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浴槽に浸かって
宙を仰いで
爪先からじんわりと痺れるのに
瞼をきつく閉じてぼんやり想う


ある女子生徒のこと


彼女の照れた顔
慌てて早口な台詞
細かい仕草まで克明に思い返された


「好きって」


一人で過ごす時間には
必ずあの日のことを考える

好きです、とはっきりと
聴き間違う余地など与えない
ストレートな告白だったから
空耳だなんだのと逃げてはいられないのだ



ばしゃんと湯が波打つ
ぶくぶくぶく……
ゼルは耳が隠れるまで頭を沈めていった


(いちにさんしごろくしちはちきゅうじゅう……)


幾つか数えて浮上したところで
滴る水滴を両掌で頬を叩いて拭う
加減なしに叩けば思いの外痛くて
ひりひりする頬を労るように擦っていると
今度はどうしたことか無性に可笑しい
鳩尾の奥の方がむずむずとする

丸裸の両脚をばたつかせて
力任せに飛沫を跳ね上がらせた

貰ったチョコレートは
すぐに胃袋の中へと納めて
其れは養分となって
体の一部になったのだろう
誰に見つかるとも知れないし
下手な詮索をされようものなら堪ったものではないし
あれから幾日か過ぎて
無事に、何事もなく生活して
誰になんと言われるわけでもなかったのだから
あの日の出来事を知る者は雷神しかいない
ゼルはそのことに安堵していた
その場に居たかも知れない傍観者の存在など逐一覚えている筈もなく


記憶にない


覚えているのは
普段そう話すこともなかった三つ編みの図書委員さんに
“好きです”と言われてチョコレートを手渡されたことと
一部始終を見届けた雷神の、面喰らった顔
あの時の間抜けヅラといったらなかったな
そう可笑しくなるけれど


事態は深刻なものだ


紛れもない告白だったのだから
今すぐにでもイエスと伝えたならば
二人は恋人同士に成り得るのかも


如何様にするにも己の心一つ
そういうことか、と考えるのは
ここ何日も続けていたことだ
そして、そこで、終わる


ゼルは
ぱしゃんと水音をたてて膝を抱えて丸くなった


(けどあの子のこと……何も知らないんだよな……)


三つ編みがトレードマークの図書委員さんは
普段からあまり目立つような存在ではなく
極偶に図書館へと足を運べば
柔らかい笑顔でもって迎えてくれて
親切丁寧に対応してくれる


好印象で
女の子らしく慎ましやかで

彼女のことで知っているのは
良いことばかりだ

けれどそれだけで
他には何も知らない


どうやって怒るのだろうとか
どうやって泣くのだろうとか
知らないのだ


(結局考えても埒が明かねえじゃねぇかあああ!)
「……ほんと、どうしよう」










湯上がりに暫くの間半裸で過ごしてもそう寒くはなくて
近頃春めいてきているのか少し前に比べれば随分温かい
半裸のままベッドに俯せて寝そべると
シーツと密着した箇所がひんやりと心地好かった



枕に伏せた顔を起こして見れば
デジタル時計は10時を示している


う〜んと唸りながら寝返りを打って
熱が溜まってだるくなった脚を伸ばすと
頭の後ろで両手を組んで天を見つめた


(明日、話をしてみようか)


自分から彼女に声を掛けてみる

何から話そうかなんて考えたところで計画通りにはきっといかなくて
けど、何か、どうにかなるかも知れない

今の段階で彼女のことを好きかと自分に問うてみても
答えは“分からない”のであって
答えを出すにはまず


自分から声を掛けてみる








「寝る!おやすみなさい!」


いつも手を伸ばせば届くはずの照明のスイッチだが
ずぼらに探すものだからなかなか当たりが掴めず苛ついて、仕方なく、
一度上体を起こしてから腰を捻ってスイッチを押した



それから寝付く間も無くだ


来訪者を知らせるブザーの音が控えめに鳴ったのは

普段滅多に鳴らないブザーの音で
久しぶりに聴いた気がする
機能していたのかとすら思った程だ

そして

「……誰だ
こんな時間に……」

自分にしか聴こえぬぐらいの小声で呟いた


無視を決め込もうと掛け布団を頭から被って



「あの、ゼルさん……いらっしゃいますか?夜分遅くにすみません」




(!!??)




