平和
「あっつ…九月なんだからそろそろ勘弁してくれませんかね…」
「まだしばらくは暑いよ。」
大特価!コガネ百貨店!と書かれた可愛くもない団扇で、ダイゴ先輩の顔を扇いでやると、先輩は不快そうに眉を寄せた。
「生温い…」
「先輩のでこー。レア―。」
「やめて、よ!」
ダイゴ先輩は私から団扇を取り上げて、ぶわりと一度私に向けて仰いだ。
「わ、」
「でこー。」
「なにすんですか、前髪ぐしゃぐしゃになるじゃないですかー。」
はたはたと今度は自分に向けて扇ぐ先輩は力無く笑う。涼しげな髪色は見ていてなんだか涼しいが、
「先輩、私の団扇―。」
「ちょっと貸してよ。」
「もー。」
赤と黄で派手に着色されたそれが何だか先輩に似合わなくて、心の中でひっそり笑う。…平和だ。
先輩との交際の噂が広まってから一週間が経つ。私は未だいじめやら嫌がらせの類を受けていない。高校生にもなってというのもあるし、なによりそれなりの進学校なものだから短絡的な行為を起こそうとする人がまず少ない。頭のいい人間だとか、狡賢い人間だとかは、そういう行為で自分の評価自体が下がることを知っているものだし、なにより私はアカネやナタネといったそれなりに友達が多いうえに嫌がらせなどを嫌悪しそうな子達の親友でもある。正直何かしらあると思っていたから本当によかったと胸を撫で下ろした。…まあ、陰で何か言われている可能性はあるけれど、表立って事が起きなければそれでいい。
だから今、暑過ぎて死にそうな事を除いては本当に平和だ。
「そういえばもうそろそろテストだね。」
「……!!」
前言撤回。暑過ぎて死にそうな事とテストを除いては本当に平和である。
「そうですね…。…先輩成績良さそー。」
「まあ当然?」
うわあ嫌味。そう思ったけれど、未だはたはたと生温い風を生みながら隣を歩く先輩は、そんなつもりではないのだろう。…うわあ、もっと、むかつく。
「いいなあ…」
「成績いいと推薦もらえるしね。」
「推薦、推薦かあ…。でも先輩が推薦狙いは意外。」
「だって試験よりよっぽど安全性があるし。試験なんて水物だからね。」
「………私も、狙おうかなあ…。」
「じゃあ毎回テスト力入れないとね。」
「うーん…。」
そりゃあ推薦は理想だし、テストも毎回それなりには勉強するつもりだけれど、家に帰ると如何せん誘惑が多い。…なんて、ただの甘えなのだけれども。
少し考え込んだ私の髪を、生温い風がそよそよと撫でる。風を生みだすのは勿論先輩。風を寄越す先輩をふと見上げると、先輩も少しだけ考え込んだ顔をしていた。何だろう。いつの間にか二人の歩くスピードは鈍くなっていた。
「…見てあげようか。」
「え。」
「勉強。」
「えっ、だって先輩もテストでしょ。」
首を傾げて問うと、先輩は緩く頷く。それに合わせて表情はなんだか緩んでいた。
「まあそうだけど、見るって言ったって四六時中でもないし、きくことだって限られるだろう?」
「…まあ。」
「じゃあ決まり。市立図書館の休憩スペースでいいよね?しゃべるし。」
「はい。」
市立図書館など、小学校の頃に読書感想文の為の本やら伝記やらを借りにいって以来で、図書館の細かい事は覚えていないため、しゃべるなら休憩スペースという意図が分からなかった。けれど先輩は知っているようだから、ここは任せて良さそうだ。
「勉強、捗りそうでしょう?」
「…、…そうですね。」
「家は誘惑、多いしね。」
バレたか。という気持ちと、先輩は自宅の誘惑なんて気にせず勉強出来そうだったから分かるなんて意外だな。という気持ちが入り混じる。私は苦笑した。
「でも先輩と一緒なら、心強いかも。」
「そう?」
そう言って隣の先輩に目をやると、先輩もこちらを見ていて、にっこりと笑んだ。釣られて私も笑う。
ああ本当に、
平和だ。
(ただ、隣に吸血鬼を置いて)
(思う台詞ではないとは思うけれど。)
100711
暑いと言葉がだらしなくなりませんか。
語尾が伸びたり。
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