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あれ、と思った。夏の昼下がりのことである。抱え直したポリタンクの水が振動に合わせてたぷんと揺れた。
(ババァ、こんなに小さかったっけ)
そんなに遠い位置にいるわけでもないババァの背中が、その時はひどくか細く俺の目に映った。






蝉が鳴く。空気がゆらゆらと揺れている。並んだ墓石が夏の日差しに照らされて足元に濃い影を落としていた。俺は容器にいっぱいの水を抱えてババァの3歩後ろを歩く。ババァの歩幅は狭かった。こんな風にじっくりと背中を見るのは恐らく初めてのことで、だから今まで知らなかった多くのことを俺はその時初めて知った。ババァの背丈がそれほど大きくないということ。背骨が少し曲がっていること。皮と骨だけのようなしわしわの指。

あれ、と思った。俺が知っているババァは確かこんなではなかったはずだ。もっとこう、化けもんみたいなやつだった。いつの間に人間になったんだろう。
ババァはやがて足を止めた。見慣れた墓石の前に立つ。俺たちは黙々と墓の周りの雑草を抜き墓石に水を掛けてこびりついた苔を剥し花を活けて線香を灯した。供え置かれたのは見覚えのある饅頭である。
その一連の動作をしながらも俺が考えていたことはもっぱらババァのことだった。この墓の主である会ったことのない爺さんについてよりも、目の前のババァについての方が俺にとってよほど深刻な事態だったのだ。
「私も老いちまったねぇ」
不意にババァが口を開いた。こんなのただの石なのに、ねぇ爺さん、とババァは声を掛けている。
もう随分月日が経ってしまっていたことをその時俺は初めて気付いた。あの日この墓石の前で初めて俺の手を引いたあの力強い腕はもう、ない。そういや新八たちが来てから随分経った。同じような毎日繰り返しているようでいて、その実少しずつ時は流れていたのだ。

俺も随分とやんちゃしているけれど、それでもやっぱり俺より先にババァは死ぬんだろう、考えたこともなかったけれど。墓石の前で手を合わせた。こんな意味のない行為を、俺はいつかババァのためにもするんだろうか、こんな風に、ただの石の前で。
帰ろうかい、とババァが小さく言って腰を上げた。俺を見てふっと優しげに笑う。


――先に行っていいんだよ、年寄りは歩くのが遅いからねえ。


俺は声が出なかった。掛けるべき言葉を失って、語彙の少ない、泣く以外に思いを伝える術を知らない幼子のような不安な気持ちに襲われる。気持ちだけ残して大人になってしまったような、泣くことすら奪われたような、強い胸のふさがり。

ババァは歩きだしていた。ゆったりとした下り坂、墓石の織り成す黒い影にババァの背中は溶けてゆく。















…途中からお題に沿わなくなりました


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