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「いいんだよ、別に。傷なんか、治ったって治んなくたっていいし」


女じゃあるめえし。
にかっといつものように笑ってやると、ヨシノは眉を寄せた。
それはこいつが俺の前で一番よくする表情だ。腑に落ちない、って顔。
ただ、いつもと、何かが少し、違う、気がしたけれど。
その小さな違和感に内心首をかしげながらも、俺は続けた。


「ガッコの連中にも、援交してる連中にも、怪しまれたことねーしさー。ヨシノくらいだもん、俺の素知ってんの」


思ったこと、それをそのまま言っただけだった。いつものように、笑いながら。
そしてヨシノが、そんな俺にどうでもよさそうに「もうええて」って言う。
それは、俺たちの間には、よくある会話だった。
だけど。


「……なしてや」
「……あ?」


ヨシノが吐き出したのは、いつもの言葉ではなく。
俺は、驚きながら、何に対しての「なして」かわからず、間抜けな声を出してしまった。
ヨシノは、俺の手首に白い包帯を巻きながら、俺の手首を見ていた。


「何が?」


こてん、と首をかしげて尋ねる。
そんな俺を見もせずに、ヨシノは包帯を留め具でとめる。
答える様子は、なさそうだった。


「なに?」


少しいらっとして、強めの口調で問う。
だからってわけではないだろうけど、少しの沈黙のあと、ヨシノはゆっくり口を開いた。


「……なしてやねん……」


ヨシノの声。いつもより小さい。
手当ては終わったってのに、ヨシノの指先は俺の手首に触れたまま、ヨシノの視線は俺の手首に、向いたまま。
俺にはその指先を振り払うことも、視線を重ねることもできなかった。


「……だから……何がだよ?」


何のことか全くわからない。
ヨシノがこんなはっきりしない物言いをするのは(しかも何度も)初めてで、俺は一瞬狼狽えた。
今日のヨシノは、なんかおかしい。
なぜかドクドクと、俺の鼓動が早くなる。


「ワカツキ……」


ヨシノが静かに、俺の名を呼ぶ。
教師以外じゃこいつしか呼ばない呼び名。ワカツキ。俺の名字。
(そういやどうして、俺は初対面のこいつにあの時、ワカではなく、ワカツキと名乗ったんだろう)
ヨシノがゆっくりと顔をあげるのを、俺はぼおっと見ていた。
顔をあげたヨシノと、目があう。


「……っ」


その瞬間、体が強張るのを感じた。
ヨシノの、迷いのない、真っ直ぐな目。
今はなぜかその瞳は切なげに揺れていて、そこには俺だけが映りこんでいた、から。
体の中から、言い知れぬ感情が湧き出てくる。
それがなんという感情なのか、俺は知らない。


「ワカツキ、」


ヨシノが俺を呼ぶ。それにぶるり、と小さく体が震えた。
ヨシノは俺の手首に指先を添えたまま、端整なその顔を小さく歪めて、言う。


「……なして、こないなことしとんねん……?」
「――」


その口から出たのは、今まで一度も聞かれることのなかった、問いかけ。
俺は、言葉をなくした。
なぜだかはわからない。
だけど、頭が真っ白になった。
ヨシノの口から出た問いかけが、ひどく不自然なものに思えた。
固まる俺を他所に、ヨシノは、俺から目を、反らさない。
ヨシノは小さく、けれどしっかりした声で言う。


「自分偽って、援交なんぞして」
「……」
「何度も何度も傷の上からまた新しい傷作りよって、何度も何度もおんなしこと繰り返して」
「……」
「なしてやワカツキ、なしてこないなこと繰り返すねん」
「……」
「答ええや」


ワカツキ、答えてや。
そう言うヨシノの言葉は、まるで責めるようなものだったのに、その声は、その表情は、まるで何かを乞うように、弱々しかった。
今まで一度も見ることのなかったヨシノの姿。
俺は、頭の一部が焼ききれたように、何も考えられなくなるのを感じた。
何も浮かばない思考の中で、けれど一つだけ、はっきりした言葉が浮かぶ。



あ、

にげな きゃ、。

























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あきゅろす。
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