毒
じゃああ、
きゅうっ、
流れ出る水を止め腰を折り、擦り切った膝を覗きこむ。入り込んでいた砂は洗い出す事が出来たらしい。ああ、保健委員のとこに行かなきゃなあ、なんて溜め息。いや、多分そんな事より、先輩に格好悪い所を見せた事に対する溜め息だったのかもしれない。折角応援してくれていたのに、情けない。ああもう、
「いったー…」
「こっちおいで。」
「う、わ…っ!?先輩!?」
水が蒸発してすうすうする膝から顔を上げると、にっこり微笑む先輩。何故裏庭にいるんだ。
「ほら、消毒液と絆創膏、持って来たよ。」
「……。」
瞬間、ぞわ。体育祭日和の暑い空気の中、水を打ったように身体が冷える。先輩におかしいところは何もないのに。先輩はただ、私の治療をしようと消毒液を掲げているだけなのに。
「どうしたの?」
「いや、保健委員だなって…。」
「ふふ、何言ってるの。」
はい、座る。そう言って先輩は、適当に誤魔化した私の手を引いて少し高い花壇に座らせた。私の前にしゃがむ先輩の顎先が、丁度私の膝と同じくらいの高さになる。上から見る先輩って、新鮮。そうやってどくどくと響く心音に気付かない振りをしながら、じっと先輩の治療を待つ。しかし一向に当の先輩は動く気配がない。そうしている内に、数秒。
「せんぱーい?」
業とおどけて声を掛けてみる。先輩はそれに漸く唇を揺らした。
「…、なめて、いい?」
「は?」
先輩の目線を追うと、私の膝を血が伝っていた。ああ、砂を洗い出したから傷が開いてしまったらしい。だけど、だから、何だって言うんだ。急激に脳みそが切羽詰まるのが分かる。追った視線を戻すと、私以上に切羽詰まった顔の先輩がいた。
本能が警鐘を鳴らす。許してはいけない。この人の行動を、許してはいけない。(『ねえ、』)許容するな。(『僕、』)拒絶しなければ。(あたまがいたい、)突き離せ。
(『どうしても、××、××いん、だ。』)
「…っだめ、です。」
「…どうして?いいでしょ、もう外に出たやつなんだから。」
余裕のない顔で嗤う先輩は余りに歪んでいる。わかっているのに、どうして私は先輩を蹴り飛ばすことが出来ない?思い切り足を伸ばすだけだ。そうすればがら空きの先輩の鳩尾に爪先は沈む。そんな簡単な事が、何故出来ない?
「もったいない。」
「き、汚いですよ!」
「…断る理由、それだけ?だったら」
もらうよ。そう言い終わる瞬間には先輩の舌が血を辿っていた。
「ちょ、せんぱ…っ、ちょ、痛い、傷、舐めてます…!」
「………。」
「先輩っ」
ちりっ。私の制止など聞かずに傷が抉られる。申し訳程度に先輩の肩を押す左手など、何の役にも立っていない。先輩から与えられる痛みとか、恐怖とか、いろんな感情に頭が白くなりそう。手持無沙汰な右手が取られて、先輩の頬に誘導される。ひり、ひり。
「誰か、来たら、どう、」
蹴り飛ばせ、早く、早く。
「来たって、別にいいんじゃない。」
早くしろ、蹴り飛ばせ!
「…よくない、」
…ああもうどうして!
「僕、お腹減ってるんだ。もう少し付き合ってよ。」
どうして出来ないんだろう…!
毒されるな!
(なんて、毒を飲んだ後じゃ)
(遅過ぎる!)
(懐かしい味、先輩が嗤った。)
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