リク3 その1 この国1番の宿屋は大理石独特の白く清潔な床をキラキラと輝かせ、俺達を温かく迎えてくれた。 ホールにさりげなく飾られた絵は俺でも見た事がある有名な画家の物で、ついつい興味深く眺めてしまう。 普段使う宿よりもずっとランクが高い宿で、大輪の花が飾られたあの花瓶だけで、数年は悠々遊んで暮らせるだけの価値がある。 薬草幾つ分かなぁ…なんて考えてしまう自分の貧乏性が少し悲しい。 「この度はご宿泊頂き、まことにありがとうござ…」 「そんな挨拶はいい、とりあえず風呂に入らせてくれ」 深々と頭を下げた宿の主人であろう年配の男性は、言葉を遮られ目をパチパチと瞬かせた。 内心こうなるのではないかと思っていたから慌てはしないが、もうちょっとこう、社交的になれないものか。 「は……? は、はい、只今」 主人はしばし呆然としていたがそこはやはりプロと言うべきか、直ぐに正気を取り戻して再び頭を下げた。 「別に案内は要らない、どっちだ」 「はい、そちらになります」 短い返事を半分も聞かずスタスタとその場を立ち去る勇者に、宿の主人は暗い顔をする。 勇者が立ち去った後に残された俺に向かって、困惑混じりの笑顔を向けた。 「やはり勇者様は、王を救って下さったのに投獄された事を怒っていらっしゃるんでしょうね」 王に取り付いた悪魔を倒した俺達は、王に刃を向けたとして投獄された。 実際は王を救おうとしてやった事とはいえ、傍から見ればただ単に謀反を起こそうとしているようにしか見えないのだから仕方が無い。 目を覚ました王から事の真相を聞かされた兵士達は気の毒なぐらい恐縮して、頭を打ち付けんばかり何度も下げ床に伏せた。 投獄した彼らは自分の仕事をこなしただけで悪ではない。 そんな事は百も承知な勇者は不機嫌そうな顔をしていたが、別に怒っている訳ではなかった。 宿の主人を安心させる為に俺は穏やかな笑顔を主人に向ける。 「彼は怒っては居ませんよ」 「え、でも……」 「彼は人に頭を下げられるのが苦手なんです」 勇者だと奉りあげられて人から頭を下げられる事が多い彼は、そんな自分のあり方を好きではない。 同じ目線で物を見て、同じ感情で物を考え、同じ物に感動出来るのに、自分だけ別物として扱われるのは寂しいのだろう。 俺も彼を勇者だと思っている。 でもその感情で視界を曇らせて、彼を等身大の1人の人間として見れなくなる事だけは無いようにしたい。 彼の1番近い理解者でありたい。 「それに元々の顔が怖いからそう見えないかもしれないですが、あの顔は照れてるんですよ」 「そうなんですか?」 「ええ」 賛辞の言葉やありがとう、そんな言葉をかけられる度に彼は照れる。 自分がした事の結果、誰かが笑顔になったのが嬉しくて、自分の力が誰かを救えた事が幸せで。 だけど恥かしくて素直に喜べない彼は、笑ってしまわないように仏頂面になってしまうのだ。 「今も貴方が気を使わないでいいように引いてしまっただけなんです、お気を悪くしないで下さいね」 「め、滅相も無い! あの方が救って下さらなければこの国は滅んでいました、気を悪くするなんてありえません!」 「ありがとうございます、そう言って頂けて……」 「おい」 「わっ!!!」 宿の主人と話すのに集中していた俺は、引き返してきた勇者が背後に立っているのに気付かずビクリと身体を揺らした。 バクンバクンと心臓が妙な音を立てて激しく動き、ブワッと冷や汗が出る。 「ふ、風呂に行ったんじゃなかったのか?」 「お前も着いて来てるかと思えば立ち話してるしよ、何してんだよ」 「何って話を」 「話してるのは見りゃわかる、アホか。疲れてんのに、変な弁解してるんじゃねぇっつってんだ」 不機嫌そうに眉根を寄せて勇者は俺を睨むけれど、一緒に旅をしてきて俺には彼の仏頂面に免疫があった。 睨んだって全然怖くない。 だって本当は優しい人なのを知っている。 「悪いがこいつも連れてく。昨日からまともに休んでなくて疲れてるんだ」 「お、おい……!」 グッと腕を引かれ、つんのめりそうになる身体を勇者の腕が支えてくれる。 前衛で戦う彼の身体はガッシリしていて、筋肉のつき辛い俺の身体がぶつかってもびくともしなかった。 同性として羨ましく、彼に複雑な思いを抱くものとして心臓が跳ねる。 あまりにも距離が近くて、心臓が止まりそうだ。 「すまないが風呂からしばらく人払いしてくれ、誰かと一緒だとゆっくり休めない」 「今日は当宿全て貸切でございます」 「そうか、助かる」 手首を握られたまま強引に引っ張られ、そのまま連行される。 宿の主人がまた気を悪くしたのではないかと振り向けば、主人は笑顔でこちらを見送ってくれ安堵した。 勇者は評価を気にしないけれど、俺は素晴らしい彼という人間の評価が下がるのを許せない。 世間の言い分なんて放っておけなんて彼は言う。 だけど誰より優しく、誰より強く、誰より愛おしい彼を悪く思われるのは絶対に嫌だ。 (狭量だな……) 自分の心の狭さに呆れながらも、握られた手首の感触に笑んでしまう。 1番近い距離にいる事がこんなにも幸せだ。 |