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もてあました恋のカケラ
11
コンピュータの上で数字が塗り替えられていった。

朝方には、すべての作業が済んだ。天童は、資産の移動を確認すると、満足げに笑んだ。

夜が明けて、俺たちは、天童組を後にした。

天童は、約束を破らない。ナオの件が片付けば、どうせ捨て置くつもりだった金だ。手切れ金に丁度良い。

「……僕には、3億円の価値があるんだね」

タクシーの中、か細い声が聞こえてきた。

それは違う。ナオには金には換算できない価値がある。金で買い取ることが出来たとすれば、むしろ古家に住み着いた子分たちの方だ。

「僕からのキスは、させてくれないままだった……」

ナオの声がさびしく響く。もう、戻らないことを知っている。俺とナオとが、ホテルのあの部屋へと戻らないことを。終わってしまったことを。

俺は、何も答えられなかった。

俺たちの世界は、壊れてしまった。それを、ナオもよくわかっている。



タクシーは、成田空港に向かっている。

ナオの目の前で行き先を告げ、ナオの目の前で、仲間に連絡を入れる。何度も、オオシマナオという単語が、電話口で、交わされた。

わざわざナオの目の前で、俺はそれをやった。

パスポートは仲間が手配している。チャーター便に乗り込み、ナオを引き渡して終わりだ。その後のことなど知ったことではない。

俺は5年も関わってきた仕事からやっと解放される。オオシマナオから、解放されるのだ。

長いこと追ってきた怪物の子孫。それは、こんな弱々しい少年だった。人類の貴重な標本。無限の可能性を秘めているかもしれぬ存在。

研究材料としての価値は高い。

もしも、ナオが、逃げ出そうとすれば、俺には、ナオを捕まえておく自信がなかった。

だが、ナオには、逃げ出す気配は微塵もない。

もうすぐ、高速の出口だ。

俺は、自分の手が恐ろしいほど白くなっていくのを見つめていた。

血の気がみるみる引いている。

俺は、怖くなっていた。

このまま空港に着いてしまうのが。

ナオ。

どうして、逃げない。

これから、お前がどうなるか知っているのか?

いや、知らないとしても、逃げるべきだ。

これから先、お前は、何も守ってくれるものがないところへ連れて行かれる。法律も倫理も道徳も、何も、お前を守らない。人の心にあるべきはずの、良心すらも、お前を守ったりはしない。

そこには、人権などない。

ぞっとするような犠牲しかない。平和や進化などという人類の幸福のための犠牲があるだけだ。

ナオは研究対象となる。

遠慮なく、細胞が切り取られ、血が奪われるだろう。

誰か、止めてくれ。

俺に、叫ぶことができたら。

しかし、俺は、俺自身を呪いながら、それでも、前に進むことしかできなかった。

これは、毎度のことだ。

これは、いつもの安っぽい感傷だ。

ナオは価値がある。

ナオの価値を利用することを放棄すれば、ここでナオを逃してしまえば、俺が潰してきた命は無駄に死んだことになる。このまま前に進むことが、潰してきた命を、救うことになるのだ。それが、ナオをも、本当の意味で、救うはずだ。

天童も、さっき言っていたではないか。世の中、それぞれ役割を果たして成り立っている、と。俺にできることはただ役割を果たすだけだ。

自分の安っぽい感傷に負けて、役割を果たさないのは、これまでなしてきたことに唾を吐くこと同じだ。





  
「……トモ、好きだ……」

ナオが呟いていた。

「……トモは、僕のすべてだ……」

その声で、鼓膜が揺さぶられているのか、脳みそが揺さぶられているのか、心が揺さぶられているのか、もう、わからない。

空気を揺らし、血液を揺らし、脳髄を揺らす。

耳を塞いでも、その声は、俺に届くだろう。

「……僕は、トモにすべてあげてしまって、何もあげられなくなるね……」

ナオはそう言って、俺のすることのすべてを理解し、許していることを伝えていた。

いっそのこと、何もかもが消えてしまえばいい。

俺は、目を閉じた。

衝撃に包まれたのはその時だった。目の前が暗く陰る。




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あきゅろす。
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