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Christmas love



 空座駅には、約束の十分前に着いた。けれど石田はすでに待っていて、俺は一瞬自分が遅れたのではないかと焦ってしまう。
「悪い、待たせたか?」
 急いで駆け寄り謝ると、石田は別段怒った風もなく、さらりと口を開いた。
「いや、僕が勝手に早く来ただけだから」
「早くって……何時からいたんだよ」
「……九時半には、いたよ」
 既製品に見えるが、恐らく手作りなのだろうマフラーに顔の半分を埋めながら、石田はなんでもないことのように言う。眼鏡を直す指先は赤くなっていて、もしかしたらそれより前にいたのかもしれない。別に遅れたわけではないけれど、もっと早く来ればよかった。
「悪かったな」
「別に、君が謝る必要はないよ。それより、まずは映画に行くけどいい?」
 言いながら、石田はたくさんの人が並んでいる映画館を指さす。クリスマスということもあり、そのほとんどが恋人らしき人たちで、俺は再び朝の憂鬱が蘇ってきた。
 なんでクリスマスに、俺はほとんど話したこともない奴、それも男と映画を見なきゃならないんだ。
「はい、これ」
 悶々と考え込む俺に対して、石田は涼しげな顔で映画のチケットを差し出す。素直に受け取ってよく見てみると、それは今話題の泣ける純愛映画のものだった。CMでしつこいほど宣伝しているそれは、確かに面白そうだったが、少なくともクリスマスに男二人で見るものではない。というより、これを見て石田はどうする気なんだ。石田と出掛けるなんて気は進まなかったものの、ここに来るまでも来てからも本気でこれがデートだなんて思っていなかった。理由はわからないが、ただ誘われただけだと、そう思っていたのに。
 もしかしたら、石田は本当にデートだと思っているのかもしれない。そしてあり得るだけに、対応に困る。
「……なんで、これなんだ」
「え、黒崎は意外とロマンチストだって井上さんに聞いたんだけど……気に入らなかった?」
「……別にいいんだけどよ」
 石田はホモではなくて、相当の天然なのかもしれない。
 さっきまでの思考と一変して、俺は思わずそう思ってしまった。



