[通常モード] [URL送信]

もてあました恋のカケラ
8
ナオ……。

大島直は、ずっと、その父親に隠し育てられた。

生まれながらの、その重い運命のために。

ナオは、いまだ、かの日の戦禍を背負っている。

そのことを、ナオ自身すら、知らない。





第二次世界大戦中、ナチスの軍事施設では、様々な人体実験がなされた。アウシュビッツ第十号棟。そこに刻まれた数多くの凄惨な人体実験。しかし、それらの実験は、医師の個人的な興味に根付くものだった。

旧日本軍の下部組織、731部隊。当時の医学の粋を極めた研究機関。より多くの人間を殺戮する化学兵器を編み出すための医師の集団。

個人的な興味による人体実験と、殺戮の目的のために人体実験、そのどちらが、狂気に満ちているだろうか。俺にはわからない。

そして、その惨禍は、いまだに残っている。

731部隊の人体実験の被験者は、ことごとく殺害されたはずだった。しかし、被験者が一人だけ生き残った。

中国人捕虜。どういう作用によってか、実験のさなかに、その捕虜の肉体は毒に耐性を持ち、異常な神経細胞の発達を遂げた。中国の辺境の民族の出である彼の遺伝子も作用したと考えられる。

その神経細胞は、電気的興奮が臨界値を超えると、動物神経系では異常な活性化をし、その一方で、植物神経系では異常な鎮静化をみせたという。すなわち、痛みを感じない超人的な運動神経を持つ人間になる。

731部隊は、米軍に情報を引き渡すことで、裁判から逃れた。生き残った者たちは、戦後の医学会に君臨した。しかし、脱走し、どこに消えたかもわからない中国人捕虜については、情報に記載されず、731部隊の生き残りも、固く口を閉ざしたまま、やがて、この世を去っていった。
 
その捕虜はどうなったか。神経細胞への負荷が、彼を早死にさせたことは、想像に易い。

あるとき、公安調査庁に、単に噂でしかなかった中国人捕虜の情報が、突如、浮上した。その子孫が日本にいるとの、尾ひれまでついて。

日本の公安当局の情報が、カアサンに流れないはずがない。

アジア系の外貌を持つ俺が、日本に送られることになった。

俺は、日本の裏社会に身を置き、情報を集め続けた。表面化してこない真実は、たいてい、裏社会で淀んでいる。

ヤクザ組織の天童組のチンピラに成りすましながら、情報を餌に情報を集める。そして、大島家の戸籍すら持たない一人の少年の存在に辿りついた。

中国人捕虜のためにその後の彼の人生の幸運を喜ぼう。彼は、結婚し、子をなしていたのだ。それが、大島直の母親。

大島直の母と姉。どうして、彼女らが、殺されなければならなかったか。

ヤクザ同士の抗争のためなどではない。

731部隊の人体実験の被験者の末裔だからだ。731部隊の汚名そのものだからだ。実験に汚された血を継いでいるからだ。

731部隊の生き残りの手により、ヤクザの抗争にみせかけて殺害された。

俺や、他の仲間が、集めた情報により、カアサンは、そう推測している。

大島一が、手を尽くして隠し込んだ、一人息子。その存在が、推測を確信へと導く。

大島直もまた、特異な能力を色濃く引き継いでいるのではないか。だからこそ、存在を隠蔽する必要があるのではないか。

俺に下された指令は、大島直を研究所に持ち帰る、ということだった。

俺たちが、餌としてばらまいた情報は、もろ刃の剣だった。公安当局も、遅まきながら、大島組の周辺を、洗い始めている。

利に敏い天童を利用するのは、たやすいことだった。大島組には、生きた秘宝があると、天童をけしかけて、大島組を襲撃させる。そして、大島直を手に入れる。天童ではなく、俺の手に。

天童は、最後まで、俺の正体を見抜けなかった。しかし、それは、むしろ、天童の幸運だ。天童が、大島直を手に入れたところで、どこに売り捌けるというのだ?捌ける先などない。奪われるだけだ。大島直は、天童が扱える代物ではないのだ。




ナオ。

お前は、先祖が受けた人体実験をそのままその身に受けることになるだろう。俺たちの組織によって。

特異な能力があるのならば、放置しておくわけにはいかない。

俺は、魂を夢に売り渡している。

世界に散らばる、仲間と同様、夢の果実を口にしてしまったのだ。

俺たちは、呪わしく生きながら、夢を見ている。

戦争やテロをなくすために、銃やナイフで人を殺す。

平和のために戦争する。

矛盾した夢だ。





俺は、そろそろ、俺とナオとの世界の幕を閉じなければならない。









おそらく、このキスが、俺とナオとの最後の、そして、俺が永遠に忘れることのできないキスになるだろう。

俺は、指一本も動かすことができずに、そのキスを待ち受けていた。

震える指が、頬に触れてくる。

微かな息使いを唇に感じる。

しかし、俺は、そのキスを受けとることはできなかった。





キスを受け取ろうとした丁度そのとき、俺とナオとを包む空間が、ざわざわと不穏に軋んだ。




[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!