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初恋レゾンデートル



 夕陽の射しこむ教室は、見事な程オレンジ色に染まっていた。その中で談笑する、一組の男女。女子生徒の方は男子生徒と一緒に居られることが嬉しいと言わんばかりに瞳を輝かせ、幸せそうな笑みを浮かべている。一方男子生徒の方も、傍目にはわかりづらいが、淡いブラウンの瞳に優しい色を滲ませていた。恐らく二人は、互いに想い合っているのだろう。
 そんな二人の姿を気付かれぬように見ていた雨竜は不意に視線を外すと、何も言わずにその場から立ち去ってしまった。先程までは何かを堪えるような目で二人を見ていたのに、今はもう、その端麗な顔にはなんの表情も浮かんでいない。
 まるで、全てを諦めてしまったかのように。
「それでいいのかよ」
 無表情のまま校門を出ようとした雨竜に声をかけたのは、彼が無表情で教室の前から立ち去るまでの全てを見てしまっていた恋次だった。任務でこちらに来たのか、その姿は義骸ではなく死覇装に包まれている。
 少し怒ったような表情で詰め寄る恋次に、雨竜は一度だけ視線をやると、やはり表情を変えることなく恋次の前を通り過ぎようとした。
「ちょっと待てよ!」
 何も言わないどころか何も反応を返さない雨竜に、恋次は声を張り上げる。コートに隠された手首を掴むと、そこは想像以上に細かった。折れてしまうのではないかと思わずその手を離してしまいそうになるが、目の前の男はそんなに脆い奴ではないと思い直し、彼の手首を握る右手に力を籠める。
「……一体なんなの、君」
 手首を掴まれようやく恋次の顔を見た雨竜は、心底嫌そうな、面倒臭そうな顔をしていた。早くこの場から立ち去りたいという感情を微塵も隠せていない。
 それでも恋次は、雨竜を離さなかった。
「だから、おまえはそれでいいのかって聞いてるんだよ」
 真っ直ぐに雨竜の双眸を見詰め、先程の言葉をもう一度繰り返す。恋次が言葉を発するまではあんなに嫌そうな顔をしていたのに、今の雨竜は教室の前から立ち去った時と同じ無表情に戻っていた。眼鏡の奥の瞳が見たことも無いほど冷え切っていて、恋次は背筋が寒くなる。
 雨竜が一護を好きなことは知っていた。それが雨竜の一方通行ではなく、互いに想い合い、付き合っていることもわかっていた。任務で現世にやって来る度に肩を並べる二人を見たし、二人の間に甘い空気が漂っているのを感じたことだって何度もある。その時の雨竜の目は優しく温かで、人というのはこんなにも幸せそうな表情ができるのかと、恋次は心底驚いたのだ。
 ところが、今の雨竜はあの時と同じ人物とは到底思えない、冷たい瞳をしている。
「君には関係ないだろ。放っておいてくれないか」
 それでも恋次は、幸せそうに微笑む雨竜を忘れられない。もう一度、あんな風に笑って欲しいと思ってしまう。
 そう願う気持ちが友情か恋情か、はたまた同情から来るものなのかはわからないけれど、願う気持ちに変わりはない。
「確かに俺には関係ないかもしれないけど、おまえらはあんなに幸せそうに付き合ってたじゃねえか。なんで話し合うことも自分の想いを伝えることもしねえで諦めちまうんだよ。さっきのはただの勘違いかもしれねえし、そうじゃなくてもまだ間に合うかもしれねえだろ」
 雨竜は恋次が話している間、彼の視線をしっかりと受けとめていた。追いつめているはずの恋次が怯んでしまいそうになる程その瞳は強いものだったが、一護と織姫から目を逸らした時のように、雨竜は不意に視線を外してしまう。その表情にはもう、嫌悪も悔恨も苦悩も痛憤も、悲哀でさえも映し出されてはいなかった。
「僕、人を好きになるのに向いてないんだよ」
「は、あ?」
 視線は逸らしたまま、表面だけの微笑を浮かべた雨竜の言葉に、恋次は思わず間抜けな声を出してしまう。
 人を好きになるのに向いているとか向いていないとか、そんなものがあるのか。
 けれど雨竜は、そんな恋次を気にすることなく言葉を続ける。
「なんかもう、全部面倒になったんだ。黒崎を好きな井上さんの気持ちを考えるのも、そんな彼女を気にする黒崎と一緒に居るのも、もう駄目だってわかりながら黒崎に縋るのも、もう嫌になったんだよ」
 それは諦めきった声音だった。全てを知っていて、努力して、それでも報われなかった者が吐き出すような、そんな響きを持った声だった。
「……それでも。それでもおまえは、一護のことが好きなんだろ!」
「……好きだけじゃどうにもならないことだって、世の中にはたくさんあるんだよ」
 最後の最後で泣きそうに笑う雨竜に、恋次はもう何も言えなくなる。手首を掴んでいた右手も優しく振りほどかれてしまった。
 恋次は一護と出会う前の雨竜を知らない。死神を憎み、ただそれだけの理由で生きていたと聞いたことはあったが、それ以上のことを一護もルキアも話そうとはしなかった。だから、雨竜にとってその時と今のどちらが辛いのかなんて、恋次にはわかるはずもない。
 だけど、あんな風に冷たい目になってしまうほど追い詰められてしまったのだとしたら、全てを諦めることしかできなくなってしまったのだとしたら。……泣きそうに笑うことしかできなくなってしまったのだとしたら。
 一護となんか出会わなければよかったのにと、小さくなる背中を見詰めながら、恋次はそう思うことしかできなかった。



end

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あきゅろす。
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