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ごっこ


名前ちゃんに会った瞬間からずっと、何かを感じていた。脳内に警鐘が鳴り響く。見てはいけない。名前ちゃんを、見てはいけない。そう直感していた。


「今日はダイゴ先輩にあげたいものがあります!」

「え?」


いつもの帰り道、鞄を漁りながら名前ちゃんが笑う。取り出した可愛らしい包装箱を支える細い指に、僕の目が張り付いた。牙が、疼く。ああ、警鐘の正体はこれだったのか。


「じゃん!チョコレートケーキです!」

「え!」


楽しそうな声に我に帰る。箱に収められているのはチョコレートケーキらしい。箱が僕に押しつけられ、されるがままに受け取った。


「遅くなりましたけどテストお世話になりましたー。」

「え、わざわざ?」

「……、」


そう問うと、わざとらしく頭を下げていた名前ちゃんが、苦笑する。まあ、予想は出来るけれど。


「…実は家庭科の授業で…」


正直に言った答えは予想通りだったけれど、わざと少し眉を顰めておいた。…自分の気を逸らすために。


「余りもの?ってこと?」

「そんなことないですよ!これと私の分だけです!」

「……へえ。」


名前ちゃんの言葉に、何故か口角が上がる。苦しい。苦しいのに、頬が緩んだ。牙が疼く。自分の事なのに自分が分からない。牙が痛い程に、苦しい程に痒くて、"何か"に噛みつきたくなる。確かに初めからそういう気持ちはあったけれど、それでも押さえきれない程ではなかったはずだ。理性を突き崩そうとする突然の衝動の原因が、全く掴めない。ただただじっと箱を見つめるばかりだ。


「あ!甘いの平気ですか?」


その問いに緩く首を振る。ああああ、どうして、僕を、覗きこむんだ。衝動が理性を食い破る。血が熱くなって、箱を掴む手が汗ばんでいるのが分かった。唇は独りでに、彼女を誘おうと動き出す。


「うん、平気だけど…チョコケーキでなんで怪我?」

「……。」


僕の目はもう彼女の指から離れない。


「チョコを刻んで溶けやすくしたんですけど、…なれない事はするもんじゃないですね。」


手を少し持ち上げて見せられた左指の絆創膏に、血の痕が少しだけ滲んでいた。もう完全に血は止まっている。そんなことはわかっている。だけど、絆創膏を剥がして緩く牙を立てれば再び血は滲むんじゃないだろうか。立てたい、この牙を、立てたい。駄目だ、怖がられてしまう。匂いがする。甘い匂いがする。駄目だ。頭がくらくら、ぐわんぐわん。触るな、駄目だ。少しくらい、いいんじゃないだろうか。駄目だ。指先から辿って、あの白い首筋を。駄目だ。だって名前ちゃんが悪い。駄目だ。あんな絆創膏、剥がしてくれって言ってるようなものだ。駄目だ。鉄の味なんかしないに違いない。駄目だ。きっと、甘い、甘い甘い甘い―――


「僕、そっちも欲しいな。」

「へ、そっち、って?」


甘そうな、名前ちゃん。



「 こ っ ち 。 」




腹の底から、笑いが零れそうだ。困惑する名前ちゃんの瞳に、僕が、僕だけが映っている。

べろり。舌で彼女の指を撫でた。絆創膏一枚隔てたその下の傷に、舌が疼く。

僕は、吸血鬼だ。

そう彼女も分かっているのに、動かない。いや、動けないのかもしれない。―――都合がいい。このまま、彼女を、あの時に、逃がさない、逃がすな、もう、あんな、逃がすものか、あの子を、僕の、僕の、僕の僕の僕の僕の―――


『怖い!』




ふいに、力が抜けた。名前ちゃんの手が離れる。急激に戻った理性が、頭から爪先まで冷やしていった。じっと俯く名前ちゃんに、無駄に都合よく動ける舌と頭が反射的に回りだす。


「なーんちゃって。びっくりした?」


その声に弾かれる様にして名前ちゃんが顔を上げた。彼女は相当驚いたようで、呆けた顔をしている。上手すぎる舌と頭に、驚いたのは僕も同じだったけれど。へらりと笑ってやると、名前ちゃんはみるみる内に眉を吊り上げていく。


「……っ変態!!」


その罵声と同時、右足に鋭い痛み。僕は大きく飛び跳ねた。「いったっっっ!!!」とんでもない痛みに何度も飛び跳ねる様はどんなに滑稽だろうか。ああ、格好悪すぎる。でも、それでも、予想した状態よりはずっとずっと痛くなかった。


だって彼女は怖がってはいなかったから。



ごっこだよ
(ごっこだ、)
(ごっこだよ、)




(……)
110422




あきゅろす。
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