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どんなに苦しくても、この手だけは離したくなかった



 妹たちをとても大切にしている黒崎が、15日は彼女たちに祝ってもらうだろうことは簡単に予測できた。なんだかんだと言いながら彼は友達も大切にしていて、また大切にもされているから、その前後にも予定があるのだろう。そんなこと、少し黒崎と過ごしてみればすぐにわかることだ。きっと、僕のこの予想は外れない。
 でも僕だって黒崎のことを祝いたいからと、16日に少しだけ時間を作ってくれるよう頼んだのは、7月の最初の日だった。黒崎は驚いた顔をしたけれど、すぐにくすぐったそうな笑みを浮かべて了承してくれた。
 それなのに、黒崎は直前になって僕との約束を反故にした。今から小島君の家に行って皆で祝ってくれるから今日は時間が取れないと言って。
 律儀な彼は一緒に来ないかと誘ってくれたけれど、僕はその誘いに頷かなかった。頷けなかった、と言った方がいいのかもしれない。
 僕は柄にもなくショックを受けていたのだから。
 僕と黒崎は確かに恋人同士だ。だけど、彼が大切な友達や家族よりも僕を優先してくれるだなんて、そんなことを思っていたわけではない。僕を何よりも大切にしてくれるだなんて、そんなありえないことを考えていたわけではない。
 ただ、僕のために少しくらいは時間を作ってくれるかもしれないと、そう思っていただけだ。結局、それもただの願望で、ありえないことになってしまったけれど。
 僕は待ち合わせをするはずだった公園のブランコに座りながら、黒崎へのプレゼントを握り締めた。
 来ないことなんてわかっているのに、それでもこの場所から動けない自分が惨めで仕方ない。
「石田君?」
 不意に声が聞こえてきて顔を上げると、そこには井上さんが驚いたような顔で立っていた。元々大きい瞳をさらに見開いて、こちらを見ている。
 けれど井上さんはすぐにいつもの穏やかな表情に戻り、小走りでこちらに駆けてきた。
「……濡れちゃってるよ」
 そう言いながら傘を差しかけられる。僕は雨が降っていることにようやく気が付いた。
「……大丈夫だから」
 どうせ濡れているのだから、今更傘を差したところで意味がないと井上さんの方へ傘を押し戻すけれど、彼女は許してくれなかった。頑なと言ってもいい様子で、僕に傘を差しかけ続ける。
 けれどしばらくすると、一度だけ諦めたように笑って、先程まであれだけ差そうとしていた傘をあっさり閉じてしまった。僕が思わず井上さんを見上げると、彼女はにっこりと笑って見せる。
「あたしもね、雨に当たりたい気分なんだ」
 言いながら、井上さんは手に持っていた箱を小さく揺らして見せた。それが何かなんて、聞かなくてもわかる。きっと僕と同じ、黒崎に渡せなかったプレゼントが中には入っているのだろう。
「たつきちゃんと一緒に渡せばよかったんだけどね。みんなと一緒にされるのがどうしても嫌で後から渡そうと思っていたら、浅野君たちに連れて行かれちゃったんだ……って、こんなこと石田君に言っていいのかな」
 井上さんはそう言うと、本当に困ったような顔で笑った。
 もし僕が女の子だったなら、自分の恋人に特別なプレゼントなんか渡さないでと怒ったのかもしれない。やはり井上さんの方が黒崎に似合っているのではないかと不安になったかもしれない。
 けれど僕は、そのどちらの感情も湧いてこなかった。むしろ、その逆の感情とも言える、喜びすら感じていた。自分と黒崎の関係を知っている人が存在することに。それを認めてくれている人が、確かにいることに。
「黒崎はいつも遠いね」
 僕が小さく笑うと、彼女も痛みを堪えるような顔で小さく微笑んだ。



