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エンディング

開いた口が塞がらないとは、まさにこの事だろう。


「お腹、空いてませんか?」


そう小さなビニール袋を掲げるのは、つい先程会ったばかりの名前ちゃんで、僕の頭は真っ白になった。「…なんで、」かろうじて零れた声は小さすぎて掠れている。「ここに?」


「倒れたと思ったら、貧血なんですって?何やってるんですか全く。」


耳に痛いだろう言葉を並べながら僕の入ったベッドのすぐ脇に立つ名前ちゃん。僕はようやく我に返った。


「何考えてるんだ、君は!」

「何って…おなかすいたって言ってたじゃないですか。だから、おにぎり。」

「そういうんじゃないってわかってるんでしょ?僕の"これ"が、どうして起きてるのか!」


思わず声を荒げてしまう。だって絶対に名前ちゃんは知っている。僕のこの状態が忌々しい吸血衝動が起因であることを。気持ちの悪い、妙な衝動が起因だということを。非科学的で、世間一般では異常性癖だの非難を受けるような、この異質な衝動が僕の精神を揺さぶっていることを。

あまりにも普通に声をかける彼女は、きっと僕を遠ざけている。一歩引いたところから冷静に僕を見下ろして。人目も憚らず彼女の首に牙を突きたてようとした気色の悪い僕から、もう心を離しているから、だからそんなに普通にこんなに気持ちの悪い奴に声をかけられるのだ。


「いいんだよ。見限ってよ、もう、君の手に負えないでしょう?何が吸血鬼だ、僕はきっと、異常性癖の変態なんだ。だから、もう、いいんだよ。」


思えば僕は、名前ちゃんを怖がらせるような真似しかしてこなかった。今更だ、全部、今更。そして今回のこれは決定打だ。


「よくないです。なんにも、よくない。」


僕の好いたよく通る声が、迷いなくぴしゃりと言い切った。


「まだ私は、先輩の質問に答えていませんから。」


「………は?」


質問とは何か。僕は名前ちゃんに何か問いかけていただろうか?浮かんだ疑問に思考が支配されている隙に、名前ちゃんが僕のベットに腰掛けた。既に起き上がっているいる僕が手を伸ばせば、優に届く位置に。馬鹿になった牙が疼く。


「あのねえ、君、状況わかってるの?」


片手で頭を抱える振りをして、両目を塞いだ。彼女が視界に入るだけで脳味噌が茹だってしまいそう。喉がからからに乾いていく。僕の人間としての理性と、吸血鬼の本能が激しく鬩ぎ合う。


「さっきわかったでしょう、僕は本当に今我慢がきかない状態なんだ。正直、今口を付けたら君を殺してしまうと思う。だから早く、」

「どうしてですか?」

「…どうしてって…、」


おかしいのは僕なのか彼女なのか。伝わらない言葉に苛立ちが募っていく。どうしようか、どうすれば彼女は僕から離れてくれるのだろう。そんな混乱の渦中にいる僕の左肩に、そろりと名前ちゃんの指が触れた。「触らないでよ。」「ねえ、どうしてですか。」両目を塞ぐ手の甲に、ふわりと彼女の声が落ちる。「離れてよ。」「ねえ、」


「どうして私の血を飲まないんですか。」

「死にたいの。」

「ねえ、どうして。」


深く吸った空気が、疼く牙を撫でた。


「…君を殺したくないから。」


言ってから、彼女は僕がこわくないのだろうかと、疑問が浮かぶ。そして彼女の言う質問が恐らくこれだろうことも思い出す。


「こわくないの?」

「……こわいですよ。」


そう言った名前ちゃんの声からも吐息からも、相変わらず感情が拾えない。けれど、


「だけど私は、先輩よりも私がこわいです。」


少なくとも恐怖を耐えるものではなかった。それなのに彼女はこわいと言う。「ダイゴ先輩。」凛と響く声が、僕に目線を合わせるよう促した。その響きが、駄目だろう、そう響く警鐘を打ち消していく。「せんぱい、」再度促す声に両目を塞いだ手が滑り落ちた。目の前にあった彼女の首筋から緩々と視線を上げる。かちりと合った凪いだ目に、やはり恐怖は窺えない。そしてどうしてかその目につられるようにして、僕の吸血衝動も鳴りを潜めていた。


「全部血をあげちゃいたいと思ってしまう自分が、こわいです。」


ここにきて初めて、凪いだ目が揺れた。同調するように名前ちゃんの唇が戦慄く。確認出来たのは数拍で、その数拍が経ったときにはもう彼女の姿は髪の毛位しか確認出来なくなっていた。左肩に触れていたと思った指はいつの間にか5本から10本に増えて背中に縋っている。代わりに左肩には彼女の小さな頭が埋まっていた。唖然とする脳みそは展開に追いつけない。ゆっくりゆっくり言葉を噛み砕き、ようやく意味を拾って展開を追っていく。

けれどそれは、脳味噌が見せた都合のいい展開なんじゃないか。と思うが早いか、名前ちゃんは更に言葉を溢していく。


「他の人の血なんて飲まないで、」「…ちょ、」
「私の血を飲んで、」「そ、れは」

「私だけの化け物になってしまったらいいんです。」「ぇ、」


がばり。顔をあげた名前ちゃんの潤んだ、けれど強い眼差しと、間抜け面だろう僕の瞠った目がぶつかった。


「 好 き で す 。」


好きです。その言葉が電気を帯びたように僕の体を駆け回る。

嘘だろ。どれだけ都合がいいんだ。電気を帯びた言葉を追って、僕が今まで彼女に見せてきた姿が走馬灯のように駆け回る。意地の悪い僕、素直じゃない僕、格好悪い僕、そして吸血鬼の僕。嘘だろ。君は一体誰をみてきたんだ。言っちゃあなんだけど、君が好きだって言うやつ、最悪なやつだよ。僕なら絶対惚れないね。そうだろう。嘘だろう。


「ごめんなさい。私はダイゴ先輩が、好きなんです。」


謝罪を挟んだ二度目の告白が、彼女が僕に好かれていると思っていないことを示していた。駆け回った言葉に走馬灯、それから吸血衝動が抜けた僕の体は、思わず苦笑を洩らした。自分で言うのもなんだけど、僕、わかりやす過ぎたと思ったんだけど。「ごめんなさい、」体を離し、立ち上がろうとした名前ちゃんを、今度は僕の指が彼女の肩に触れ、制した。

間抜け面ばかり晒して格好悪かっただろう。今更だけど、少しくらい格好つけようか。今まで何度も塗ったくってきた自信ありげな笑顔を顔に塗りつける。それでも多分、今まで一度だって塗ったことのない色で瞳は塗られているのだろう。君が僕から逃げないのなら、隠す必要はもうない。君が僕にとって特別だってことは。


「僕は君が好きだよ。だから、」


激しかった吸血衝動は、それが一体どういったものであったのかさえ既に思い出せない。それどころか衝動を忘れた瞬間に空腹を思い出し、それを訴えるべく胃が強く収縮して痛い。僕の胃にとっては君の血液なんかより、君の持ち込んだおにぎりの方がよっぽど魅力的だ。

ようやくわかった。僕は――――


「君の血じゃなくて、君が欲しい。」


ハッピーエンディング
(ありきたりの、)
(めでたしめでたし!)





150915
おわり!




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