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鍋料理は一番手っ取り早く簡単だ。野菜を切って出汁作って味調節して(楓は薄味好みだから薄味で)、ぜんぶ一緒に煮れば出来上がり。豚肉も入れる。
あとはこれと取り皿をリビングに運んで、飲み物やらその他諸々を準備して、完璧だ。白い湯気が立ち上るなか、私は紅白を見る為にテレビをつけた。画面には、今人気の男性演歌歌手のドアップが映し出されている。それを見て、楓の方が数倍男前だなぁなんてぼんやりと思った。(こうやってテレビに映る有名人と楓を比べるのは私の悪い癖だ)
頬杖をつきながら、流れてくる知りもしない演歌を口ずさんでいると、楓がお風呂から上がった物音が遠くの方でした。しばらくして足音が近づいてくる。足音は甘い香りを振り撒いて、すぐ側で止まった。
「夏樹」
「んー?」
「俺コンビニ行って来るけど、お前なんか欲しいもんとかある?」
「え、今から行くの?お鍋どーすんの?」
振り向いてみたら、まだ乾ききっていない髪をタオルでがしがしと無造作に拭きながら此方を見下ろす楓が立っていた。
「悪い。先食ってて。すぐ帰る」
「だったら私も行くよ」
「来なくていい」
(……冷た!)
「なに買うの?」
「……漫画」
「漫画ぁ?ジャンプとか?」
「そー…。お前なんかねぇのかよ要るもん」
んー……特になにも……あ、そうだやっぱ要るわ。
「化粧水が要るんだった。あと洗顔クリーム」
「なら俺の…「駄目だって!メンズ用なんか使ったら肌突っ張りまくっちゃうし」」
「めんどくせぇな……」
(ってあんたが買って来るって言い出したくせに)
「女もんなら何でもいいわけ?」
「うん。あと化粧水忘れないでね。お泊まり用の安いやつでいいから。分かんなかったら店員さんに聞くか電話して」
楓は明らかに“めんどくせぇ”ってな顔で「そんだけ?」と言った。
「じゃあチョコバーと黒ごまプリンと!」
「お前それ以上食ったら今より豚になるぞ」
「今よりってなんだコラ」
楓は眉間にしわを寄せて「……どあほうが」と呆れた声で言うと、黒のダウンジャケットを羽織って出ていった。
しかしジャンプなんていつでも買えるでしょうに。そんなに読みたかったのか?楓って漫画とか好きな人だっけ?
湯冷めして風邪ひかないといーけど……。
て、ああ!なんだか普通にここでご飯を食べていて……お泊りをいよいよ実感する。ま、まぁなんとかなるのかしら。成るように成れ、かしら。それよりさぁご飯ご飯。ご飯を食べるわ私。
ドキドキしながら白菜を次々に頬張っていく私。
物思いに耽る。紅白を見ながら鍋……こーゆうのって前までは家族団欒でしてたんだよね。中学生の時は楓んちで年越しそば食べたわ……。懐かしい。なんか、変わったな。私の置かれている環境も、楓との関係も。時間は止まってはくれないんだもんなぁ……。今年もあと数時間したら終わっちゃう。一年の終わりってどうしてこう物悲しいのだろう。けど今年も楓は一緒。不思議だ。なんて紅白見ながら鍋つついてたら感極まってきちゃって涙が出てきた。アホらしい。
我に返ると、机の上に置かれていた携帯が振動していることに気付く。
「ぐす………誰だろ」
楓かな。涙を拭って携帯開いて、ディスプレイを確認する。そこには“尾倉さん”の表示があった。尾倉さんとはバイト先の店長だ。こんな時間に店長から電話があるなんて物凄ーく嫌な予感がするわけだが、とりあえず出る。
「もしもし……」
『あ、水無瀬ちゃん。今ちょっと平気?』
「店長ー…無理です……」
『ちょっと!早いよ!なんでー分かっちゃった?』
