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* * * * * *



――目の前の見知らぬ青年が笑顔で言った言葉に、心はぽかんと惚ける間もなく、運転手の後頭部に向かい直り「運転手さん、出して下さい」と言葉を投げた。半ば、無意識だった。
びくりと体を強張らせた運転手は、「えー……でも、」バックミラー越しに何度も視線を心と青年の間で行ったり来たりさせている。
どうするのが1番面倒でないのか考えてるのが見えて、心は思わず、語気を荒げた。


「いーから出して下さい。客は俺でしょ? 金払うのも俺」


言外に「このガキじゃねぇだろ」と匂わせながら、心はギロリとミラー越しに運転手を睨みつける。
運転手がそれに困ったように眉を下げて、「勘弁して下さいよ……」と小さく呟いたが、それは聞こえないふりをした。


「なにオニイサン怖い顔してんの? オレ、笑ってって言ってるのにー」


そんな心に、その”怖い顔”の原因である青年が、「幸せ逃げちゃうよ?」と拗ねたような調子で言う。
なんてふざけた野郎だ。そう罵倒したくなるのを抑え、心は深く長いため息をついた。
そして冷たく罵倒するつもりで、冷たく青年を一瞥する。


「…………」
「ん?」


けれどすぐに視線は外れた。
だって、夜のきらびやかな薄汚れたようなネオンの中で青年の目は真っ直ぐで、澄んでいた。なぜだか、直視できなかった。


「……俺は早く帰りたいんだ。仕事がある」


努めて、冷静に。抑揚のない声でそう告げた。
自分でも少し驚くほど冷たい声だったのに、青年がたじろいだ様子はない。


「働き者だねー、オニイサン。まだ仕事するの? サボっちゃえばいいのに」


出来るものならとっくにしてる。
青年の暢気な世間知らずな発言に、心は眉を寄せた。イライラする。


「仕事はサボれるものじゃない。覚えておけ、ガキ」
「ガキじゃないよー、俺。リクっていうんだよ」
「お前の名前はどうでもいい。とにかく、俺は早く帰らなきゃいけないんだ。……なんのゲームなんだか知らないが、他のタクシーでも捕まえてやってくれ」
「それじゃ意味ないんだよ。オレは、あんたの笑った顔が見たーいの」
「はぁ?」


青年の言葉に、心は意図的に反らしていた視線を青年に向けた。
その視線の先で、当の青年が「よっこらせ、」と年寄りめいた掛け声と共に、タクシーに乗り込もうとしている。それを見て思わずぎょっとして、「っちょ、」声を上げた。


「なに平然と乗り込もうとしてんだよ! 乗ってくるんじゃねえ!」


反射的に、そう怒鳴る。口調が戻っていることには気が付かなかった。
腕を伸ばして半分ほど入りかけている青年の体をタクシーから出そうとするが、先ほど締めたばかりのシートベルトが、それを邪魔する。
ならばとシートベルトを外そうと手をかけるが、そうするよりも早く、スルリと青年が乗り込んできた。
しかも、素早く扉を閉められ、顔を強張らせる心に、青年はふふん、といった感じに得意げに笑ってみせる。
(……ありえねえ、なんだこの非常識なクソガキは)


「おい……てめえ、乗ってくんなっつったよなぁ!?」
「もう乗っちゃったもーん」
「降りろっつってんだよ、今すぐ!!」
「えー? ……やぁだ」
「語尾にハートマークつけてんじゃねえよ気色悪い!」


激昂しそう怒鳴ったところで、はたと気付く。口調が戻っている。
それに気付くと、さらに機嫌は降下した。こんな男にペースを乱されているという事実が、負けず嫌いな心としては面白くなかった。
高らかに舌打ちを一つ響かせ、青年から目を反らす。今更だとはわかっていたがそうせずにはいられなかった。
そんな心の気を知ってか知らずか、また青年が、笑う。顔は見えなかったけれど、おそらく、嬉しそうに。


「……笑ってよ」
「うるせえクソガキ笑ってほしけりゃ今すぐ降りろ」


「そうしたら俺も嬉しくて笑えるだろうよ」顔を歪めながら吐いた暴言は、まぎれもなく本心だったのに、青年には聞き入れられなかった。
「絶対あんた、そう言うと思ったー」と呟いて、タクシーの煙草くさい固いシートに体を沈める。
そのまるで親しい仲かのような言葉に、瞬間的に吐きそうなほどの苛立ちが湧き上がり、青年を殴りたくなった。
殴りたくなって拳を作って、けれど殴りかかれずに固い拳は膝の上で震える。殴れなかった。


「っ、お前が俺の、何を……」


苛立ちに任せそこまで言って、残りは無理矢理に飲み込む。
右手で顔を覆って、はー……と長くため息をつく。動揺と怒りで忘れていた仕事の疲れもぶり返してきて、どっと倦怠感に襲われた。もう怒鳴る気力もない。


