小さな恋のうた
ルキアを見つめる、彼の優しい眼差しが好きだった。
尸魂界で過ごす最後の夜、雨竜は借りていた部屋を抜け出して、ぼんやりと暗闇に包まれた街並みを眺めていた。この世界の夜は、現世に比べると驚くほどに暗い。もしこの死神だらけの世界で好きになれたものがあるとしたら、それはこの闇夜だけだろう。
そこまで考えて、雨竜は自嘲の笑みを漏らした。
好きになれたのがこの闇夜だけなんて、そんなの嘘だ。自分は大嫌いだったはずの死神を、よりにもよって自分を殺そうとしたあの男を、好きになってしまったのだから。
恋次がルキアを大切に思っていることは、この数日間で嫌というほど思い知らされた。自分のことなどその瞳に映していないことは、初めからわかっていた。
それでも、嫌いになれない。馬鹿みたいに、その姿を追ってしまう。それがどんなに無駄なことか、わかっているはずなのに。
きっとこの想いは誰に知られることもなく、ひっそりと存在し続けるのだろう。自ら口にすることも、気付かれることもなく。ましてや叶うことなんてありえない。それでもきっと、消すことはできないだろう。
近くにいる死神の存在に気が付いたのは、馬鹿みたいだと内心で吐き捨てた瞬間だった。
「こんな所で何やってんだ?」
静かな所作で雨竜の隣に立った死神は、珍しく下ろされていた長い髪を鬱陶しそうに掻き上げる。緋色のそれは僅かな光を反射して、鈍く輝いた。
「少し風に当たっていただけだよ。君こそこんな所で何してるんだ」
「俺も風に当りたくなっただけだ」
その如何にも取って付けたような答えに、雨竜は一瞬眉を顰める。けれどそのことについて何か言及することはなく、再び視線を暗い街並みへ戻した。
「明日、帰るんだったな」
唐突に漏らした恋次の言葉はどこか独り言めいていて、ともすればこの深い闇に吸いこまれてしまいそうなほど頼りない。
雨竜はそれに返事をするべきか少しだけ悩み、結局静かに頷いた。
「……悪かったな」
初め雨竜は、苦々しく発せられたその言葉がどういう意図を持っているのか、全くわからなかった。ゆっくりと一度だけ瞳を瞬かせ、そうしてようやく理解する。
彼が言っているのは、初めて自分たちが接触したあの夜のことだ。
「今更、何言ってるんだ」
「ずっと、言いたかったんだよ」
やっぱり不本意そうに、それでもすまなそうに言う恋次に、雨竜は小さく笑った。
顔に似合わず律義な奴だと思う。そういうところも、好きなのかもしれない。
「あれは別に君だけが悪いわけじゃないだろ。……僕も」
もしも今許さなかったなら、この男は生涯自分に囚われてくれるのかもしれない。そんなずるい考えが、脳裏を過った。
けれど雨竜は、何かを諦めたようにもう一度笑って見せる。
「悪かったな」
この言葉がきっと、終わりの合図だ。この先、彼と交わることは永遠にないだろう。彼との繋がりは、今この瞬間に断たれてしまった。残ったのは、この馬鹿みたいに不毛な想いだけだ。
「それからもう一つ言いたかったんだけどよ」
何故だか焦ったような恋次の声に、雨竜は視線を彼にやる。その声とは裏腹に、表情は何処か開き直ったような印象を受けた。その瞬間、彼の口元が悪戯っぽく弧を描く。
「おまえが現世に戻っても、時々会いに行っていいか?」
聞きたいことも言いたいこともたくさんあった。けれど、全てを見透かしたようなその言葉といつだってルキアに向けられていると思っていた優しい眼差しに、雨竜は頷くだけで精一杯だった。
「……うん」
せめてその声が震えていたことには、気付かなければいい。
雨竜は泣きそうになりながら、密かにそう思った。
end
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