分かるよそりゃあ店長から電話があるなんて理由は一つしかないんだから……。渋い顔で菊菜を摘まむ私。
「とりあえず聞きます……」
『うん。それが明日シフト入ってる山田君が来れなくなったっていうからさ。インフルエンザになったとかで』
……山田ァァァ!仮病じゃねぇのか山田ァァァ!と、眉間にしわを寄せて菊菜を頬張る私。
「私は無理ですよ店長」
菊菜を飲み込む。
「明日は用事あるんでほんと。重要な用事が」
『えー?水無瀬ちゃんなら暇って聞いたんだけど』
「何の根拠に基づいた情報なんデスかそれ……(誰だよそんなこと言ったのは。根に持ってやる)」
『もしかして彼氏と初詣行ったりすんの?』
声が若干笑っているように聞こえたのは気のせいかしら。
「そうですだから無理です(えーい面倒だ!)」
そうは言っても店の都合も分かっているので、ひとまず空きがありそうな従業員に私からも連絡を取ってみるということで店長も納得し、私は貴重な正月休みを死守したのだった。
誰かに押し付けるのは心苦しいけれど、悪いのはインフルエンザに負けた山田だ。私は滅多に電話しないバイト先の先輩に連絡を取った。返事は、「いいよ暇だし」とのことだった。その後特に会話が弾むでもなく話は終わり、電話を切ろうとしたところで玄関の方で扉が開く音がした。どうしてか焦った私は、「それじゃおやすみなさい!よいお年を!」と早口に言って電話を切ったのだった。
「おかえり!」
ぐりんと振り返れば玄関先で無言のまま靴を脱ぐ楓の姿がある。ガサッとコンビニ袋が音をたてて置かれたのを見て、すぐに私は「外寒くなかった?ジャンプ買えた?化粧水とかあった?」などと思い付く言葉を並べながら、満面の笑みで楓を出迎えに走った。そして腰を屈めて俯いていた楓が私を見上げて言い放ったのは、「……うるせぇ」の一言だった。
私の笑顔は一瞬にしてひきつり、周りの空気がピリリと緊張した気がした。こうゆうときは本格的に怒らせると怖いので素直に従っておく方がいい。私は悲しみをぐっと堪えてちょこんと膝を折ってその場にしゃがんだ。
そして楓は、何考えてんだか分からない表情のまま何も言うことなく、コンビニ袋から化粧水とビオレとチョコバーとプリンを床に並べた(弾き出されたとも言う)。
「あれ……黒ごまじゃない……」
「なかった。嫌なら俺が食うけど」
「ええ!食べるよ食べるよ!……」
楓が唐突に不機嫌になるのも毎度のことだ……。ビクビクしながら弾かれたものたちを両手で寄せ集める。そうしながら楓の顔を覗き見る私に対して、奴はあろうことか目が合うなりデコピンを食らわしてきやがった。軽ーくだったから痛くはなかったけれど、反射的に「痛ッ」と声が漏れて額を抑える私を、何食わぬ顔で無視するとリビングへとコンビニ袋を持ったまま行ってしまった。
「なんでデコピン?おーい、なんでデコピンんん?」
少しだけひりひりする額を抑えて、無言の後ろ姿を呆然と見送った。
チョコバーとプリンを冷蔵庫に仕舞い、その他を洗面台に置いて来る。去り際に鏡に写った私の顔ほど悲しげなものはなかったと思う。とぼとぼとリビングに戻ると、これまた何食わぬ顔で鍋を前にあぐらを掻いて、テレビを見ながらそれを豪快に食らう楓の姿があった。私はそれを見守りながら斜め隣に膝を抱えて座る。
良い食べっぷりだなぁと感心して、暫くの間その食べっぷりに見入っていたけれど、テレビに向けられていた楓の視線とぶつかり我に返った。
視線はすぐに反らされてしまったけれど、私の「……おいしい?」との問いに楓は前を向いたまま「うまい」とだけ言って、その後も淡々と食らっていった。
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