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しあわせの片隅で



 それはまるで、太陽が二つ並んでいるような、そんな明るく幸せな光景だった。



 梅雨の時季だというのに、珍しく晴天に恵まれた六月のある日。どこまでも澄んだ空は高く広がり、青々とした若葉は太陽の光を反射して煌めいていた。緩やかに吹き抜ける風は光を孕み、初夏の匂いを運んでくる。
 そんな、何もかもが美しい日に、教会の鐘が鳴り響いていた。
 普段はお世辞にも愛想がいいなんて言えない男でも、今日だけは特別らしく、始終照れたように小さく笑みを浮かべている。隣にいる彼女も、いつも以上に幸せそうな笑顔を惜しげもなく晒していた。
 幸せそうに笑っているのは、二人だけではない。集まった全ての人が、そんな二人を祝福するように心から嬉しそうな笑みを浮かべている。
 この空間だけが、嫌になるほど幸福だった。
 雨竜はその空気を感じずにはいられず、誰にも気付かれぬように、小さく息を吐く。
「今日は来てくれてありがとう!」
 明るい声が弾けたのは、その瞬間だった。思わず目を瞠ると、離れた場所で人に囲まれていたはずの織姫が、いつの間にか目の前で微笑んでいる。白い衣装が、彼女にとてもよく似合っていた。
 本当は。ずっとここに来たことを後悔していた。
 けれど。
 彼女の笑顔を見てしまったら、後悔することさえできない。ここに来てよかったと、雨竜は初めて心からそう思えた。
「おめでとう、井上さん。よく似合ってるよ」
「えへ、そうかな?石田君に言われると嬉しいよ」
 可愛らしく笑う織姫に、雨竜も小さく笑って見せる。一護が声をかけてきたのは、その時だった。
「久しぶりだな」
 久しく聞いていなかった声が、雨竜の鼓膜を震わせる。高校生の時は、毎日のように聞いていた声だ。いつだって雨竜の耳には優しく響いていた声だ。
 離れていても、ずっとずっと好きだった声だ。
「……久し、ぶり」
 雨竜は不自然にならないよう、なんとか言葉を発する。少しだけ震えてしまったそれには、一護も織姫も気付かなかったようで、雨竜は少しだけほっとした。
「おめでとう」
 雨竜が素直に告げると、一護は一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから見ている方が幸せになるほど幸福そうな笑みを浮かべた。
「ああ、ありがとな」
「――……ッ」
 思わず、胸が詰まった。
 こんな風に幸せそうな笑顔を向けられたいと、どれだけ願っていただろう。こんな風に優しい眼差しで見つめられたいと、どれだけ祈っていただろう。無理だとわかっていて、無駄だと知っていて、それでも諦めることなんてできなかった。
 それが今、目の前にある。
 自分ではない人のおかげで。
「石田!ちょっといいか?」
 不意に大きな声が雨竜の名前を呼んだかと思うと、一護たちが呼び止める間もなくその声の持ち主である恋次が雨竜の腕を引っ張っていく。何事かと周りは注目するが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに恋次は雨竜の腕を離さなかった。
「ちょ、阿散井!何処行くんだよ!」
「ああ?黙ってろよ」
 心底わけがわからなくて口を衝いて出た質問に、恋次は答えにならない答えを返すだけだ。
 結局、雨竜が連れて来られたのは、教会の近くにある人気のない公園だ。小さいからなのか、平日だからなのか、子供どころか人っ子一人見当たらない。
 太陽の光が眩しくて、雨竜は恋次に腕を掴まれたまま目を細めた。目に沁みる程、空が青い。
「……大丈夫かよ」
 遠慮がちにかけられる言葉に、雨竜は思わず笑ってしまった。
 この男は、きっと気付いているのだ。あのままあそこにいたら、雨竜が泣いてしまっていただろうことにも。もしこうして連れ去ってくれなかったら、そのせいで式をめちゃくちゃにしていただろうことにも。
 ……そして、雨竜が一護を好きなことにも。
「女だったら、よかったのかな」
 今まで一度だって思ったことのない言葉が、口から滑り落ちた。顔は見えなかったけれど、隣から驚いたように息を呑む気配がする。それを敏感に察知して、雨竜は誤魔化すように明るく笑って見せた。
「なんてね。もし僕が女でも、井上さんの足下にさえ及ばないことはわかってるよ」
「そんなことねえ」
 冗談にしてしまおうと無理やり作った明るい笑顔は、怖いくらいに真剣な声のせいで、一瞬にして強張ってしまう。雨竜が何も言えずにいると、恋次は彼と目を合わせるように正面から向き合った。
「男でも女でも、おまえは井上に負けてねえよ」
 馬鹿なことを言うなと、そう言おうとして、雨竜はできなかった。喉が熱くて、言葉が詰まって、とても声なんて出せない。
 その代わり、漆黒の瞳からは冷たい涙が零れた。
「俺にしとけよ」
 優しい声と共に、雨竜が恋次に抱きしめられたのは、その瞬間だ。その腕も、胸も、身体も、義骸なはずなのに不思議と恋次の香りが雨竜を包む。
「一護のことなんて忘れるくらい幸せにしてやるから、だから俺にしろよ」
 無理だと、そう言おうと思っていた。これだけ想っていた一護を忘れるなんて、一生かけてもできないと。
 ――それなのに。
 かけられた声があまりに優しくて。髪を撫でられる感触があまりに温かいから。だから雨竜は、小さく笑ってしまった。
 この胸の痛みは、まだまだ残るだろう。もしかしたら、永遠に在り続けるのかもしれない。
 それでも、恋次がいるなら大丈夫かもしれないと、何故だかそう思ってしまったのだ。
「おまえが、好きだ」
 優しい声は、初夏の匂いの風がしっかりと雨竜に届けてくれた。



end

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