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リク4 その3
「よう、遅かったな」

「長……」

ひらひらと手を軽やかに動かして長は笑う。
自分が今回の騒動の主犯だという自覚のない仕草に、怒りを込めて睨みつける。
わざとドスドスと足音を立てて近づくが、長は笑うばかりで怖がった様子すらない。

「おうおう、怖い怖い」

明らかに馬鹿にした口調に、心配や怒りでおかしくなった俺の堪忍袋の緒は簡単に切れた。

「例え長でも、日向を傷付ける奴は許さない」

明らかな敵意を込めて硬質化した拳を突き出した。
長の首から数ミリの箇所に突き刺さった腕は木製の壁に大きな穴を開け、パラパラと細かい破片が床を汚す。

例え長が一族だとしても、俺の力で殴られれば無事ではすまない。
別段殺すつもりで殴った訳では無いが、避けようとしたら足の骨ぐらいは折っていただろう。

「相も変わらず短気な奴だな、お前は。そんな余裕が無い態度だから日向が泣くんだぞ?」

長の言葉にビクリと俺の身体が揺れた。

「泣く、……泣いていたのか?」

「別に大声で泣き喚いた訳じゃないけどな、目元に涙を浮かべて悲しいのを堪えていた」

普段から感情を素直に吐露する日向が泣く事を堪えたのは、……いや違う、『堪えさせてしまった』のは俺だ。
今回の事、そして今までの態度でどれだけ日向に無理を強いてしまったのだろう?

俺は他人の感情に疎く、医者のように口も上手くない。
日向にどれだけ寂しい思いをさせてしまったのか、俺には想像も出来なかった。

「ほれ、おいで」

「どこに」

「お前の奥さんの所だ」



家の奥に用意された客用のベッドは誰が来てもいいように整備されていたのか、スゥスゥと規則正しい寝息を立てて眠る日向は、ふわりとした毛布の端を掴んだまま気持ち良さそうに眠っていた。

「日向」

「っと、待て待て!」

日向を起こそうとする俺の腕を長が掴んで引き止める。
目の前に日向がいるのに近づけない事に焦れるが、長が無用に声をかけるとも思いがたくグッと堪えてその場に留まった。

「深く眠らせてあるから強引に起こすと身体に異常をきたしてしまう」

「……っ! 何故そんな酷い事をした?!」

「お前が阿呆だから」

「なら私に直接すればいいだろう!」

「お前は自分の事が大事じゃないからな、こうでもしなければ痛みは与えられない」

「そ、れは」

それは事実だ。
もし日向を守って死ぬとしたら、その事に俺は一片の後悔もない。
仮に日向がそれで泣くのだとしても、俺はその状況になったら自らを犠牲にする。

「日向は最後まで躊躇ってた」

「え?」

「気配を感じられない状況にして自分が居なくなれば確かにお前は反省するのだろうけれど、凄く傷つくのがわかってるからしたくない。両親が居なくなったのが傷になってるのだから傷口を抉るような事は出来ない、とさ」

「……日向」

俺に怒っていたはずなのに日向はこんなにも俺の事を心配してくれている。

自分が守っているなんて思いあがりだ。
俺は、こんなにも日向に守られている。

「でも俺が強行した。膿んだ傷は1度開かないと治らないからな」

長は俺の心臓を指先でツゥとなぞり、傷を付ける仕草をした。
実際に力は込められていないため傷1つ付く訳では無いのに、何故か心の奥まで見透かされたような気がしてドキリとする。

そんな俺を知ってか知らずか長は日向の傍に近づくと、片腕で身体を支えながらゆっくりと起きあがらせた。

「深く昏睡してるけど問題はないからな」

「あんなに痛いのにか?」

幼い頃を思い出して首の裏を摩る。
そんな俺に長はにやりと笑い、信じられないような事を言い出した。

「ありゃあわざと痛くしてたんだ、お前らは夜になっても全然寝やしねぇからな。痛くされたくないってさっさと寝るようになっただろ?」

「なっ」

「言っても聞かねぇからな、実力行使だ」

「……なんて保護者だ」

「だけど寝起きはすっきりだろ? 元々こりゃ病気や怪我をした奴に深く眠らせて回復させる方法なんだ。だけど力加減が本当に難しくてな、力が強すぎるお前には教えられん」

そういうと長は日向の首を軽く押さえ、グッと力を込めた。

「……ん」

小さな呻きにドキリとするが痛みはないらしく日向はいまだ眠りの淵に居る。

「たっぷり寝た後だろうし、しばらくしたら起きる」

長はベッドの上に再び日向の身体を横たえると、俺の肩をポンポンと軽く叩いてドアの外に出て行った。
そのまま長は外まで出て行き、気配はもっと強い気配と合流する。

おそらく強い気配は朝日だろう。
日向の無事を知ったのか、荒れた気配が次第に落ち着いていく。

「日向」

柔らかい日向の髪を撫でると、自分の心が氷が溶けるように落ち着いていく。
ガチガチで角だらけの心が、柔らかく変わる。

「……日向」

存在を確認するように頬を、唇をなぞった。
弾力のある肌が指に暖かな感触を残す。

失ってしまうかと思った。
無くしてしまうかと思った。

謝る事すら出来ないまま。



「……、朔、夜?」

「日向……」

うっすらと目を開いた日向は傍に居る俺を不思議そうに見て、スッと手を伸ばした。
その手は俺の顔をゆったりとした仕草で撫でて、困ったように笑う。

「泣いてんのか?」

「……俺は泣いているか?」

「濡れてるじゃん」

眼前にパッと開かれた日向の手は確かに濡れていて、初めて俺は自分が泣いている事に気がついた。
自分で頬をなぞってみれば確かに涙が溢れていて、零れた涙で指がしっとりと濡れる。

「怒ってやろうと思ってたのにな」

ため息混じりに日向が俺の頬に両手を当てると、目元に唇を当てて触れるだけのキスをした。
日向の唇は涙でスッと濡れて艶やかな色合いに変わる。

「珍しいもの見れたからいいや」

軽い言葉で俺の事を許してしまう。
情けない俺に存在価値をくれる。

ああ、そうか。


俺は
愛されてるんだ。


「日向、……すまない」

日向は俺の言葉に頷きながら、壊れたように止まらない涙を優しく拭ってくれる。
俺の中に膿みとして溜まっていた感情が零れるように、涙は長い間流れ続けた。



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