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大事に



「これから、何をするつもりですか…っ」

「知りたいか?はは、どうせ動けねーし手持ちもいねーしな、教えてやろうか。」


人質に、と決めた人間は一人。人質が多いと、いざ何かあった時に混乱する可能性があるし、隠れたり監視や警戒する労力も増えるだろうと思ってのことだ。当のその女は5階スタッフルームに移し、手を後ろで拘束し、自分が今一人で見張っている。悔しそうに唇を噛み締める様が何とも堪らない。悪事を働いている、という満足感に胸が躍る。


「今、この百貨店の下には野次馬がたっぷりいやがる。そいつらを、」


これから起こる出来事に戸惑う人間達を想像すると、自然に口角が上がった。


「ポケモンを使って蹴散らしてやるのさ。」

「………っ!!」


女の顔色が悔しさから焦りへとさっと変わる。それから直ぐに俺を強く睨んだ。


「ポケモンをそんなことに使うなんて…!」

「それが俺達のお仕事なんでね。」

「許しません…っ」

「へえ。動けないし手持ちもいないお前に何が出来る?ポケギアもこの通り、取り上げられちまって…。」


自分の座る机の上にあるポケギアをコツコツと指で突きながら喉を鳴らす。女は一度俺から視線を外し、考える素振りを見せた。


「何だ、逃げる計画でも立ててんのか?」

「…、いえ…」


じり、少しだけ女は足を揺らす。それから再びこちらを見て、


「…おトイレ、行きたいんですけど。」

「………は。」


事も無げにそう言った。


「……ここで漏らしていいならそうしますけど?」

「…てめぇ…。」


どうします?女は首を傾げる。こいつ、どうやら大人しそうな顔して良い性格しているらしい。トイレも恐らくは嘘だ。トイレに行かせるという事は後ろ手にした拘束を解かなければならないし、見張りは俺一人。今考え得る限り、女が俺から逃れるために出来る最善かつ唯一の手段と言っても過言ではない。

…どうしたものか。見す見すトイレに行かせるのは失敗の元になるかもしれない。…ならば。


「…いい所にバケツがあらあ。」

「………は。」


隅の方に、雑巾が掛けられた青いバケツ。それを指差すと女はそれを横目で見てから俺に視線を戻し、素っ頓狂な声を上げて目を丸くした。立場はこれで逆転だ。


「人質のくせにトイレに行きたいなんて、おこがましいと思わねえ?」

「…っな、にを…」


女は真っ青になりながら、信じられないものを見るような目でこちらを見上げる。そうだ、求めていたのはその目だ。


「心配しなくてもそのスカートは汚れないようちゃあんと捲ってやるし、」


机から降り、女に近づく。一歩、また一歩。女はそれに合わせて床に座り込んだまま後ずさる。


「下着もちゃあんと下ろしてやるよ。」

「…っ、こ、の、変態…っ」

「褒め言葉をどうも?」

「……ッ!」


そう笑いながら女の頬に手を伸ばすと、思い切り蹴りが飛んできた。


「あっぶね。足も縛っとくんだったな。」

「危ないのはどっちですか…っ!!」

「くく…っ」


思わず喉を鳴らす。人間を怖がらせたり、からかうのはこれだから止められない。罵倒されるそれすらも一種の快楽だ。圧倒的有利な位置で聞く罵倒など、可愛い遠吠えに過ぎないのだから。


〜♪〜〜♪〜♪


そんな風に酔いしれてニヤついていた時、軽快なメロディが部屋に響く。誰だと言うのか、こんなときに邪魔をするのは。


「?…、…は?」


ぞくり、一瞬背筋が凍る。


「…?」


思わず女を見ると、女も目を丸くして俺が先ほどまで座っていた卓上を見つめている。そこにはリズミカルに点滅しながら着信を知らせるポケギア。勿論、俺のでは、ない。こんな軽快な可愛らしい曲を着信に設定した覚えはないし、なにより、俺のポケギアは右のポケットの中で大人しくしているのだから。つまりうるさくしているのは女のポケギアな訳だが、ポケギアが鳴っている、それ自体は議論ではない。今、俺が一瞬恐怖したのは、別のところに理由があるのだ。…、…その理由とは、女のポケギアが今鳴ってはいけない事にある。要するにそのポケギアは、"電源が切られていた"のだ。

ぞわ、もう一度背筋が凍った。俺はしっかりとあのピンク色のポケギアを、取り上げた瞬間に確実に、絶対に、電源を切ったはずだ。だからあのポケギアは今この時間に鳴るはずがなく、目の前で起きているそれは説明できない、異常な事態なのだ。