スプリンクラーが激しくギシリと鳴り響く


起きたのは、ほぼ反射的に、
その反応は電気ショック宛らの俊敏さで
ゼルは息を詰めて薄暗がりのなか眼を凝らした


(……)



「私です……図書委員の……」





暗闇に消え入るようなか細い声


人というのは気が動転すると
意図せぬ行動をしてしまうらしく
ゼルは傍にあった枕を抱えるとそれを忙しない手つきでやたらに弄ったり、シーツを無意味に擦ってみたり
落ち着かない


あの子がどうしてこんな時間に!?
何をしに!?

そして自分は今この瞬間に何をすればいいというのか

暫く沈黙する空気に
茫然としている場合ではないと我に返った時


「ごめんなさい。改めます……」


ドクンと跳ねる心臓

「わ!」と思わず声を上げて
急いで照明を付けて立ち上がり

短い廊下を軽快に跳び跳ねて
ものの数歩で其処へと距離を縮めた
二人を隔てるものは扉一枚のみだ
彼女もゼルの気配に気付いたのか
緊張からか、上擦った声になる



「……ゼルさん?」


「あ、あの、私、その、えっと……」



ゼルは辺りを見渡す
とても片付いているとは言えない
脱ぎ散らかした服
放置された幾つもの雑誌はページが開かれたままである


「あー!話、長くなるかな!?」



漸く聴けた想い人の声に
三つ編みの図書委員さんの頬と耳はほんのりと色づいた



「えっと……」


三つ編みの図書委員さんは、ふらりとよろめく
心臓が口から飛び出さんばかりに脈打っていて
眩暈、酸欠、悪い病気にでも掛かったようだ



「ちぃと待ってくれ!」




「はい」と唇が形作るより早く
ドタンバタンバサッドンッと息も吐かせない物音がして
驚いて圧し黙る

時折「クソッ」だとか「あーもう」だとか聴こえてくる度に、
可笑しくなってついつい笑顔になってしまうけれど
内心どうしようもなく後悔もしていた


(怒らせていたらどうしよう……
やっぱりこんな時間に押し掛けたら迷惑だったわよね……
私のバカ!考え直せば良かった…!)


「ゼルさん、突然、こんなに遅くに伺ってしまって、本っっっ当にごめんなさい!私、帰ります、だから怒らな」


いで、と言い掛けたところで
シュンッといきなり扉が開いたものだから驚いて目を見張ったが
その目に飛び込んできたのが上半身裸のゼルの姿だったものだから三つ編みの図書委員さんは卒倒する勢いで仰け反った

ゼルは慌てて彼女の腕を掴んで引き寄せる


それ程強く引いたわけではなかったが、人形のように力無く倒れてきた三つ編みの図書委員さんは


トス、とゼルの胸元に
吸い付くように
綺麗に収まったのだった




「あ、ごめんな……吃驚させちまって。っておわ!俺服着てねぇ!」


視線を落とせば云わずもがなな光景がある


シーンと静まり返る廊下
肌寒い空気だけが通り抜けていく
ゼルは辺りを入念に伺って、目撃者のいないことを確かめに確かめてから
彼女をなかば強引とも取れる手付きで部屋のなかへと導いた