 石田と見た純愛物の映画は、普通に面白いし感動した。親の反対で離れ離れにされた恋人同士がそれでも愛し合うという、現代ではありえないような内容だったけれど、それでも泣けることには変わりなかった。石田は始終数学の問題でも解いているような真面目な顔で見ていたから、間違っても泣くなんてことは、できなかったけれど。
「親が結婚相手を決めるなんて、時代錯誤も甚だしかったけれど、まあまあだったよね」
 映画館を出ると、石田は面白いなんてお世辞にも思っていないような無表情でそう言った。
「そうだな」
 本当は結構感動していたけれど、それを言うのは格好悪いような気がして、俺はなんとも思っていないようにさらりと相槌を打つ。
「でも、実際はあんなの無理だよね。離れ離れになっても愛し合っていつか報われるなんて、虚構の中でしかあり得ない」
 石田は特に悲観することも感情を籠めることもなく、淡々とそう言った。
「そんな全否定しなくてもいいんじゃねえのか?世界中に一組くらいは、そんな恋人がいてもいいだろ」
「あ、もう十二時になったんだね。昼御飯でも食べに行こうか」
 俺の言葉なんて聞かずに、石田は歩き出した。本当にマイペースな奴だと思う。こんな奴と恋人になる奴は、さぞかし大変だろう。
 俺は溜息を吐きたくのをなんとか堪えて、石田の後ろを歩き出した。
 前を歩く石田に迷いはない。もしかすると、何処かの店を予約しているのかもしれなかった。
 俺は石田の後を歩きながらそう思ったが、石田に連れて来られたのは、この辺りでは誰でも知っているくらい有名な、割と広い公園だった。
「ちょっと寒いけど、ここでいい?」
 人気のない場所にベンチを見つけると、石田はそこに荷物を置きながらもようやく振り向く。どうやらこいつの中ではここで食べるのはすでに決定事項らしく、誰が見ているわけではないけれど俺に聞いたのは体裁を繕う為だ。恐らく俺が反対しても、石田はなんだかんだと理由を付けて、ここで食べたのだろう。
「いいけど、何もねえぞ」
 人気のない場所を選んだだけに、近くには何もなく、昼食と言っても食べるものは何もない。こうなるとわかっているんだったら、コンビニか何処かで何か買ってくれば良かった。
「お弁当、作ってきたから」
「弁当?」
 俺は思わず目を見開いた。
 こいつが手芸部で、しかもかなりの腕前だということは知っていたが、料理もできたのか。
 俺の驚きを余所に、石田は早速弁当を広げている。
 俺が隣りから覗きこむと、石田が持参した重箱の中には、素人が作ったとは思えない本格的なおかずがぎっしりと入っていた。
「おまえ、本当になんでもできるんだな」
 素直に感心して言うと、石田は照れたようにそっぽを向いてぼそぼそと答える。
「別に、これくらい誰だってできるよ」
「いや、できねえだろ」
「慣れたらできるんだって」
 やっぱりできねえよとは思ったが、これ以上言っても意味がないことくらいわかっていたので、俺はとりあえず口を噤んだ。
「立ってないで、いい加減座りなよ」
 水筒に入っていた熱いお茶を注いだ紙コップを渡されて、俺は言われた通り石田の隣りに座った。なんでもできるだけじゃなく、石田は気も利くらしい。
「余っても困るだけだから、たくさん食べてね」
「あ、ああ。いただきます」
 見た目がいい料理たちは、予想を裏切らず味も良かった。綺麗に巻かれた少し甘めの卵焼きも、ちょうどいい濃さの煮物も、冷凍食品ではないコロッケもハンバーグも、色々な具が入ったおにぎりも、全部美味い。
「やっぱすげえな、おまえ」
 一通り食べ終わって石田を見ると、石田は困ったような顔でこっちを見ていた。いつも一人でいる石田は、褒められるということに慣れていないのかもしれない。
「別に、すごくないんだよ、こんなの」
 言いながら、石田は寒さのせいではなく顔を赤くした。さっきの表情は困っていたのではなくて、きっと照れていたのだ。
 可愛いな、と俺は思った。
 思ってすぐに、固まることになる。
 可愛い?可愛いってなんだ?相手は石田だぞ。いくら綺麗な顔をしていても、料理がうまくても、裁縫ができても、こいつは男なんだ。そんな相手に可愛いって……!
「黒崎?」
「な、なんでもねえ」
 急に動かなくなった俺を訝しく思ったのか、石田が俺の顔を覗きこんでくる。思わず仰け反りそうになったが、それも不自然な気がして、目を逸らす程度に止めておいた。
「それよりさ、おまえ、なんで俺を誘ったんだよ」
「え?」
「だから、普通は話したこともねえような奴と出掛けようなんて思わねえだろ」
 気を逸らそうという意味もあったが、何故俺を誘ったのか聞いたのは、ずっと気になっていたからだ。クリスマスに一人なのは寂しいから誰かといたかった、なんていうタイプには見えないし、そもそもそれなら女を誘っているだろう。こいつには、俺じゃなきゃいけない理由があったんだ。それが何かは、わからないけれど。
「お礼、だよ」
「は?お礼?」
 予想外の答えに、俺の口からは素っ頓狂な声が出た。
「うん。君、この前僕のこと助けてくれただろ」
「この前?」
 俺は石田に名前を教えられるまで、こいつのことは何も知らなかった。だから当然、助けてくれたと言われても、思い当たる節は微塵もない。
「……まあ、忘れてるとは思ったけどね。先週の月曜日、僕が不良に絡まれていたのを助けてくれただろ?」
 先週の月曜日。不良。助ける。
 そこまで言われて、俺はようやく思い出した。確かに俺は、石田を助けたことがある。でもそれは助けようと思って助けたのではなくて、一人に対して大勢でかかっていこうとするその根性が許せなかっただけだ。
「いや、俺別におまえを助けようとしたわけじゃねえんだけど」
「わかってるよ。それでも僕は助けられて、お礼がしたかった。それで充分だろ」
 そんなものなのかなと思ったが、まあ本人が納得しているならそれでいいのかもしれない。
「じゃあおまえ、俺が好きだから誘ったわけじゃなかったんだな」
「は?何それ?」
 眉を顰めて怪訝そうに言う石田に、俺はなんだか自分でも吃驚するほど拍子抜けしてしまった。



