所でどうしたんだ?」
小平太の問いに八左ヱ門は肩を落とし、寂しそうに答えた。
「みちにまよって、村にかえれなくなって…」
だんだんと小さくなっていく八左ヱ門の声に、小平太は励ますように頭を撫でた。
「そっか、じゃあ私がお前を村まで連れていってやろう」
小平太はいけいけどんどん!と
楽しそうに叫ぶと獣道を掻き分け、どんどん麓に向かって歩いていった。鼻歌を歌いながら上機嫌に山を下る小平太に八左ヱ門は怖ず怖ずと言葉を発した。
「こへいたお兄ちゃんはどうしておれをたすけたの?」
「なんでそんなことを聞く?」
「……おれ、村のみんなにきらわれてるから」
小平太はぴたりと足を止め、八左ヱ門に顔を向けた。その瞬間、八左ヱ門はびくんと身体を震わせる。そのまま二人はじっと見つめ合った。どのくらい時間が経っただろうか。ざざ、と強い風によって木々がざわめき初めた頃、長く続く沈黙を破って最初に口を開いたのは小平太だった。
「お前も、一人なのか」
小平太がそう呟いた瞬間、木々の隙間から月光が差し小平太の素顔を照らし出した。まるで鏡の中のもう一人の自分を見るかのような寂しそうな顔。光はすぐに閉ざされ、小平太の顔はまた闇に埋もれた。八左ヱ門には一瞬だけ見えた小平太のその表情に見覚えがあった。それは以前見た水面に映る自分の顔にそっくりだった。
「お兄ちゃん、」
「気にしないでくれ。……ほら、着いたぞ」
八左ヱ門が顔を上げると、点々とした小さな明かりが見えた。ようやく辿り着いた自分の村。自分の居場所は残されていないが、八左ヱ門にとっては森にいるより遥かに安全な場所だった。八左ヱ門は自然と笑みをこぼし、嬉しさから小平太の服をぎゅっと強く掴んだ。小平太な八左ヱ門の様子を見てにっこりと微笑む。
「それじゃあここでお別れだな」
小平太はゆっくり肩から八左ヱ門を下ろすと一歩、また一歩と下がった。
「それじゃあ、また」
小さな声で呟くと小平太は八左ヱ門に背を向けて闇の中へと歩いて行った。
「……ありがとう小平太お兄ちゃん!」
八左ヱ門が後ろを振り返るともう小平太の姿はなかった。
「小平太、お兄ちゃん…?」
小平太がいた場所には何もなく、ただ冷たい風が虚しく吹いているだけだった。八左ヱ門はどこに行ったんだろうと疑問に思いながらも足を明かりが灯る村へ進めた。


山にそびえる大きな一本杉の上に小平太の姿はあった。月の光に照らされた青がかった長い髪と質の良い着物が風によってゆらゆらと靡いた。
「八左ヱ門、お前が大きくなったらまた会おう。絶対に迎えに行くからな」
小平太はにっこりと微笑んで、長い袖から長くすらりと伸びた人差し指を出して八左ヱ門を指した。
「またな、八左ヱ門」

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