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存在と無存在のハザマ
いつか、また、会える日に――10年後
彼女と出会ったのは、春の公園だった。初めて会ったけど、随分、昔にも、会った。僕ではなくて、彼が。

多分、彼が出会いを果たしていた。





うららかな春の日だった。

春は、つらい。

桜の花びらの散る先に、沈丁花の香りの向こう側に、気がつけば、優しい微笑みを探している。

探せども探せども、その姿を得ないまま彷徨い続け、やがて、迷宮のぬかるみに足をからみとられる。

僕の中に彼はすっかり残っているのに。僕は彼と生き続けているのに。その温もりは今もそばにあるのに。

だから、前に進むだけでいいのに。笑うだけでいいのに。





桜の幹に背中を預けて、散る桜を目で追っていた。

桜の檻に、閉じ込められてしまいたいと願う僕に、積もる花びらを散り分けて、近づいてくる小さな皮靴があった。

「ちーちゃんだよ」

現れた彼女は、目が合うと、嬉しそうに微笑んだ。小学生かと思えば、目元が大人っぽい。

「やっと会えた。ずっと、待ってた。毎年毎年、桜が咲くと、ここで待ってたの」

いたずらっぽく唇をつきだす。やっと会えたと言うわりには、別段、懐かしそうではなく、少しばかり怒っている。その表情に、不思議な親近感を抱く。

「誰だっけ……?」

「だから、ちーちゃんだよ。もう、10年も待ってた。桜が咲くと、この公園で、毎年、お兄ちゃんを待ってた」

「ふうん」

「だって、約束」

変な子だな。

まるで、小さな女の子のような口ぶりで話す彼女に、少しばかり付き合ってみようか、と小首を傾げてみせる。

「結婚の約束」

これには、内心、驚いた。

「10年前に?」

「そう、10年前に、ここで」

10年前なら、彼女は、多分、ほんの子どもだ。

「へえ、そう……」

「お兄ちゃんは、そのときも、桜にもたれて、花びらが散るのを、見てた。

私のボールが足元に転がっても、知らんぷりだった。私が、『取って』、と頼んでも、微笑んでいるだけだった。

意地悪な大人だな、と思ったの。だから、ボールを取りに行って、わざと転んでやったの。それでも、お兄ちゃんは、笑ってるだけだった。

『何で、助けないの?』と聞けば、『立てるから、助けない』って、言ったの。

今度は、偉そうな大人だな、と思った。もう相手にするのはやめようと思って、駆けだしたら、本当に転んだの。

痛くて立てなかった私を、お兄ちゃんは、すぐに、助け起こしてくれた。そのとき、わかったの。この人は、困っていない人を助ける嘘つきな大人じゃないんだなって。でも、困ってたら、ちゃんと助ける人なんだなって。

お兄ちゃんの目は、空の色だった。好きになったから、結婚して、って言ったの。そしたら、優しく微笑んで、頷いたの。

――今度、桜の下で会えたらねって」

それは、僕じゃない。僕じゃないけど、もしかしたら……。

「……忘れた?」

「……そんなこともあったかもな」

話を合わせてみる気になった。

「で、お兄ちゃん、名前は?」

ある名前が口から出そうになった。僕のものと交換して遊んだこともある名前が。

10年前からずっと、心に棲み続けている人の名前が。

胸が苦しくなって、散っていく桜に目を移しながら、苦しみをようやく紛らわせる。

彼女は、僕の答えを待つでもなく待っている。微笑むでもなく、睨むでもなく、ふんわりとした目を向けて待っていた。

彼女もまた、桜の下で、彼を探し続けていたのだろうか。10年もの長い間、ずっと。

「そうだな、お兄ちゃんのままでいい。ちーちゃんは、ちびのちーちゃんのままでいいんだろ?」

怒りだすかと思えば、笑いだした。

「やっぱ、お兄ちゃんだ。私にも、ちゃんとした名前があるのに、やっぱり、ちびとか、ちーちゃんとしか、呼ばないんだね」

変な子だな。ホント、変な子だな。

たったそれだけの出会いで、10年間も想い続けられるって、想われる方もすごいが、この子もすごいな。

僕は、いつの間にか口元が緩んでいるのを覚えた。

もしも、10年前に、彼がした約束ならば、それは、僕の約束だ。

ちーちゃんは、手を出してきた。

「行こ?」

「え? あ、うん、どこに?」

僕が手を取ると、彼女は、僕を引っ張って歩き出した。

「前にだよ?」

「うん、ああ、そうだね」

僕は、桜の檻から一歩外に踏み出した。

桜が散れば、もう、夏になる。

夏になれば、もしかしたら、この子と、恋をするのだろうか。もう二度とできないはずの恋を。

春の嵐のような激しい恋ではなく、初夏の風のような涼しい恋を。

ずっと待っていれば、僕もまた、いつか、彼の笑顔に会えるのかもしれない。そのとき、僕が、困っていたら、彼は、また、助けてくれるだろう。

だが、今の僕は、困っては、いない。

前に行こうか。

消えることのない想いの上に、新しい想いを積み上げて、そうやって、前に行こうか。

彼を僕に重ね合わせたまま。

また、会えるときまで、ただひたすら、前に――






20100325
For Kita-sama

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