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そして世界が回り出す



「今日だけ、あなたの時間をアタシにくれませんか?」
 日付が変わるまで、後一時間。霊圧を感じさせることも気配を感じさせることも無く、突然窓から現れた相手は、そう言いながら右手を差し出した。
 自分がその手を取ってしまったのは、多分、何処かに連れて行って欲しいと、心の中でそう願っていたからだ。



 空座総合病院から連れ出してくれたときと同じように、浦原は雨竜の部屋の壁に穴を空けた。どういう原理かも、どんな仕組みかも雨竜にはわからないが、きっとその穴は自分の知らない何処かに繋がっているのだろう。
 できるなら、遠い所がいい。自分を知っている人も、自分が知っている人もいない場所。誰も、いない場所。
 寒いかもしれないからと着ることを薦められたコートに包まれながら、雨竜はぼんやりとそう思った。
「行きましょうか」
 常の人を食ったような笑みとは違う、彼本来の笑みと思えるものを浮かべながら、浦原は雨竜を促す。雨竜は何も言わず素直に頷いて、浦原の後に続いて未知の世界に繋がる穴へ足を踏み入れた。
 その刹那、雨竜の視界を暗闇が覆う。何も見えず、繋がれた左手から伝わってくる熱だけが、自分と浦原の存在を伝えてくれる。けれど何も見えなかったのは一瞬で、次の瞬間には目の前の景色に圧倒されることになった。
 白銀の世界。人も、生き物も、物もない世界。ただただ辺り一面に広がる雪と、それらを照らす月が輝いているだけ。
「……すごい」
 思わず感嘆の声が漏れてしまう。
 虚が頻繁に出るため空座町を離れられなかった雨竜にとって、こんな風に積もった雪を眺めるのは、初めてのことだった。身体に突き刺さるような寒さは堪えるが、この光景の前ではそれすらどうでもよくなる。
「気に入ってくれましたか?」
「はい、ありがとうございます」
 普段の雨竜とは違う、若干興奮した面持ちで御礼を言うと、浦原はなんとも言えない穏やかな笑みを浮かべて見せた。その笑みがあまりに優しかったから、雨竜はなんだか居心地が悪くなってくる。
「……どうして、僕をここに?」
 浦原の顔を見ていられなくなって、気付けば浦原が自分を連れ出したときから持っていた疑問を口に出していた。浦原はその質問がいずれ雨竜の口から放たれるとわかっていたのか、別段驚いた様子もなく口を開く。
「実は今日、アタシの誕生日なんッスよ。だから、残り僅かだとしても、あなたと一緒にいたかったんです」
「なん、で……」
「あなたが誰を好きだとしても、アタシは石田サンのことが好きッスから」
 それは、なんの感慨もない告白だった。まるで明日の天気を言うみたいに、世間話でもするみたいに。
 けれどそれは、雨竜が今まで聞いた中で、一番優しい声音だったかもしれない。
「浦原さん……」
「アタシが、あなたを連れ出したかっただけなんッスよ」
 苦笑の孕んだ声でそう言われてしまえば、雨竜にはもう何も言えなかった。
 きっと浦原は、雨竜が何処か遠い場所に連れ出して欲しがっていたことに気付いていたのだ。いや、きっとそれだけではない。一護への報われない想いを抱えることにも、そんな雨竜の想いに気付いていたのであろう織姫から何か言いたげな目で見られていることにも、いつもは静かで穏やかな茶渡が困惑した空気を纏うことにも、気付いていた。そしてそんな状況から逃げ出したかったことさえも。
 だから、誕生日だからなんていう言い訳を用意してまで、自分を連れ出してくれたのだ。
 胸が詰まって、苦しくなる。どれだけ辛くても流れなかった涙が溢れ出しそうになって、雨竜はぎゅっと強く目を瞑った。
「あなたが望むなら何処にだって連れて行って差し上げます。……だから、今日だけアタシのものになってくれませんか?」
 握られていた手に力が籠められる。身体は凍えるほどに寒いのに、そこだけは燃えるように熱かった。
 自分は確かに一護が好きで、彼の傍にいられるならば何もいらなかった。自分を憎しみから救い出してくれた、大切な人。大好きで、仕方がなかった人。
 けれど、この手を繋いでいてくれる人は、ちゃんと他にいてくれた。
「……今日だけじゃ、嫌です。これからずっとに、してください」
 隣で息を飲んだ気配がしたと思ったら、次の瞬間には息が止まる程強く抱きしめられていた。その力があまりに強くて身体は痛かったけれど、それ以上に幸せな気持ちで一杯になる。
「好きです」
 どちらのものとも思えない声が、白銀の世界に響き渡った。



end

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