リク5 その3
「あら兎織、早かったのね。おかえりなさい」
騒ぎを聞きつけてきたのかのんびりとした足取りで奥の部屋から出てきた母さんは、こちらに向かってひらひらと手を振った。
「ただいま」
「お邪魔しています」
頭を下げた龍海さんを母さんは不躾に眺めると、その大きさに驚いたような顔をした。
それもそうだろう兎族で龍海さんほど大きい人は見た事がないし、目の前で見ると迫力がある。
「あらぁ、あらあら。兎織から話は聞いていたけど本当に大きい人ねぇ、天井にぶつかりそう。部屋の入り口はそんなに高くないから気をつけてね」
平均身長の高くない兎族の家は全体的にこじんまりしている。
元々の種である兎が穴倉暮らしだったからか、狭い場所のほうが落ち着くのかもしれない。
我が家もその例に漏れず小さめの造りなので大柄な龍海さんには少々辛そうで、スマートな人だから頭をぶつけたりはしなかったけれど、扉をくぐる度に頭を下げて鴨居をよけなければならないのは面倒そうだ。
「ご心配ありがとうございます」
「いいのよー、あがってあがって」
機嫌よさそうに笑った母さんに、内心でホッとする。
龍海さんが言ってくれたように両親が反対したとしても離れる気などないけれど、やっぱり受け入れて祝福して欲しい気持ちはあった。
大好きで大切な人だから、拒絶されるのは怖い。
龍海さんが1番大事だと思うけれど、母さんや弟妹達がどうでもいい訳じゃない。
20数年一緒に過してきて、これからも一緒に居たい大事な家族だ。
「兎織?」
「な、なに?!」
「なにって、アンタなにぼんやりしてるの? ほら、お客さんをいつまでも放って置かないで客間に案内なさいよ」
「あ……。ごめんなさい、龍海さん」
ぼんやりと考えこんでいた僕は動きを止めていたらしく、母さんに指摘されてようやくその事に気がついた。
クスクス笑い『誰に似たのかしらねぇ』なんて言いながら母さんがお茶を淹れに台所へ向かうのを見送ると、龍海さんが心持ち抑えた声で心配そうに僕に話しかける。
「気にしてないが、……なにか考え事か?」
「考え事って言うほどじゃないんですけど、僕は欲張りだなって思いまして」
「兎織が?」
「はい」
軽く驚いたように目を丸くした龍海さんが、しばらくの間があってふわりと破顔した。
穏やかで優しい笑顔にどきりと胸が跳ねる。
「私としてはもっとわがままになって欲しい」
「僕は今でもわがままですよ?」
「まだ足りない。私は兎織の為にもっといろいろしてあげたいと思っているし、努力は惜しまない。兎織が望むなら自分のちっぽけなプライドなどいくらでも捨てよう」
ちっぽけなプライドと簡単に龍海さんは言うけれど、龍族はプライドの高い種族だ。
彼らのプライドは才能と歴史、それになによりも努力に裏打ちされたものであり、おいそれと捨てていいようなものではない。
だけど龍海さんがそう口にしたという事は、実際になにかあれば自分のプライドなど二の次で僕の為に尽力してくれるという事だろう。
嬉しい、……けれど、ちょっと違う。
「駄目ですよ」
「駄目か?」
「駄目です。だって僕は龍海さんの自分を信念を貫く所も大切なんですから、僕のためにも自分のプライドは捨てずにちゃんと守ってください」
龍海さんが何かを失って、僕が何かを手に入れるのはやっぱり違う。
これから長い時間を一緒に過ごすなら、相手の痛みを自分の痛みに感じられるような、相手の幸せを自分の幸せと感じられるような関係でいたい。
「なかなかに手厳しい」
「言ったでしょう? わがままなんです」
龍海さんの指に自分の指を絡めて繋ぐ。
この手をずっと繋いで居る為に、僕も努力を惜しまない。
両親からどう思われるのか、まだ不安だけれどこの手の暖かさがあれば頑張れる。
そう、確信していた。
客間に龍海さんを案内してすると、あまり使われていない部屋独特のよそ行きの匂いがする。
「狭くて落ち着かないでしょうけど、ゆっくりして下さいね」
普段使いの座布団よりもふかふかのちょっといい座布団を龍海さんにすすめた。
昔同じような座布団を畳の上でどれだけ滑らせられるか弟と競争して、母さんにこっぴどく叱られたのが頭をよぎり内心で苦笑する。
「いや、初めて来たはずなのに不思議と落ち着いている。兎織に似た気配がするからかもしれないけれど」
「似た気配? 家族ですか?」
「それもあると思うが、なによりもこの家自体が穏やかで暖かい雰囲気がする」
龍海さんが上をじっと見つめて嬉しそうにしているのに習い、僕も天井を見てみるけれどよく判らない。
首を傾げる僕に龍海さんは優しく笑う。
「自分では判らないかもしれないな。でもこの家はとても落ち着く」
「僕には判らないみたいですけど、龍海さんにそういって貰えて嬉しいです」
「兎織と一緒にこういう優しくて穏やかな家庭を作れたらいい」
「へうっ?!」
普通の会話に突然甘い言葉が混じり、驚きのあまり変な声が出て尻尾がボワッと膨らんだ。
自分でもわかるくらいに顔がカアッと赤らんで、バクバクと鼓動が早鐘を打つ。
「可愛い」
「た、龍海さん!」
「ふふ、兎織の反応が可愛らしくてつい」
楽しそうに龍海さんは笑うけれど、僕はそれどころではない。
実家という自分の本拠地でぐらい格好をつけたいのに、完璧に龍海さんのペースだ。
性質が悪い事にそれが嫌じゃないなんて、龍海さんが好きすぎて本当に末期。
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