もてあました恋のカケラ 9 空気に流入する違和。 背中に嫌なものが走る。 穏やかな世界に入った亀裂。 俺は、ナオに向けて、人差指を立てた。 視線を、ドアに向ける。 ナオは、すぐに事情を察知した。 部屋に、異質な影がある。 侵入者の到来。 絨毯の衣服を服を拾い上げると、ライトを消した。 ナオは、素早く衣服を身につけている。極道に育っただけあって、危機を察知した時の素早さには、目を見張るものがある。 俺は、ジェラルミンケースをシャツで包み、胸に括りつけた。素肌の背中に革ジャンを羽織る。 ナオは、拳銃を肩に構えている。 そいつを、使えるのか? 目で尋ねた。 ナオは、その眼球に、月光を緑色に反射させて、微かに頷いた。 俺は、ベルトに挟んだ短刀を、鞘から引き抜いた。 俺とナオは、ドアをはさんで、壁に背を向けて、待ちかまえた。 ドアの向こうには、革靴が絨毯の上を這う音がする。 どこの馬鹿かわからないが、ジッポの蓋をいじっている音が聞こえてくる。内心で、胸をなでおろす。相手は、プロではない。ただのヤクザだ。 絨毯をこする足音は、三人分。 うっすらとドアが開いた。 細い隙間から、滑り込むようにして、部屋の中に侵入者が忍び込む。 一人目の姿が入りきったところで、俺は、そいつの背後に立った。喉元に、ナイフを突き立てて、背中でドアを閉める。 キャメル独特のヤニの匂い。天童組の若頭、龍児兄だ。 「ここを探し出すとは、さすが龍児兄だな。俺もやきが回ったかねぇ」 俺は、電車と徒歩で来る途中、ずっと尾行されていたのだ。家の前にいたあからさまな監視は、囮だったらしい。俺は、尾行など気にもとめず、歩いてきた。 いや、これも、無意識に計画していたことかもしれない。 俺は、わざと彼らを呼び込んだのではないか。こうなることを予期していたのではないか。幕を下ろすために。 暗がりのなか、鈍く光るものがある。銃身だった。 カチリ。 立ち上がる撃鉄。 ナオが、龍児兄の正面から心臓の真上に、銃口を押しあてている。 そろそろ暗がりに慣れた龍児兄の目にも、ナオの目が見えただろうか。 そうだ。驚くほどに、ナオは、残酷な目をしている。 残酷で、魅惑する目だ。 ナオは、すばやく、龍児兄の拳銃を取り上げていた。そして、他に飛び道具がないか、龍児兄の体を上から下に確かめて、ナイフを一つ、探り当てると、ベッドの向こうに投げた。 「準備、オーケー」 ナオの声は掠れている。 こいつは、とんでもないガキだ。あどけない顔で、この状況を、楽しんでいる。 「拓真ァ、こんなことして、ただで済むと思うなよ。もう、お前の居場所は、組にはない。それどころか、日本中どこを探してもないぜ」 龍児兄は、落ち着きはらって、俺を横目で見らんだ。 もとより、組も、日本も、俺の棲み処ではない。だから、別に構わねえぜ、龍児兄。 俺は、彼を前に立たせて、ドアを開けた。 途端に、暗闇に、銃を構え直す音がする。龍児兄の引き連れてきた子分どもだ。 「わしだ。撃つな」 龍児兄は、子分たちを制した。 自分たちの兄貴分が首元にナイフを突き立てられているのを見て、奴らの動きは止まった。 ナオは、素早く子分たちのの銃を回収し、俺に渡してきた。 俺は、二人の子分を、裂いたシーツで縛りあげた。そいつらはそこへ放置する。 部屋を出る前、パソコンのハードディスクのあるあたりに、クッションを押しあてると、龍児兄の拳銃で銃弾を二発撃ちこむ。 打ったその衝撃で、奪った拳銃に、実弾が込められていたことを確認する。実際、パソコンは、配線がはみ出て、無残なことになっている。クッションに詰め込まれていた羽毛が、舞っている。 「龍児兄ィ、本気で、俺を殺るつもりだったんだな」 意外なことに少しショックだった。 組で過ごした5年間、兄貴分として、慕ってきた。 「お前のせいだ」 裏切るのはつらいが、裏切られる方はもっとつらいだろう。 俺の唇の端に浮かぶ笑みを見て、龍児兄は、目を背けた。裏切られたときに、相手を憎むよりも、自分の愚かさを憎むのは、龍児兄もきっと、同じだ。 ナオは、実弾を二発渡してくる。俺が弾を詰めている間、龍児兄を見張っている。 まったく、大した相棒だ。 エレベーターの見張りも、難なくやり過ごし、地下駐車場に入る。 エンジンがかかったままのベンツが一台あった。 運転席で待機していたチンピラは、拘束された龍児兄の姿に、計画が失敗に終わり、それどころか、立場が逆転していることを瞬時に悟る。 「このまま、組長のところに連れていけ」 俺とナオは、龍児兄をはさんで座り、運転席のチンピラは、慌てて、車を出した。 龍児兄は、冷静なままだった。少しもひるんだところがない。 龍児兄は、どうして、こんなに落ち着いてやがる。 今は、俺たちの方が有利だろう。 深夜の高速道路は、昼間とは違って、驚くほどに滑らかに進む。 「拓真よう、お前、自分でやってることをわかっているか?お前は、一番やっちゃいけないことをやってるんだよ。交わした契を破るというな。お前は、何もわかっちゃいない」 「俺は、組長を裏切るようなことは、これっぽっちもしてねぇ。こいつは」 と、俺は、ナオを顎で指す。 「組にとって、災いになるだけだ。俺が引き受けてやるだけのこと」 ナオは、災いという言葉に、ピクリと身を竦ませた。 「じゃあ、それを、組長の前で説明してみろィ。その災いとやらを」 行き過ぎるトラックのヘッドライトを受けて、ナオの目が哀しげに光る。 災い。 ナオ。 ただの獲物でしかないはずの少年。 その眼に映る微かな哀しみが、俺にのしかかる。 ナオは、俺の災いとなるのかもしれない。 ナオ……。 俺は、まっとうな人間じゃない。やくざ者ですらない。 ただの与太者でしかないのに。 [*前へ][次へ#] [戻る] |