小説
1
「……多智花、この状況はなんだ?」
「ん〜、ぼくがシュンさんを押し倒してます!な図?」
――まったくもって意味が解らん。
八雲の補習担当である真奈美の代わりに瞬が教室を訪れてみれば、案の定八雲は不服を訴えてきた。
勉強はイヤだの、飽きただのと文句を言いながらも最終的には渋々補習を受けてくれた八雲。だが、一時間もしないうちに限界がきたらしい。
ペンを放り投げて席を立ち、突如として瞬の後ろに回り込んできた。
「多智花、まだ補習は終わっていないぞ。さっさと席につけ」
「え〜!もう勉強は飽きたナリよ〜。今はシュンさんと遊びたいぃ」
こうやって絡みつかれるのは常のこと。時たまイタズラに髪を引っ張られたり、頬を摘ままれたりする事もあるが可愛いものだ。
だが、今回はそうも言っていられない。
何がどうなってこうなったか正直覚えていないが、気づいた時には思いきり床に押し倒されていた。
「た、多智花!」
「そんな大声出したら〜、誰か来ちゃいますよ?……仙道せんせーとか」
「…………っ!?」
特定の人物名に身体をビクリと震わせる瞬に、八雲は瞳を鋭くし瞬の白く滑やかな頬に手を添え撫でた。
「アイツのどこがいいんだよ」
八雲はドスの効いた声音を落とし、哀しげに瞳を揺らした。
そして、すぐに打って変わって甘えた声音を出す。
「ぼくだってシュンさんのこと大好きだよ?ねぇ、シュンさんはぼくの事嫌い?」
そう問われれば「嫌いではない」としか答えられない。だがそれは恋人として、ではなくあくまで友人としてだ。
瞬が無言を突き通していると、八雲は口元に黒さを含んだ弧を描いた。
「……既成事実作ったらぁ、シュンさんはぼくのモノになるかな〜?」
「なっ!?――多智花!!」
自分よりも小さな身体をしていても、相手は男だ。どうにか退かそうと肩を押すも、思い通りの結果は得られなかった。
肩を押す瞬の両腕を掴み、頭の上で一纏めに拘束する。
「やめろ!多智花」
「や〜だピョン。……うわぁ、シュンさんの肌柔らか〜い」
「……っ、やめ!」
なんとか逃げようと身じろぎする瞬をよそに、八雲は服を脱がそうと手をかける。
このままではヤバい。冗談抜きでヤバすぎる。
頭が混乱するなか、八雲の唇が首筋に近づいてきた。――瞬間、彼の中で何かが切れた。
「えへへ〜。シュンさん、いい匂――――っ!?」
満足そうに笑っていた八雲だが、不意に響いた乾いた音と痛みに言葉は途切れ、驚きに目を見張る。
見れば、瞬の顔は怒りに歪み赤くなっていた。
「いい加減にしろ、多智花!!……平手打ちで済んだだけでも、ありがたいと思え」
「シュン……さ、ん」
本来ならば拳で重く一発殴ってやりたかったが、何せ相手はアイドル。平手打ちでも問題ではあるが、拳よりはまだマシだろう。こうでもしなければ瞬の怒りも収まらない。
驚きに身体を凍りつかせた八雲も置いたまま、瞬は乱れた服を直して立ち上がった。その時には既に拘束も解け、容易に抜け出せた。
「お前は少し、そこで反省でもしていろ。……あまり、オレを失望させるなよ」
その言葉が、ズシリと八雲の心に重くのし掛かった。
そして扉の閉まる音と共に、八雲は崩れるようにして床に手をつき堪えきれない涙が零れる。
彼を失望させる気はなかった。ただ、少しでもいいから自分を見てほしかっただけ。
――ごめんなさい。ごめんなさい。
心の中で何回も何回も繰り返す謝罪。
それが彼に届くことは無いけれど、それでも止まらない言葉。
もう、笑いかけてはもらえないかもしれない。
もう、名前を呼んでもらえないかもしれない。
それでも、やっぱり彼が好きだから。
――どうか嫌わないで。
今はただ、そう祈ることしか出来ないから……。
―終―
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