忘れた
「いけ!ゲンガー!!」
「え?」
ダークボールから飛び出したゲンガーに思わず僕は言葉を失った。
「ゲンガーにしたんだ?」
「はい!可愛いですよね!」
ぎゅう。そんな擬音が聞こえそうな程強く、ナマエちゃんはゲンガーを抱きしめる。すり抜けないあたり満更でもないらしい。それにしても相変わらず普段通りにんまりとした表情である。ただ、彼の目は進化したことによって充血しているように真っ赤になった。これをよく女の子は怖いと形容するが、目の前のナマエちゃんはそれに反して可愛い可愛いと先程から連呼し続けている。
先週、僕が自販機に行って戻るとナマエちゃんは僕のゲンガーを抱きしめてにこにこしていたから、多分あれも今回の彼女のゲンガーの誕生に大きく関わっているんだろうなあ。なんて思いながらナマエちゃんの隣に腰を下ろす。ベンチがみしりと小さく鳴いた。
「…ハヤトくん?」
「え?」
僕の質問にナマエちゃんが首を傾げる。ゴーストをゲンガーに進化させるには、誰かと一度交換する必要がある。だからその相手に見当をつけて口に出したのだが、どうやら違ったらしく彼女は何を言われているのかすぐに理解してくれなかった。それから少ししてからナマエちゃんは漸く首を振る。
「いえ、アカネちゃんです。」
「あ、そうなんだ。」
なんだか早とちりしていた自分が恥ずかしくて、そのまま何でもないように言葉を続けた。
「アカネちゃんとも仲良いんだね。そういえば先週遊びに行ってたものね。」
「はい。あそこ、女の子が多くて楽しいですよ。みんなすっごく良くしてくれるんです。」
ナマエちゃんが本当に嬉しそうに笑うので僕も知らず知らずつられてしまう。ナマエちゃんはそのままコガネジムでの楽しかったことなんかを僕に話し始めた。バトルだとか、所謂ガールズトークと言うものの一部だとか。しかし少し話しただけで言葉を止めた。
「私ばっかり話過ぎてすいません…」
なんて頭をかいて苦笑する。僕は素直にそんなこと気にしていないことを伝える。
「聞きたいからいいのに。」
「!」
ただ純粋に、彼女の話に興味があった。僕が知っているナマエちゃんというのはきっとたくさんあるうちのほんの一面の、その中でもさらにうんとうんと小さな部分だ。だからただ純粋に、僕の知らないナマエちゃんに興味がある。
「だから、どうぞ?」
「え…っと、」
「マツバさん!」
少し頬を染めたナマエちゃんの向こう側から、お坊さんが僕に駆け寄ってきた。
「?どうかしました?」
「はい、ジムに挑戦者がいらっしゃってますよ。」
「え!」
何ということだ、背中側にマフラーと一緒に置いておいたポケギアを見ると、着信ありを知らせる色で点滅している。普段からサイレントにしていることが多いので気付かなかったらしい。
「すいません!」
「ふふ、挑戦者さんがお待ちかねですよ。」
「直ぐに向かいます。」
微笑むお坊さんはジムトレーナーではないので、恐らく頼まれて来てくれた人なんだろう。申し訳ない。幸い、バトル後にポケモンセンターに行ってあったのでジムに着きさえすれば直ぐにバトルは出来る。
「あ、えーっと、ナマエさん、でしたよね?」
「え、あ、ああ!こんにちは!」
僕がマフラーを引っ掴んでポケギアをポケットに押し込む傍らで、お坊さんがナマエちゃんに話し掛けた。ナマエちゃんの方も彼に覚えがあるらしく、頭を下げる。
「知り合いでした?」
「ええ、ほら、やけたとうで…ってマツバさんもいらっしゃったじゃないですか。」
「え?」
お坊さんは説明してくれようとしたが、直ぐに笑って手を軽く振った。驚いて思わずナマエちゃんに視線を投げると、彼女は苦笑いを返している。…僕らは一度会っていた?エンジュですれ違うことがあったとかそういうのではなく、直接的に会ったことがあるということだろう。はっきり言って、全く覚えがなかった。
僕が疑問符を浮かべている間にお坊さんとナマエちゃんは二言三言交わして、行きましょうと急かされる。
「えーっと、あの、それじゃあ。」
「はい、それじゃあ。」
微妙な空気を漂わせたまま、ナマエちゃんに手を振った。彼女もまた困ったような苦笑を湛えて振り返す。
仕方ない、もやもやとする気分はバトルで晴らそう。
何故だろう、
忘れたことが
こんなにも
(悔しい、)
(悲しい。)
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