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* * * * * *



最寄り駅から10分少々歩いた住宅街の片隅に建つ、少し古びたアパート。
その3階の角から2番目の部屋が、心の家だ。


急いで会社を出たおかげでなんとか家の近くのスーパーの特売の時間に間に合い、買い物袋をぶら下げながら家の前に着いた時には、もう20時近くになっていた。
玄関の前に立つと、ダークグレーの扉の向こうから、わずかに人の気配を感じる。ついこの間までは、なかったもの。
億劫に思いながらも、自宅の鍵を出すために鞄を開けて、手を入れた。
ガサゴソと、片手に持った買い物袋が音をたてる。


(出しにくい)


買い物袋が邪魔だな、と思いつつ、食材が入った袋を床に置くというのも躊躇われて、そのまま鞄をあさる。
すぐに指先に触れた冷たい小さな金属を、鞄から取り出そうとした。
その時、扉からガチャン、と鍵があくような音がして。
それに心が顔を上げると、同時に――


「おっっっかえりー心サン!」
「ぶッ!」


――バン!と勢いよく扉が開き、その扉が心の顔に、直撃した。


「〜〜〜……ッ!」


あまりの衝撃と痛みに、後ろのよろけて片手で顔を押さえた。
少し悶絶してから掌を見てみても、そこに赤はついていない。幸い、今回は鼻血も出ていないし、鼻は所定の位置から曲がってもいないようだ。
それを確認した瞬間、心のこめかみに青筋が立つ。


「? あれ、心サン? どしたの? 買い物袋落ちてるけど」


……中から扉を開けたままの相手の、この暢気な声と台詞が、また火に油を注いだ。


「ッて、んめぇえ……ッ! いきなり扉開けんじゃねえって、何回言やあわかんだよ!! また鼻血出るとこだったじゃねえか!」
「えー? 心サンがそんな扉の近くに立ってるからだろ?」


「オレ悪くないしー」と何食わぬ顔で、扉をぶつけられた衝撃で手から落ちた買い物袋と鞄を、相手が拾いあげる。
その態度に口元がひきつるのを感じた。


「責任転嫁すんじゃねえよマジで追い出すぞお前」


思わずそう言うと、途端にばっと心を見て、相手――リクは、少し涙目で首をぶんぶんと振る。


「やだやだやだッごめんなさい! もうしないから!」


「だから捨てないで!」と縋りつくリクに、心は戦意を喪失した。
今しがた心のすぐ後ろを通った、隣の部屋の婦人の視線も、その原因の一つだが。
彼女の、まるで奇妙なものを見るような視線。
……明日には俺が若い男と玄関先で痴話喧嘩をしていた、という噂が出回るんだろうな、と半ば自暴自棄に考える。
心ははあ、と思わずまた溜め息をついて、リクの頭をパン!とはたく。


「いって、」
「捨てないでって、俺が自主的に拾ってきたみたいな言い方すんじゃねー」


「勝手に居座ってるだけのくせに」と言いながら、心はリクが開けたままにしている扉の中に、するりと入った。
程よい具合に冷えた空気。夏の熱気の中にいた体に、心地いい。
靴を脱ぎ、いまだに閉じられる気配のない扉に、心は振り向く。
リクは、買い物と鞄を両手に持ったまま、ぼおっと呆けている。


「おい、リク」
「………あ、…なに?」
「入るなら早く入れ。エアコンついてんだろ? 冷気が逃げる」


「入らねーならいいけど」と付け足すと、リクは慌てた様子で玄関に入ってくる。
そして軽く足を引っ掻けていたサンダルを汚く脱ぎ捨て、それを心が指摘するよりも早く、心の左腕に抱きついた。


「あつっくるしい」
「心サンって、ツンデレだな!」
「つんでれ?」
「心サンみたいな人のこと!」


俺みたいな人ってなんだ。意味がわからねえ。つか、あっつい。
そう思いながらも、腕に感じる子どものように高い体温に、なぜか言葉は出なくなってしまう。
「心サン、心サン」と子どものようになついてくるのも、冷たく出来ない理由の一つかもしれない。
憎めないっつーか、なんだかなあ、と思いながら、心はリビングの扉を開ける。

その直後。


「………………おい」
「ん? なに、心サン」


リビングの扉の正面の、お気に入りのソファーの上。
ちょこんとソファーの肘掛け部分に両前足をのせ、かじかじとソファーの生地をかじっている……生き物。
それを見た瞬間、心は数秒固まった。


「……うちには、子猫はいなかったはずなんだけどな……?」
「……え? ……あ!」


低い声で心が呟いた言葉に、リクは心の視線を辿り、その先にある物へ目をやった。
愛らしい、子猫。白と栗色のその子猫は、少し離れたところに立ったままの二人を、不思議そうに見ている。


「あーッ! ミャア、隠れてろって言っただろォ!」


子猫と目が合った瞬間、リクが大声を上げて猫へ駆け寄った。
買い物袋と鞄を、素早くテーブルの上に置いて行く。
「あーもう、ソファーかじっちゃってー」と困ったように言いながら、子猫を優しく抱き上げたリク。しかし頬が緩んでいる。
子猫の方も、リクになついているのか、甘えた声で鳴いてはリクの指を舐めている。


「かーわいいなぁ、ミャアは」


デレデレとした表情で、子猫の鼻と自分の鼻とをくっつけるリク。
子猫もリクの鼻の頭を舐めて答えた。
その光景に、心の中で何かが切れた。


「……かーわいいなぁ、じゃねえだろうが、何勝手に名前までつけてやがるこの馬鹿ガキ!!」
「っってー!!」


本日最大の怒号とともに、リクの脳天に、心の渾身の拳骨が落ちた。
……とりあえず、憎めないというのは前言撤回する必要があるようだ。

























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あきゅろす。
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