[携帯モード] [URL送信]
いつか恋に変わるまで



 一護が虚を倒しに行く間に、彼の身体を借りてコンが雨竜の家へ行ったのは、ボロボロになってしまったぬいぐるみを直してもらうためだった。せっかく身体を借りることができたのに男の家へ行くのは癪だが、コンの存在を知った上でぬいぐるみを直せる存在を、コンは雨竜くらいしか思いつかなかったのだ。
 そしてついぬいぐるみの時の癖で窓から部屋を覗くと、信じられないものが目に入った。思わずコンが叫びそうになったその瞬間、飛んできたのは悲鳴なんて可愛らしいものじゃない。それはたしかに分厚い国語辞典だった。


「大丈夫かい?」
 赤く腫れた額に氷を当てる一護の姿をしたコンに、雨竜は素っ気なく声をかけた。内容はコンの身を案じるものだが、声音は限りなく冷たい。まるで雪のようだ。
「これが大丈夫に見えるかよ!大体なんで国語辞典なんだ。せめて可愛らしく悲鳴をあげるくらいで抑えておけっての」
 つい愚痴っぽくなるコンに、雨竜は悪びれずしれっとした様子で答えた。
「別に孤雀で射止めてもよかったんだけどさ、後始末が面倒だろう?だからせめて記憶が飛んで忘れてくれないかと思って」
 あの一秒にも満たない間にそんなことを考えていたのかと、コンは薄ら寒くなる。とりあえず霊子の矢が飛んでこなくて良かったと、コンは顔を引き攣らせながら安堵の息を漏らした。
「それより石田、おまえ、女だったのかよ……?」
 躊躇いがちに紡いだ言葉に、雨竜はびくりと肩を揺らす。その様子が小動物みたいで可愛いなと思ってしまった自分に、コンは軽く絶望した。
 いくら女だったとはいえ、目の前にいるのはあの石田雨竜だ。裸を見られても動じることなく国語辞典を投げてくるような奴だ。可愛いなんて思うわけがない。
 そうやって心の中でさっきまでの自分を否定していると、雨竜はやがて長く溜息を吐き、コンが聞いたことのないような頼りない声を出した。
「みんなには、黙っていてくれないか……?」
 膝を抱えて座り込んでいる雨竜が、なぜだかコンにはどうしようもないほど弱々しい存在に思えて仕方がなくなる。もし自分が改造魂魄じゃなかったのなら、或いはその理由がわかったのかもしれない。
「それはいいけどよ。そもそもなんで女だってこと隠してるんだよ?」
 先ほど見てしまった胸は確かに小さかったが、色も白いし身体も細い上に良く見るとかなり綺麗な顔をしている。性格はどうあれ普通に女の格好をすればさぞ可愛くなるだろうと、コンは雨竜が男のふりをしていることを勿体なく思った。
 それに、コンは知っているのだ。雨竜が一護に懸想していることを。ずっとずっと焦がれるような眼で一護を見ていることを。
 もし女だってことを隠さなければ、もしかしたら一護は雨竜を見るかもしれない。それなのに男のふりをし続ける雨竜が、コンは不思議でならなかった。
「君には関係ないだろう」
 それがこれ以上ないほど突き放したような言い方で、コンは思わず呆れてしまう。
「おまえ、女でも可愛くねえな」
「可愛くなくて結構だよ」
 身体が女だろうがやっぱり雨竜は雨竜だと、コンは意図せずとも再確認してしまった。
「そんなんだから一護に嫌われるんじゃねえの」
 ぼそりと呟いた言葉は雨竜に聞かせるつもりではなかったが、雨竜にはしっかり届いたようだ。ただでさえ悪かった目付きが、今では剣呑なものになってこちらを睨んでいる。
「何故そこで黒崎が出てくるんだ」
 言おうか止めようか迷ったが、さっき国語辞典をぶつけられた意趣返しのつもりで、コンは思わず口を滑らせる。
「だっておまえ、一護のこと好きじゃねえか。いくら男のふりをしてたってやっぱり女なんだな」
 その瞬間、コンの頭には星が飛んだ。何が起こったのかわからなくて、熱くなった頬に思わず手を当てる。頬を殴られたと理解したのは、それからすぐのことだった。
「なに、しやがるんだ……!」
 いくらなんでもこれは酷過ぎるだろうと一度は雨竜を睨みつけたコンだったが、すぐにそれを後悔した。
「なんて顔、してんだよ……」
 雨竜の顔は今にも泣き出しそうで、どうしたらいいのかわからなくなる。ただ一つわかることは、自分の言葉が酷く雨竜を傷つけてしまったということだけだ。
 いつも真っ直ぐに立つ強い奴だと思っていたから、こんな表情をするだなんて思わなかった。こんな傷付いた目をするだなんて、思いもしなかった。
「おい石田?おまえのところにコンいねえか?」
 不意に呑気な声がしたと思ったら、なんとも間の悪いことに虚退治を終えた一護が窓から雨竜の部屋を覗きこんでいた。
「やっぱりここにいるじゃねえか……ってコン、おまえその顔どうしたんだよ!」
「いや、ちょっとぶつけて……」
 何をそんなに驚いた顔をするのかと一瞬思ったが、確かに額と頬が腫れあがっていれば驚きもするだろう。
「額はともかく頬なんてぶつけられるわけねえだろ。もしかして石田にやられたのか?」
 不機嫌に眇められた瞳に、何故だかコンは慌てて弁解する。
「これは違うんだよ!ちょっとした手違いで……!」
「それにしてもこれはやりすぎだろ。本当に可愛くねえ奴だな」
 最後に付け加えられた言葉が雨竜に向けて放たれたものだとわかってしまったから、コンは咄嗟に雨竜の顔を覗きこむ。その顔は案の定泣きそうなままで、こっちまで泣きたくなった。
「一護!これは石田が悪いんじゃなくて……」
「帰ってくれ」
 コンの言葉を遮ったのは、冷たい雨竜の声だった。その瞳にさっきまでの傷付いた色はなく、痛々しいほどに何も映っていない。
「おまえ、仮にもこれは俺の身体なんだから謝るくらい……」
「帰れと言っているんだ!」
 それはまるで悲鳴のようだった。もう傷付きたくないと、雨竜の心が叫んでいる。
 コンは不意に、自分の言葉を撤回したくなった。こんな風に悲鳴を上げられるくらいなら、国語辞典の方がよっぽどましだ。
「……コン、帰るぞ」
 静かな一護の声に逆らえず、コンは一護の姿のまま雨竜の家を出た。


