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神楽は四方を田んぼに挟まれた長い畦道を歩いていた。学校が終わってすぐ校舎を出たのだけれどなにぶん家までの距離が遠い。ここは今どき珍しいど田舎だ。外灯も何もない道がどこまでも続いている。自転車でなければ遠すぎる距離なのだが、母の急な死に慌てて親戚を頼ってやって来た神楽は自転車など中国に置いてくるしかなかったのだった。
どこまで歩いてもついてくるカエルやキリギリスの鳴き声が耳に障ってイライラする。
もういい加減にしてよ、虫もカエルもみんなの視線もうるさいネ。来たくて来たんじゃない。帰りたい。どこでもいい、ここじゃないどこかに行きたい。
俯いていたら勝手にぽたりと涙が落ちた。
それ以上溢れないように神楽はひたすら唇を噛む。
早く家に帰りたいのにまだ半分ほどしか来ていなかった。


「おや、チャイナじゃねーですかィ」


不意に後ろから声がして、神楽はあわてて振り返る。
沖田、と言ったか、クラスメイトの生意気そうな男の子が自転車を降りるところだった。

「なんでぃ、お前んちこっちの方だったのかィ。いつも部活で遅くなるもんだから今まで会ったことなかったなァ」

神楽の涙に気づいているのかいないのか、沖田はのんびりとそう言って神楽の横に並んだ。

一週間ほど前に転校してきてからというもの、クラスメイトに声をかけられるのは初めてだ。そのくらい、神楽は今まで避けられて生活していたのだった。
言葉を発することもできないままひたすらにうつむいて歩く。
沖田は気にした風もなく神楽のペースに合わせて着いてきた。

風に稲穂の揺れるのは沖田の髪の柔らかいのに似ていた。
からからから、自転車の車輪が二人をあとから追うように鳴る。


「………ここは中国じゃないですぜィ」

不意に沖田が口を開いた。

「ここは日本で、そんでもってド田舎でィ。みんな“違ってみえるもの”が怖いんでィ」

神楽アル、と黒板の前で挨拶した時のみんなの好奇の目を思い出す。授業中私が当てられた時の緊張感、私の変な発音に気まずそうに目をそらすみんな。

「……でも、わたしみんなとおんなじヨ」

なんとか声を絞り出す。それはほとんど自分に言い聞かすようだった。

「んなこたぁ知ってらァ。ただここの連中はちょいと馬鹿が多いもんで、そういうのがわかんねぇだ。どこでも、田舎ってのはそういうもんだ」

ふうん、と神楽は足下の石を蹴った。

「………そうかぁ」

なんということはない、自分の人間性や容姿や振る舞いに問題があったわけではない。ただそういうしくみだったのだ。すとん、とその事実は神楽の腑に落ちた。
なあんだ、私はいじわるをされていたわけではなかったんだな。

さっき蹴った石に追い付いてもう一度蹴る。また先に転がってゆくのに追い付いてそれを蹴った。

「お前が俺たちと一緒だってことくらい、みんなほんとは知ってんでィ。ちょいと片目つぶってるだけでさァ」

沖田はそう言ってにやりと笑った。サドルに乗ってペダルを踏み出す。ぱきり、と地面の小枝を踏んでいい音がした。

「じゃーまた明日な、チャイナ」
「なっ…!」

沖田は通りすぎ様に神楽のスカートをペロリと捲った。
神楽は驚きのあまり動けずにいる。


「てめー、覚えてろアル!」

あっと言う間に遠くなってしまった背中に何とか叫んだ。田んぼの真ん中の長い一本道を、沖田の自転車はまっすぐに進んでゆく。夕日に照らされた稲穂は風に揺れてきらきらと金色に光って、希望というものに形があったならこういうものなのだろうと思った。


「また明日ナ!」


最大限に声を張って手を振った。遠くの沖田がちらりと振り返って笑った気がした。
挙げた手を下ろして夕日の道に立ちすくむ。
虫の鳴き声がいつまでも優しく神楽の耳に響いていた。







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