知らない
「あ…」
やけたとうに行った帰り道、見覚えのある背中を見た。三日ぶりだ。声を掛けようか、迷う。いっそゆっくり歩いて間隔をあけようかと思ったが気付くのが遅すぎた。もう大夫彼女の背中が近い。
「ゴスゴスゴス!」
「っう、わ!」
どてっ
突然ゴーストが目の前に現れてけたたましく笑い出したものだから、驚いて尻餅をついてしまった。ゴーストタイプのジムリーダーとしてこれは余りにも情けない。ゴーストは離れた両手を僕に向けたり拍手をしたりして大爆笑。その上、
「!」
がっつり彼女と目が合ってしまった。恥ずかしいし気まずいし、ああ本当に上手くいかないことだらけだ。
「ゴースト!」
「ゴスっ」
驚いたことに、ゴーストは彼女の制止の声に慌てて両手で口を押さえた(目は三日月のまま)。野生だと思ったゴーストはどうやら彼女のポケモンだったらしい。いくら日が暮れたからといって町でゴーストを見ることは滅多にないからトレーナーがいるのだろうと普通は思うけれど、そんなことを考えない程に彼女にはゴーストが不似合いだった。
「マツバさんすいません、大丈夫ですか?」
「え、あ、ああ。」
未だ自分が地べたに座っていることに気付き、慌てて立ち上がる。
「この子、君のゴースト…だよね?」
「は、はい!すいません…!」
「あ、いや怒っている訳じゃなくて…意外だなあと、思って。」
主人の肩に両手を置くゴーストは傍目にも嬉しそうに見える。よっぽど彼女に懐いているんだろう。
「そうですか?」
「まあ女の子がゴーストって滅多に見ないからね。」
「ああ、友達には初め嫌がられましたよ。今も偶にですけど。」
この子悪戯好きだから、と笑うとゴーストの手が主人の胸を突き抜け彼女の鼻を摘んだ。
「こら!」
「ゴスゴス」
「戻れ、ゴースト!」
「ゴ、」
ゴーストは赤い光と共にダークボールに収まった。(ダークボールも、意外。)
「いつもゴースト出してるの?」
「いえ、私、キキョウにすんでるんですけど、帰り道少し暗いからボディーガード代わりに。」
要らないかもしれないけれど、と笑う彼女に少し傷つく。ゴーストが僕に絡んできたということは、僕が挙動不審だったから主人の命令に従ったのだろうから。
「キキョウに住んでるのか。…送ろうか?」
この言葉に疾しい動機は一つもない。単純に親切心からだ。
なんて、嘘かもしれない。3日前、湯船に浸かって冷静に己の反省をしたとき、僕は後悔でいっぱいになった。ろくに話したこともない人間に告白など分からない、なんて言いながらろくに話したこともない人間と付き合うことにしたことだとか、余りに浅はか過ぎる解決をしようとしていることだとか、付き合うなんて言って連絡先すら交換しなかったことだとか。3日も経てばとてもじゃないが今さら告白の承諾を取り消すなんて出来やしない。取り敢えず考えを纏めるには彼女の人格などを交えないことには始まらない。だからきっと僕は彼女を知りたいが為に持ちかけたのだ。疾しい動機だらけ。
どう考えを纏めようかと思案していると、暗くても分かる程に彼女の顔が紅潮していることに気付いた。随分意識されているらしい。
「あ、と…家までではないから安心し」
「ありがとうございます…!結構ですすいませんっ」
ぱ、赤い光が輝くと、ゴーストが再びにんまりと笑みを浮かべてご登場。
「行こう、ゴースト!」
「ゴースっ」
「あっ、ちょ、」
彼女はゴーストを引きつれて小走り。僕の呼び掛けには大丈夫とありがとうを残して遠ざかっていく。何とかして呼び止めなければ。それで頭がいっぱいになってポケギアだとか番号交換だとかそんな言葉が浮かんでこなかった。いっぱいになった頭に浮かんだのは彼女の名前を呼んで止まってもらうことだけ。
「…っ!」
けれど言葉は喉でせき止められて、たったの一字さえ発する事は叶わず。ただ小さくなっていく彼女の背中を見送ることになってしまったのだった。
何故なら僕は彼女の、
名前さえ知らないから
(今さら自己紹介なんて、)
(そんな馬鹿な)
100512
湯船で反省会をするのは
私でございます
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