素早く扉を閉めて
念には念をでロックも掛けて




「俺もさ、君とちゃんと話したいと思ってたんだよな」



ゼルは真っ赤なパーカーを着込みながらそう告げる
三つ編みの図書委員さんはそわそわと落ち着かない


「でもまさかこんな時間に訪ねてくるなんて思わないから……ほんと、びっくりしたぜ」


視線を泳がせていた三つ編みの図書委員さんだったが
パーカーのぽっかりと空いた口から
ひょっこり頭を出したゼルを見て気付く

髪がいつもの鶏冠頭でなくて
ストレートで前髪があって
それもまだしっとりと濡れている


「おーい……どうした?」


普段見たことのない髪を下ろした姿は
新鮮でいて、瞼に掛かる程の長さの前髪が
柔らかそうでつやつやで綺麗で……

見惚れていると、視界に大きな掌が現れて
それが左右に揺れた



大事なことを思い出した気がした



そうだ
どうしても伝えたいことがあったのだ
時計の針が12時を過ぎたら
大好きな人の誕生日
誰よりも早くそれを祝いたくて
朝になって授業が始まってからではいつも通りになってしまう気がして
誰に先を越されるとも知れない
それに
この機を逃すと平行線は変わらない気がした

バレンタインの日に一大決心のもと告白して
呆気なく過ぎ去ったホワイトバレンタインに心が折れて脱力して拍子抜けして
もう駄目なのだろうかと思ったけれど
そう簡単に諦めのつく感情ではなく
駄目にしろ、はっきりと本人の口から聞きたい

そう思うからこそ
わざわざこんな時間に意を決してやってきたのだ




(よしっ頑張れ私!せっかくここまで来たんだものっ!覚悟を決めるのよ!)


「……私!ゼルさんの気持ちが知りたいんです……っ」


ゼルは手を引っ込めた
そして身を堅くした


「ホワイトバレンタインに、もしかしたら
答えが聞けるかも、って思いました……」


(しまった。そんなことすっかり……)


チョコレートを貰ったことで
ゼルの中では一連のイベント事は終わっていたらしい


「でも聞けなくて、あとはもう今日しかないって
……あれこれ悩んで時間ばかり過ぎて、それで」


「ちょ、ちょっと待ってくれ!
俺もそのこと考えてたんだ……
でもまだ答えられそうにねぇ……」



彼女は素直に欲しい
恋人の存在を夢見ることは極自然にあるわけで
心の拠り所にもなるだろうし、単純に楽しいだろうし
これはあぶれ者から脱出できるチャンスなのだろう

けどこの感情には、見栄やらその他も混じっている
彼女を作るには動悸が不純でどうも気が進まない


彼女って、どうやって作んの?って感じだ



「……分かりました、あの、いいんです、私、」



単純に、ゼルさんのこと
ずっと好きでいてもいいですか?




(……)

「ええっと!……誕生日プレゼントだけでも受け取ってくださいますか?」



「ゼルさんは赤色がお好きだから赤色のリストバンド探してきました。リストバンドなんて……とも思ったんですけどゼルさんが付けて下さったら凄く格好良いだろうなって思うものがあって、それから、食堂のパンもお好きだからそれも……。あとこれは私のお奨めなんですけれど……絵本を……。ゼルさんはあまり本を読まれないみたいだから絵本なら、と思って……。ああ!バカにしてるわけじゃなくって……!」


三つ編みの図書委員さんは全て言い終わるまで勢いを止めなかった



「いんや、すげぇ嬉しいよ。嬉しいけどそんなに貰っちゃっていいのかなって……。前に格闘王シリーズの三巻だってくれただろ?あれすっげぇ欲しかったヤツだったんだ。俺は君に何もお返ししてやれてねぇってのに……」


「いいんです!!」


「どわっ」


「わ私が!私が好きでしていることなんだからっ」


「……そ、そっか、ありがとうな。けど一つ聞いていいかな?ずっと聞きたかったことなんだけどさ……」


「はい……」


「俺なんかのどこがそんなに、す、好きなのかなって」


「なんかとは何ですか!?」


「ぎゃっ」


「あ、いや、だって俺って男にしちゃ背も低いし、頭だって良くはないし、取り柄っていったら元気なことぐらいっつーか……。君みたいな子がどうして、って」


「ゼルさんは素敵です!格好良いし、お強いし、それでいてお優しいし、スポーツだって万能でらっしゃるし、笑顔が……とても可愛らしいですし……!や、やめてくださいもうこれ以上!いやあ!恥ずかしいっ」