「怒ってんのか?」
 家に戻っても何も言わない一護に、コンは恐る恐る聞いてみる。もしかしたら自分のせいで雨竜の恋が本格的に駄目になってしまうかもしれないと考えたら、いくら可愛くないといっても相手はただの女の子なわけで、罪悪感でいっぱいになった。
「そんなんじゃねえよ。……ただ」
 そこで一護は、くしゃりと自分の髪を乱暴に掻きまわした。
「あいつにもうあんな顔させないって、思ってたからよ」
 その言葉にコンは目を見開いて一護を見る。そんなことを考えているだなんて、思いもしなかった。
「もしかしておまえ……」
 石田のこと好きなのか、という言葉は胸の中でだけ呟く。けれど一護は続く言葉に気付いたのか、少し困ったような笑い方をした。
「別に好きじゃねえよ。大体あいつ、男だろ。……ただ、放っとけないんだ。あいつが守られるような奴じゃねえってことはわかってる。でも、一人くらいあいつを気にかけてやる奴がいてもいいだろ?」
 その言葉に、コンは心の中で頷いた。
 本来守るべき存在というのは、ルキアや織姫のことを言うのだろう。けれど彼女たちは一護が守らなくても、他の誰かが守ってくれる。
 でも雨竜は。あの、いつだって痛々しいくらいに一護の背に立とうとしている真っ直ぐで脆いあの少女は、誰が守ってくれるのだろう。誰が傍にいてやるのだろう。
 雨竜が本当は女なのだと、言いたくなかったと言えば嘘になる。雨竜はただの普通の女の子だと、一護に教えたくなかったと言えば嘘になる。
 けれど、雨竜がそれを望んでいないことは、ぬいぐるみの身体でも痛いほどにわかるのだ。
 不意に、コンは思った。
 雨竜はこれからも、あんなに細い足で、一人立ち続ける気なのだろうか。あんなに頼りない腕で、誰かを守る気なのだろうか。
 きっとそうなのだろうとわかっているだけに、コンはどうしようもなくなる。
 ただ、一護のその想いが恋じゃないのなら、いつかそれが恋に変わるまで自分が雨竜を守ってやろうと、コンは密かに誓った。


「よお」
「君も暇だね」
 あの日から度々来るようになったコンに、雨竜は呆れながらも嫌な顔をせずに出迎えていた。
 もてなしなんてしないよ、と言いながらもちゃんとお茶とお菓子を出す雨竜に、コンは律義な奴だと感心する。そしてそれが雨竜の優しさだということも、コンはわかっていた。
「なあ石田」
「何?」
 お菓子を頬張りながら、コンは雨竜に話しかける。
「俺が守ってやるからな」
 意味がわからないというように顰められた顔を見て、コンは小さく笑った。
 自分の役目はきっともうすぐ終わってしまうが、多分それでいいのだろう。早くその日が来ればいいと、コンは祈るようにそう思った。



end

[*前へ][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!