存在と無存在のハザマ
おやすみなさい
おやすみなさい、を交わさないと、何となく、寝つけない。
シャワーを浴びて、髪を拭いていたら、秀麿の温もりを思い出してしまった。今日は、バイトで遅くなったから、朝、会ったきりだ。そんなことを考えていると、会いたくてたまらなくなってくる。
触れたい。抱きしめたい。せめて、顔が見たい。でも、もう12時を過ぎている。寝てるかな。明日は学校もあるし、昨日も遅くまで起きていたし、夜更かしは駄目だし。
……寝るか。
はあ、でも、やっぱり、会いたい。おやすみなさい、を言うだけでいい。でも、こんな時間に部屋に行っても、用事もないのに来るな、と、ウザそうな顔をされるだろうな。
来てくれないかな。あいつは、僕が電気を消してても、遠慮なく部屋に入ってくることがある。いきなり、ドアが開いて、僕だって、びっくりしているのに、どうしてだか、いつも、待ちかまえていたみたいに起き上がって抱きしめてしまう。悔しいけど。
今夜も来ないかな。起きてるなら、僕が帰ったのを知ってるはずだろ? 来るなら、早く来てくれればいいのに。
はああ、眠気が覚めていく。やっぱ、あいつ、もう、寝てるよな。僕の帰りなんか気にしてないよな。こんな風に待ってても、来るはずないか。いっそ、寝てるとわかったら、諦めるんだけど。
……寝てるかどうかだけ、確かめに行こう。じゃないと、いつまでも眠れないや。
起き上がって、廊下に出た。長い廊下を曲がると、秀麿の部屋だ。
月明かりのさしこむ廊下を、そろりそろりと歩く。古いお屋敷だから、どこからともなく隙間風が入り、廊下は肌寒い。
……はああ、僕、夜中に、何やってんだろ?
まあ、トイレに行くついでだと思えばいいや。トイレとは反対の方向だけど。
秀麿の部屋の前に立つが、月明かりのために、部屋の電気がついているのか消えているのかわからない。
耳をすまして、ドアに顔を寄せる。すると、急に、ドアが内側に開いた。
「……うわっ」
目の前には、秀麿。
いきなり現れた僕に、秀麿も驚いた顔をしていたが、すぐに、めんどくさそうな目で僕を睨みつけてきた。
「何?」
あ、眠そう。これは、これは、失礼しました。
でも、顔が見れて良かった。会いたかった。
秀麿の姿を見て、胸に安心感が広がる。
もう満足だ。さ、戻ろう。
「あ、寝るんでしょ?おやすみ。顔が見たかっただけ」
僕は、背中をくるりと向ける。
しかし、後ろから、腕を掴まれていた。
振り向くと、秀麿は、いやな顔つきになっている。
ニヤニヤした顔。………。
「今、寝るとこだったが、間に合ってよかったな」
「……は?」
「して欲しいんだろ?」
秀麿は、僕の腕をぐいと部屋に引きこむと、ドアを閉めた。僕を壁に押さえつけて薄く笑っている。何か、イヤな顔つきだ。
「はあ?何を?」
「決まってるだろ?」
僕に屈みこんでくる。パジャマのボタンが外されていく。僕は、慌てて、首を横に振った。
「ええ?ちちち違うって。変な誤解すんなって。ホント、もう遅いし、今日は、そんなつもりは…」
「今日は?」
うわ、なぜに、そこを強調?
「へえ。今日は、我慢するって?だよな、昨日いっぱいしてやったもんな?」
あ……。
急に顔がほてってくる。俯いてしまう僕。
あー、もー、昨日のことを思い出すと、顔を合わせられないじゃないか。全部、ヒデのせいなのに。ヒデが僕にさせたくせに。
「こんな夜更けに、今日も、おねだりに来るなんて、お前、ずいぶん、はしたなくなったな」
秀麿の手が僕の顎をすくい上げる。
「だ、だから、違うって、ホント、もう違うから」
「わかったよ。してやるよ」
秀麿は、いかにも仕方なさそうに、そのまま、僕をベッドへと引きずった。
秀麿が覆いかぶさってきて、深くなっていくキスに、抵抗する力を失う僕。
あーもー、どうして、こうなるんだ。
いやいやいや、別にいやなわけじゃなくて、その、むしろ、だから、その……ああ、ねだってるのかもな、僕……。
ああ、もう……。
……。
それから、小一時間ばかりして、やっと、おやすみなさい、を交わすことができた。
――ヒデ、好きだよ。おやすみ
――おやすみ。
安らぎが、心に満ちていく。
おやすみなさい、を交わさないと、何となく寝つかれないなんて、好きな人ができると、みんな、そうなるのだろうか。
部屋に戻って一人になっても、彼のくれた安らぎがずっと残っている。
ずっとずっと残っていた――
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