[携帯モード] [URL送信]
有神論



 虚を倒しに行った一護の代わりとして、俺は一護の身体に入れられた。初詣、とやらに行く為に外を歩いていたから、途端に寒さが身に沁みる。いつも思うけれど、人間の身体というのは繊細過ぎて壊れてしまいそうだ。
「……寒いなら、これ使う?」
 一護や井上さんが無理やり連れ出してから始終無言だった石田が、寒さに震える俺を見兼ねて手袋を差し出してきた。紺色のそれは、今まで石田が使っていたものだ。きっと石田の温もりが残っているのだろう。
 俺は迷いに迷ったが、純粋な親切だと思って有り難く受け取ることにした。
「ありがとな」
「別に」
 相変わらず素っ気ない奴。でも、冷たい奴じゃないこともわかっている。こいつなら、文句を言いつつも俺の疑問に答えてくれるかもしれない。
 前を歩く井上さんとおっさんの背中を見ながら、俺は口を開いた。
「なあ、初詣ってなんなんだ?」
 一護は俺を連れてきただけで、何も教えてはくれなかった。しつこく聞いても、うるせえと突っぱねるだけだ。だから俺は初詣というものがなんなのか、よくわかっていない。
 隣を歩く石田はこちらを見ることも無く、マフラーに顔を埋めたまま淡々と答えた。
「新年になって初めて社寺にお参りすること」
「ふうん?」
「要するに、新年っていう理由に託けて、神様に願い事を丸投げするっていうことだよ」
 よくわかっていない俺に気付いたのか、石田はさらに説明を付け加えてくれる。けれどそれがどうにも棘の含んだもので、なんだか複雑な気分になった。
「おまえ、ハツモウデが嫌いなのか?」
「初詣じゃなくて、神に頼むという行為自体が嫌いなだけ。僕は無神論者だし、そもそも願いは自分で努力して叶えるべきだと思っている」
 真っ直ぐに前を見据えたその目は、もしかしたら石田自身を表しているのかもしれない。脇目もふらず、ただ前にだけ進んでいる。振り返ることなんてしないし、前に進めない奴らを気にかけることも勿論しない。
 そういう生き方は確かに潔いかもしれないけれど、少し残酷だ。特に、不良品だった俺にとっては。
「おまえって、何かが叶わなかったことなんてないんだな」
「……なんだと?」
 その目はここにきて初めて俺の方を見た。怒りのせいなのか、眼鏡の奥の目は細められている。
「叶わなかったことがないから、願いは自分で叶えるべきなんて言えるんだろ。俺は無理だ。そんなこと言えねえ。俺はどんなに頑張っても、努力することすらできなかった。……いないってわかっていても、神に祈るしかできなかった」
 だから、俺にとって姐さんは掛け替えのない人なんだ。俺を救ってくれた人。無理だと諦めかけていたのに、それでも助けてくれた人。
 まるで、神様のように。
 石田は俺の言葉に何も返さなかった。やっぱり前を向いて、ただ歩くだけだ。
 本当は自分の手が赤くなるのも構わず俺に手袋を貸してくれるくらいには優しい奴だってわかっているから、言い合いなんてしたくないのに。喧嘩なんてしたくないのに。傷付けたくなんてないのに。
 ここは俺が謝った方がいいのかと、徐に口を開こうとしたときだった。
「……あるよ」
 酷く、小さい声だ。聞いたことのない、弱々しい声。それがあんまり頼りないものだから、俺は素直に口を閉じるしかなくなる。
「叶わなかったことなんて、たくさんある。いくら願っても、祈っても、色んなことが叶わなかった。だけど僕は信じたよ。僕の神様は、それでも信じようとしていたから」
 石田の目は、言いながらも真っ直ぐに前を見ていた。
「……でも、僕の神は死んだ。僕が殺したんだ。僕はもう、神を信じることなんてできない。そんな虫のいいこと、許されるはずがない」
 夜でもわかるほど暗く、深い漆黒の瞳が潤んだのがわかる。風に掻き消されてしまいそうなほど小さい声は、僅かに震えていた。きっと俺は、石田の大切な部分に足を踏み入れてしまったのだ。何も知らないまま、何もわからないまま。
 今度黙り込んだのは、俺の方だった。
 もしも自分が姐さんを殺してしまったら、俺はどうなるんだろうか。どういう気持ちになるんだろうか。……神を信じることなんて、できるのだろうか。
 暗闇に浮かぶ白い顔は、いくら見詰めていても変化がない。今はコートで隠れているその細い手首にぶら下がっているブレスレットが十字架の形をしているということを、俺はようやく思い出した。
 幼い石田が、その十字架を握りしめて祈る姿が脳裏に過る。もしかしたら、石田の神とやらが死んだ後も、そうやって祈り続けていたのかもしれない。誰に祈っているのかも、わからないで。
「石田!」
 冷え切っている手を握って、小さい声で名前を叫ぶと、石田は驚いたようにこちらを見た。手を振り払われそうになるが、俺はそれでもこの白くて繊細な石田の手を離さない。
「俺が、おまえの神様になってやる」
「何、言ってるんだ。……君には、無理だよ。僕の神は、あの人だけだ」
「神様が一人だなんて誰が決めたんだよ!」
 俺はもう、手の届かない神だけを心に棲まわす石田なんて、見たくない。そんなものだけに心を許す石田なんて、見たくない。
 俺は姐さんに救われたけど、俺が救いたいのはこいつなんだ。
「おまえの願いをなんでも叶えてやれるわけじゃねえけど、傍にいるくらいはできるからよ」
 石田はしばらく必死な俺の目を真っ直ぐに見ているだけだったが、ふっと頬を緩めて呆れたように笑った。
「それじゃあ神様じゃなくて、恋人みたいだよ」
 確かにそうなのかもしれない。けれど、それも悪くないと思ってしまった俺はきっと、とっくに石田を好きになっていたのだろう。
「おまえが望むなら、それでもいいけど」
 それがまるで告白のようだったから、俺は自分の頬が熱くなるのを感じた。身体は寒いはずなのに、そこだけが熱を持っているのを感じる。
 石田はそんな俺を見ると、少しだけ驚いたような表情になった後、小さく微笑んだ。
「やっぱり、君じゃあ僕の神様にはなれないね」
 呆れたような言い方だったけれど、恋人になれないと石田が言うことは結局なかった。



end

[*前へ][次へ#]

あきゅろす。
無料HPエムペ!