 誕生日当日は、毎年遊子を中心に家族が祝ってくれていた。この年にもなって誕生日パーティなんて、正直気恥ずかしいと思わなくもない。けれどそれ以上に嬉しかったから、今まで何も言わずにありがたく享受してきた。
 そのことを周りは知っているからか、たつきや学校の奴らは当日の前後に祝ってくれるのが通例となっている。それだってわざわざ俺のためにとやってくれていることだから、なんだかんだ言いつつもやっぱり嬉しいことには変わりなかった。
 だから、石田と約束していた時間と、啓吾や水色たちが祝ってくれると言った時間が被ったとき、俺は思わず水色たちの方を選んでしまったのだ。これは別に石田より水色たちの方が上だからとか、石田を蔑ろにしているからだとか、そう言う理由ではない。ただ、いつも祝ってくれている奴らを軽くあしらうようなことだけはしたくなかったのだ。
 けれどいざ石田より啓吾たちを優先すると、せっかく祝ってくれているのにも関わらず俺は石田のことばかりを考えてしまっていた。
 約束を守ってやれなくて、あいつは傷付いていないだろうか。優しい奴だから水色たちを優先した俺を怒ることなんてしないけれど、自分が水色たちより下だなんていうありえないことを考えて悲しんではいないだろうか。
 そう思うと、もう駄目だった。
「何か気になることがあるんでしょ?今日はもうそっちに行った方がいいんじゃないかな」
 水色のその言葉を合図に、俺は申し訳ないと思いつつも彼の家を飛び出した。向かうは石田の家だ。
 あいつがもう俺を待っていないことはわかっている。今更会いに行っても、どうして皆を置いてきたんだと怒られるかもしれない。だけど、たとえそうだとしても、俺は石田に会いたかった。会って謝って、おめでとうと言ってもらいたかった。
 少しでも早く石田に会いたくて、虚を倒す時だってこんなに一生懸命ではなかったのではないかと思うほど全力で走る。雨が降っていることなんて気にならないほどだった。
 だから、通りかかった公園に石田がいることに気付いたのは、偶然としか言えないだろう。
 こんな遅くに家にいないなんて、なんの用事だ。もしかして誰かと会っているのか。
 何かを誤魔化すように、何かから逃げるようにそこまで考えて、俺はその思考を否定した。
 違う。違うだろう。あいつはこの雨の中、こんなに遅くなるまで俺を待っていたんだ。たとえ俺が来ないと、わかっていたとしても。
 俺は思わず石田にかけより、何も言わないまま抱きしめていた。
「ごめ、ん」
 雨に濡れ続けたのであろう石田の身体は夏だと言うのに冷たくなっていた。行けないと確かに言ったはずなのに、何故ここにいるのだと責めてしまいたい。どうしてこんなになるまで待っていたのだと、詰め寄ってしまいたい。
 でも、来ない相手を雨の中で待たせるような、そんな辛いことをさせたのは、間違いなく俺なのだ。 
「……ごめん」
「なんで謝るの。君が来ないことは最初から知っていた」
「じゃあなんでこんな所にいるんだよ!」
 俺が思わず大声を出すと、石田は少しの間黙りこんで、やがてぽつりと呟くようにして答えた。
「……待って、いたかったんだよ」
 君はいつでも遠いから、だから少しでも近づけるように待っていたかったんだ。
 そう言って笑った石田は、道に迷って途方に暮れた子供によく似ているような気がした。不安で仕方ないくせに、それでも気丈に笑って見せる強がりの子供に。
 けれど、こんな風に強がった笑顔を浮かべさせたのも、やっぱり俺なのだ。
 きっと俺は、また何度だって石田を傷付けてしまう。唐突に、そんな思いが頭の中を掠めた。
 それでも俺は、石田を離してやれない。
「今日は俺の誕生日だからさ、頼みをきいてくれないか」
「……なに?」
「俺の手を、振り払わないでくれ」
 ともすれば静かに降り続く雨にだって掻き消されてしまいそうなほど小さく呟いた俺の言葉は、石田にしっかりと届いたようだった。
 石田を抱きしめる俺の手に、冷たい掌が重ねられる。
「僕が一度だって君の手を振り払ったことがあったか、黒崎一護。……君が望むなら、僕は一生だって君の手を振り払ったりはしない」
 誕生日おめでとう、黒崎。
 小さくそう付け足すと、石田は静かに笑ったようだった。顔は見えなかったけれど、気配でわかる。こいつが笑うと、何故だかその場だけ空気が浄化されたように綺麗に見えるのだから。
「……ごめん、ありがとう」
 俺は謝罪の言葉とお礼の言葉を繰り返し、石田の首筋に顔を埋めた。
 俺と石田が一緒にいたら、きっとどちらも傷付いてしまうのだろう。楽しいことや嬉しいこと以上に、苦しくて辛いことがたくさんあるのだろう。
 それをわかっていながら俺は、石田を離してやれなかった。そしてこれからも、離してやれる日は来ないのだろう。
 けれど抱きしめる温度が泣きたいほどに温かいから、俺はそれでもいいと思い、石田の背中に回した腕に力を籠めた。



end

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