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「……かえる、わ、」


乾いた唇がなんとか吐き出した言葉。
それにヨシノが反応するより早く、俺は立ち上がった。
多少貧血になってるんだろう、頭がくらくらする。


「………は?」
「この服、返す」


背の低いテーブルにココアの入ったカップを置いて、俺は借りていたヨシノの服に手をかけた。
脱いでも、着て帰るための自分の服はない。
だけどそんなこと考えられないくらい、俺はいわゆるパニックに陥っていた。


「ちょ、待ちいや。ワカツキ、やめえ」


ヨシノが慌てたみたいに、立ち上がる。
それを見ないようにしながら、俺は少しだけ大きいスウェットの上を脱いだ。
それをヨシノに投げつけて、怯んでる間に、と下にも手をかける。


「っワカツキ! お前、ええ加減にしい!」
「っ……!」


聞いたこともない怒声で、怒鳴られた。
と同時に腕をとられて、それ以上脱衣は出来なくなる。


「なんやねん、いきなり帰るて。いきなり押し掛けてきて、手当てさして、都合悪いこと聞かれたらそうやって逃げるんか? ……どこまでお前はご都合主義やねん」


腕を掴む手に、ぐぐ、と力が入る。
痛くて、こんなヨシノは知らなくて、なんか怖くて。
本気でキレてるヨシノから逃げたくて、俺はなんとかヨシノを振りほどこうとした。
ヨシノの言ってることは、まともに頭に入ってこなかった。


「……はな、せよ……帰んだよ……っ」


ヨシノが俺を迷惑がってることはわかってた。
そりゃ誰だってそうだろ。
自分偽って誰彼構わず関係持って、挙げ句リスカなんかしてる親しくもないヤツに、年中夜中に押し掛けてこられたら。

だけど、ヨシノは何も言わなかった。
だから、俺は甘えてた。
こいつなら何も聞かずに受け入れてくれるって。
そんなこと、あるはずねえのに。

そしていま、ヨシノにすべてを聞かれるのが怖くて、俺は、逃げようとしてる。


「ワカツキ」
「帰る……ッ! だからもうはなせよっここには二度と来ねえから……!」


自分の言った言葉に、じくりと胸が痛んだ。
俺は唇を結んで、俯く。
この痛みの理由なんか知らねー。だけど、なんだか辛かった。


「…、…ワカ、ツキ……お前、」


不意に、何かに気付いたような、呆然としたような声が、降ってくる。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。ヨシノを見る。
ヨシノは、愕然とした表情で、見下ろしていた。
俺を……否、俺の、あちこちに異常なほど紅い痕をつけられた、体を。


(見られ、た!!)
「――っ!」
「っ、」


その視線の先に気付いた瞬間、俺は勢いよく、ヨシノを突き飛ばした。
バランスを崩したヨシノがよろめいて、後ろにたたらを踏む。
ヨシノは呆然としてて、俺はどうすりゃいいのかわかんなくて、たまらずにしゃがみこんだ。
ヨシノの目から隠すように。
ヨシノの目から、逃れるように。


「おい、ワカツ、」
「見んなよっ見んな!」


ヒステリックに、騒ぎ立てた。
そして自分の両腕に痛いくらい爪をたてて、掻き毟るように引っ掻く。
体が震えた。がたがた、みっともないくらい。
それが寒さからのものじゃないことだけは、俺にもわかっていた。
膝に、顔を埋める。


「見んじゃ、ねーよ……っ」


見られたく、ない。見られたくなかった。
ヨシノは、俺のしてることを全部知ってるけど。
取り乱して服を脱いだのは俺だけど。
だけど、見られたくなかった。
汚いこんな体を、綺麗な、こいつ、だけには。


「ワカツキ……落ち着け、」


やさしい、声。その声を聞くと、なぜだか安心できた。
だけど、今はその声が、胸を締め付ける。
俺とヨシノでは、あまりに違いすぎるのだと。
ヨシノのそばにいるには、俺はあまりに汚いのだと。
そう、示されている、ようで。


(まだ、だ、)


まだ、まだなんだ、まだきっと、足んねーんだ。
だからこんな俺は汚くて、ヨシノとはこんなにも、違うんだ。
そう思い当たって、俺は少しだけ、目線を上げた。
ヨシノの足が、どうすればいいかわからないように、呆然と立っている。
そのすぐ脇にある、茶色い、救急箱。
その中の、少し古びた、


「――っワカツキッ!」


半ば、無意識だった。
気付けば俺はヨシノを押しのけて救急箱の中のカッターを手にしていて。
ヨシノの声を無視して、無我夢中でカッターの刃を出して、鈍く光るそれを、包帯の上から、手首に、刺した。


「っ?」


でも、痛みはなかった。
いや、振り上げた手は、寸前で、不自然に止まっていた。
その手首に感じる熱に、そこを見れば、ヨシノの手が、俺の手首を、おもいっきり掴んでいる。
包帯を巻かれた方の手は、カッターを持った手から遠ざけるように、押さえられていた。


「……な、…せ、は、な……せっ」


さわるな、きたないんだ、はなせ。
そう夢中でカッターを手首に近づけようとする。
だけどヨシノの力は強くて、びくともしなくて。
それどころか逆にもっと強く手首を掴まれて捻りあげられる。痛みに顔が歪んだ。
その隙を狙って、ヨシノの片手が手首から離れて、捻りあげられてる俺の手を叩く。
その衝撃に、カッターが、俺の手から床に落ちた。


「あ、」


それに反応するより早く、ヨシノの足がカッターを蹴る。
それは遠くに転がっていってしまって、俺は呆然とそれを見ていた。



ああ、

また、失敗した。

























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