「……頼むよ、ゲームは終わりにしてくれ。こうしてる間にも仕事する時間ももしかしたらあるかもしれない睡眠時間も削られて、タクシーのメーターだけ上がってくんだ。……ただでさえ疲れてるのに、なんで俺がこんな……」


言いながら、自分で自分が可哀想になってきて涙ぐむ。
本当になんで俺がこんな目にあってるんだ。俺が何かしたのか。神様俺がお嫌いですか。
無神論者のくせに、そんなことを思いもした。
しかし、隣に当たり前のように座ってシートベルトまでつけ始めた青年は、そんな弱りきった心の懇願にも、ケロっとした表情で言い返す。


「ゲームじゃないよ。オレだってやらなきゃいけないことなんだから」
「はあ?」


何をまた、わけのわからんことを。
いよいよ泣きそうになりながら、心は青年を見遣る。その瞬間視線がかち合って、彼はにこりと笑った。
嬉しそうな表情だった。その柔らかさに、思わず毒気を抜かれる。


「あんたを少しでも幸せにする。それが、オレのやらなきゃいけないコト」
「…………は」


けれど、心から毒気を抜いた青年が発したのは、そんな理解不能なセリフだった。
今度は呆気にとられる心に構うこともなく、青年は相変わらずの笑顔だ。


「だからゲームじゃないしタクシーからは降りないし、あんたのそばにずーっといるよ。あんたが少しでも幸せになれるまで」
「…………な、っなに、ふざけたことぬかしてやがる! 誰がそんなこと頼んだ! 頭おかしいんじゃねえのかてめえ!!」


ぞっとしながら、出来うる限り青年から距離を取ろうとする。でも、ゴンとタクシーの窓ガラスに頭をぶつけて、これ以上距離がとれないことにまたぞっとした。
最近めっきり細くなった腕に、鳥肌が立っている。気持ち悪い。そう素直に思った。


「っちょっと、運転手さんっこいつ頭オカシイよ、警察呼んでくれ! それか今すぐ俺を降ろして……」
「ああ、やっぱクマがひでーな」


我関せずを貫こうとする運転手に救いを求めて青年から目を反らした瞬間、何か熱いものが目元にうすく触れた。思わず体が強張る。
すぐ目の前には誰かの骨ばった大きな手があって、そして心がとった距離をつめる青年の腕がシートの上に見えた。
一瞬だけでも、掠めるようなものでも。久しぶりに感じた他人の熱は、体温の低い心には火傷しそうに熱く感じられた。
真っ直ぐな目が、心を射抜く。
勝手に触ってんじゃねえ、気色悪い、こっち見んな。
言いたい暴言はいくらでもあったのに、どれも言葉にならなかった。その目のせいで。


(って、なんで俺が、黙らなきゃ――)
「あんたが必要ないって言っても、オレはあんたを幸せにするよ。――だってあんた今、幸せじゃないだろ? ……心サン」
「っ、な」


なんで。
言葉にするより早く、露骨に表情に出ていたようで、青年は楽しそうに笑った。まるで、イタズラが成功した子供のように。
そして、ぱくぱくと口を動かすことしかできない心に、にこっと笑いかけて。
歌うような柔らかな声で、こう教えてくれた。


「改めまして、こんばんは、心サン。オレはリク。あんたを少しでも幸せにするためにやってきた――神様です」


「………………は?」


突拍子もない言葉。信憑性のないカミサマ。
あまりに非日常的な発言に、心と我関せずを貫いていた運転手との声が、重なった。


「…………カミサマ?」
「イエース。正しくはカミサマ見習いだけどね」
「うん、病院行ってこい、アタマのな」
「ほんとだって」
「つかオレ無神論者だし」
「つか、早くタクシー出した方がよくね?どんどん上がってってるよ、お金」
「いや、マジで来る気かよ降りて下さいマジに!」
「出しまーす」
「お願います。…っておい!? 出しますじゃねえよなに発進してんだよオッサン!」
「厄介事はごめんですカラー」
「俺だってごめんだよ!! 降ろしてくれ頼むから!」


深夜2時。都会の片隅、狭いタクシーの中。
運転席に後ろからしがみついて涙目の心の横を、薄汚れたネオンが通り過ぎていく。
そのネオンを窓ガラス越しに浴びて、青年が、笑う。
誰よりも、幸せそうな顔で。


「ね、心サン。オレマジで、あんたのこと幸せにするからね」
「女口説くみてーなセリフ吐いてんじゃねー!!!」


つまらない窮屈な息苦しい日常の中。
突然それをぶち壊しにやってきたカミサマ。
きっと一生忘れられない、リクとの出逢い。





















































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あきゅろす。
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