「あ……え!?……あ、ご、ごめん……!でも恥ずかしいのは俺の方っつーか……、なんか、すげぇ嬉しいよ、照れるけど……、ほんと、ありがとうな?俺のことそんな風に思ってくれて、さ」



ゼルは顔のみならず耳まで余すことなく血色の良い色に染まって
一方で三つ編みの図書委員さんの表情は曇っていく



「………。
私、分かってるんです。
ゼルさんに釣り合ってないってこと……。
貴方は太陽みたいな人だから……」


「……」


「けど……どうしても……好きなんです……
諦めようとしたこともありました。
私、地味だし目立たないし、可愛くもないから」


「そんなことねぇよ!
……か、か、か」


「か……?」


「か、わいいよ、俺はそう思う、よ」




可愛い、と思った
案外よく喋る子なんだ
あんなに大きな声も出せるんだ、と思った

いい子だな、と思った



やっぱり話してみないと
分からないもので

話せてよかったな、とゼルは思う




「これ、俺の気持ちな?今から伝えること
そのまま言うから、聞いていて欲しい」


赤くなった三つ編みの図書委員さんを
真っ直ぐに捉えて、自分が照れて仕舞わないように
努めて真剣に真摯にそう告げて
三つ編みの図書委員さんは、静かにこくりと頷いた





「……俺は君のこと
まだよく知らない。だから、好きとか付き合うとか、
そういうの全然分かんねぇし、このこと、今答えを出すのは無理だ」


三つ編みの図書委員さんは神妙な面持ちで頷く


「でも、君とこれからも色々話がしたい。
もっと君のこと、知りたくなった。だから……
ええっと、だから、なんだ……?
もう少し待って欲しいっていうのかな……。あ、でも
それまでに君に他に好きな人が……」


「できません!待ちます!待てます私ずっと!
ゼルさんが太陽なら、私は貴方に向かって直向きに咲くひまわりになりたいんです!」


「え!?」


「あ!……ご、ごめんなさい!
最近ベタな恋愛小説にはまっていて!」


「ひまわりか……。うおし!決まった!」



過ぎてしまったけれど
見よう見真似で用意した
心のこもらないお返しよりずっといい
喜ばれるものを……そう考えた



何が決まったの?と三つ編みの図書委員さんは不思議がったが
ゼルは教えない
はぐらかして、沈黙が二人を包んで
時間がやたらと気にかかって
ちらちら見たって時を刻む速さは変わらないのに
二人して時間を気にした
シャイな二人には決してスムーズにとはいかない会話で場を繋ぐものの
中身なんてなくて
ありきたりで手当たり次第
それでいて心地好いと感じるのだから
案外ベストカップルなのかも知れない



「あ、ゼルさん!時計……」








12時




「あ……」







二人はもう一度顔を見合わせた




「誕生日おめでとうございます、ゼルさん!」


「あ、ありがとう……」



やはり照れる



「生まれてきてくれて、ありがとうございます。バラムにいらっしゃる、ゼルさんのお母さまにも……」




ゼルは少し伏し目がちになってしまうけれど
すぐに持ち前の、彼女の言葉を借りるなら、
太陽のように明るい笑顔でもう一度
「ありがとう」を言った




孤児だと知ったら
嫌われてしまうだろうか

生みの親の顔を知らないと伝えたら?
改めて話す時がきたら、その時にもきっと
自分は笑顔で言うに違いない


誤解だよ
太陽なんかじゃないんだよ
泣いたりして、失望させて、それでホッとするような
人間だったらどうする?


ゼルは俯いて黙り込んでいた
ふと見る隣の無垢な笑顔
なんだか心が温かい
ありがとう、ありがとう、
太陽でいたいよ


「ゼルさん、どうかしましたか……?」



「……んぇ!?なんでもねぇよ!?」





無性にむず痒くなって鼻の頭を掻いた






互いにまだ知らないこと
これからのことは
これからのことで









End.








お ま け




ゼルおめでとう!
(^ω^)この野郎!




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