* * * * * *
「染みるか?」
風呂を借りる前に軽く手当てをしてくれた傷に、消毒液の染み込んだ綿を押し当てながら、ヨシノ聞いてくる。
俺は黙って首を振り、右手でヨシノが出してくれたあまり甘くないココアを啜った。
風呂で暖まった体に、あたたかいココアがさらに嬉しい。思わず顔が綻ぶ。
そんな俺をちら、と見てから、ヨシノはすぐ傷口に目を戻す。
流れる沈黙が心地よくて、俺はふ、と目を閉じる。
「……ヨシノー」
「……なんや」
「この部屋、ヨシノの匂いがするー」
「意味がわからへん」
ヨシノの部屋は、俺の部屋とは違って狭いし古いけど、いつ来てもなんだか暖かくて、落ち着く。
ヨシノの性格を表すようにさっぱりと片付いてて、だけど細かなところは片付けてない。
これが生活感てヤツなのかな。
何にせよ、ヨシノの部屋は、俺の部屋にはないもので溢れてる。
「……ワカツキ」
ヨシノが俺を呼ぶ。
ワカツキ、と俺を呼ぶのは、教師とこいつくらい。
「んー?」と返事をしてヨシノを見れば、ヨシノは傷と睨めっこしていた。
「……この傷、まだ治ってへん傷の上からやりよったな?」
「うん」
抑揚のない声で確認するように問われ、事実だったからあっさり肯定した。
そしたら、はあ、と重いため息をつかれる。なんだよ。
「……そのせいで前の傷まで開いた。治るの相当時間かかんで」
小首を傾げてると、答えが下ろされる。
その言葉に、またその話かよ、と内心思った。
いつもいつも、ヨシノは俺の傷を見るたびにそう言う。
けれど、別に傷なんか、治ったって治んなくたって、どうだっていい。
だから俺はどうでもよさげに、「そっか」と答えた。ず、とココアを啜る。
カップの中の液面が、ゆらゆらと揺れている。
「そっかやないやろ」
お前の手首、ぐちゃぐちゃなんやぞ、わかっとんのか。
いつものことながら、怒ったように言われて、面倒くさくなる。
「はいはい」と流すように言えば、「もうええ」とため息。
ため息ばっかついてるとシアワセ逃げるぞ。
そんなこと言ったら、「誰のせいやねん」とか絶対言われそうだから、言わねえけど。
俺がヨシノと知り合ったのは、今から半年前だ。
その日も俺は、男に抱かれた後、夜の街をふらふらと徘徊してた。
喧嘩ふっかけてくる奴らをテキトーにまいて、声かけてくる奴らを軽く流してた。
そしたら、そこで、偶然ヨシノを見かけて。
『なぁなぁ、お前、名前なんてーの?』
『……ヨシノ、やけど』
冷めていて、それでいてどこか優しさを称えた目が、この街には珍しいと思った。
そこは、俺には汚い劣情や狂気や厭世感に溢れた場所だったから。
だからか知らねえけど、気付けば俺はヨシノに話しかけていて、半ば無理矢理、連絡先を交換した。
『ワカツキ、どないしたんや、これ、』
それから少しもしねーうちに、ヨシノに俺がしてることは全部バレた。
洒落たデザインで、つけてても少しも怪しまれないリストバンドの下の幾つもの傷跡に、ヨシノが気付いたせいだった。
傷だらけの手首に、痛そうにするも、それでも不快げな顔はしないヨシノに、なぜか俺は、誰彼構わず寝てること、自分を偽ってることを暴露していた。
軽蔑するだろう、気持ち悪がるだろう、そう思いながら。
けど、ヨシノは「そうか」と言っただけだった。
その時、俺、思ったんだ。
こいつの前では、ありのままでいていいんだって。
こいつは偽善に満ちた優しい言葉はかけないけど、そのかわり、ありのままを受け入れてくれるんだって。
それからというもの、俺は自傷する度に、ヨシノの家に押しかけるようになった。
そうして、毎度毎度傷を手当てさせて、あたたかな部屋で寝かせてもらって。
それが甘えだとか、そんなことはわかってる。
だけど、もとの全く何もないひとりきり、の世界に戻るには、ヨシノの部屋は、あまりに居心地がよすぎた。
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