どくりどくり、嫌な音が心臓から響く間も、着信は止まない。女がこちらを怪訝そうに見ることで、現実に引き戻される。


「…、…ち、いいとこで邪魔しやがって。」


態とらしいとは思ったが、そう声を上げてポケギアに向かい、乱暴に掴んだ。名前を見てから女の方に向き直り、読み上げてみる。


「"マツバさん"?こいつ男か?」

「!!!」


すると目に見えて女が動揺した。自然と口元が歪む。


「はー、そういう事。」

「…やめっ、」


俺の意図を察したのだろう、女は慌てて立ち上がろうともがいたためにつんのめった。うつ伏せに倒れた状態のまま悔しそうに歯噛みする。それを見て、先ほどまでの恐怖は消え失せた。きっと電源を切ったと思い込んでいただけだ。女を見下し、ほくそ笑みながら通話ボタンを押す。


「もしもし?」

「どうも、マツバサン。」

「…どうも、ロケット団さん。」

「………は?」


聞こえたのは明るい男の声だ。それなのに、何故か地を這うような恐ろしい、冷え切った声だった。その上、こいつは今何と言った?


「……、」

「ああ、どうして分かったかって?…見えたからだよ。」

「……ち、」


見えた?ああちくしょう、またあいつらはやらかしたらしい。あれ程窓から見える位置を移動するなと念を押したはずだ。ロケット団だと知られれば警察に囲まれ、一般人を抑え込んでコガネシティそのものを隔離するという作戦が上手くいかなくなると、そう言ったのはずなのに!警察に囲まれたらこの人数では太刀打ち出来ないだろう。出来たとしても人数が減るはめになって、もう本当に二度とロケット団の復興などありえない。

それにしてもこいつ、"マツバさん"とやらではないのか?それとも、"マツバさん"は警察なのだろうか。


「それに、君がそこの彼女に触ろうとした事も、見ていたよ。」

「………は?」


穏やかにゆっくりと告げられた言葉が頭の先から背中までを冷たく撫でた。電話口の男は、まるで、…まるで本当に見ているかのよう、に?

そこまで思って直ぐに辺りを見回す。窓の外には何も見えない、何せこのコガネ百貨店以上に高い建物はこの窓から見える方向には無いので、こちらを見る事などポケモンで飛ぶかヘリコプターで飛ぶかしかないのだ。勿論部屋には俺と人質の女の二人きり。この男はどこにいるというんだ。女は突然振り返った俺を不思議そうに見上げていた。落ち着け、落ち着け。そう脳内で何度も呟きながら前に向き直る。


「ああ、もしかして僕を探した?」

「……どこにいるか言え。」

「…コガネ百貨店の前だよ。」

「ふざけるな!」

「ふざけてるのはどっちだよ。」


すっ、男の声が鋭く尖ったかと思うと、同時に部屋の体感温度も下がる。気付くと机に突き立てた俺の手がぶるぶると揺れていた。これは、恐怖などではない。そうだ、恐怖では…。落ち着くんだ、今、優勢なのは圧倒的に俺だ。振り返ればそこに、人質がいるのだ。


「…彼女に次に触れようとしたら、」

「したらなんだ?何が出来る?」


ぐるり、思い切り振り返り女に歩を向ける。余程余裕のない顔をしているのだろう、女は俺を見て怯えた目でびくりと跳ねた。ポケギアを耳に宛がったまま、女をつつこうと足を伸ばす―――


「ほら、どうなるって」


ぱんっ

ぱんぱんっ


「!!!」

「きゃ!?」


突然の乾いた音に心臓が大きく跳ねた。音のする方に剥いた目を向けると、外の景色に大きくヒビが入っている。一、二、…三枚。冷や汗がどっと溢れ出す。小さく悲鳴を上げた女の様子を窺う余裕は、もうなかった。震える指がポケギアを取り落とす。呼吸が乱れる。


「ほら、どうなるかわかった?」


おかしいおかしい、俺の指にはどのボタンも引っ掛からずにポケギアは落ちたはず。どうしてスピーカーホンになっているんだ。愉快そうに笑う男の声が舐めるようにべったりと耳の奥まで張り付く。現実にどんな人物が発しているのかは知らないが、その声はおぞましいものでしかない。恐怖で震える脳みそは眼球を動かす命令も瞼を閉じる命令も下す事が出来なかった。だからその声を生み出すポケギアを見ることも、ヒビ割れた窓ガラス達から目が逸らすことも適わない。

ねえ、そうなりたくなかったら、と男はゆったり、諭すように、けれどやはりおぞましいままのその声で囁く。"そう"という言葉が何を指すのかなど、言われなくても分かる。心臓がどくどくどくどくと、うるさい。


大事に扱ってよね
(名前ちゃん、待ってて。)
(マツバさん…っ)






(真っ青な俺の下、
女は頬を赤く染め、涙を溜めていた)
(泣きたいのはこっちのほうだ)
100718
個人的に書いてて楽しかったです




あきゅろす。
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