 弁当を平らげた俺たちは行くところもなく、腹ごなしも兼ねて広い公園を歩き始めた。今まで話したことも関わり合いになったこともなかったのに、石田の隣りは不思議と居心地がいい。
「おまえさ、お礼だからって誘うのもいいけど、ちょっと考えた方がいいと思うぜ」
「え、何が?」
 隣りを歩く石田に真っ直ぐな目で見られて、やましいことなど一つもないというのに、俺は少しうろたえてしまう。
「今日ってクリスマスだろ」
 石田はわかったのかわかってないのか、ああ、とだけ言って、黙り込んでしまった。如何にも日本人、って奴だから、クリスマスに浮かれる奴の気持ちなんてわからないのかもしれない。
「もしかして、誰かと過ごす約束してたの?」
 沈黙が広がってしばらくした頃に、石田は少し不安そうに言う。
「いや、今日は本当に暇だったんだけど」
「そっか、それならよかった」
 先程とは打って変わって安心したように微笑を浮かべる石田を見ていたら、行くか行かないかで散々悩んでいたことは生涯黙っていようという気持ちになってきた。
「クリスマスに男同士で公園を歩くってなかなかないけど、結構悪くないな」
「うん」
 寒さで鼻を赤くしながら頷く石田に、俺はやっぱり可愛いと思ってしまった。
 けれど、今度はそんな自分をすることはなかった。



 しばらく二人で歩いて、そのまま俺らは空座駅に戻ってきた。いくら冬とは言っても、まだ日は高い。けれど、俺と石田の今日はこれで終わってしまうんだ。そう思うと、寂しいような惜しいような、そんな気持ちになった。
「じゃあ、また明日ね」
 石田の家が何処にあるのかはわからないけれど、どうやらここでお別れらしい。確かに明日学校はあるけれど、明後日からは冬休みだし、一人でいることを好む石田だ、きっともう俺とは関わろうとしないだろう。そう思うとどうしても気軽に別れることができなくて、俺は言うべき言葉を懸命に探した。
「あのさ」
「何?」
 石田は不思議そうに首を傾ける。
「今日は、ありがとな」
 どれだけ探しても適当な言葉は見当たらず、結局俺の口からはそんなありきたりな言葉しか出てこなかった。
 でも石田は、嬉しそうに頬を緩める。
「こっちこそ、ありがとう。お礼のはずなのに、すごく楽しかった」
「俺も、楽しかった」
 二人で笑い合い、俺はやっぱりそのまま石田の背中を見送ることしかできなかった。これじゃあ初めて話しかけられた時と何一つ変わらない。
 石田の背中が見えなくなる頃、俺は一人溜息を吐いた。



 翌日の授業終了後、俺は固まることになった。担任の越智さんから、石田が転校することを告げられたのだ。石田は澄ました顔で、皆の前に出る。
「父の仕事の都合で引っ越すことになりました。一年も一緒にいられなかったけれど、今までありがとうございました」
 転校なんて俺らにしてみれば一大事なのに、当の石田はなんとも思っていないような顔で一礼する。周りの者が、ざわざわと騒ぎ出した。この様子だと、誰も知らなかったらしい。石田とは割と仲が良かった井上や女子生徒は、泣きそうな顔で石田を見ていた。
 けれど、一番驚いてショックを受けたのは、俺だろう。
「ちょっと待てよ!」
 大声を上げて立ち上がった俺を皆は注目したが、この時の俺は周りの目なんか気にならなかった。それよりも、もっと大事なことがある。
「おまえ、転校って……なんで言わねえんだよ!」
「別に、言うタイミングもなかったし、必要もないかなって」
 困ったように俺を見る石田を、張り倒したくなってくる。
「馬鹿か!昨日あんなに一緒にいたんだから、一言くらいなんか言ってくれてもいいだろうが!」
 皆の俺を見る目が、怪訝そうなものになる。それもそうだろう、俺と石田が学校で喋ったことなど、一度もなかったに等しいのだから。
「でも、どうせ今日言ったんだから、昨日言わなくても変わりないだろう?」
「そういうことじゃねえだろ」
 本当にマイペースな奴だ。俺はがくりと肩を落として、座り込むことしかできなかった。そんな俺に、周りが冷やかしの声を浴びせる。
「黒崎って石田と仲良かったんだ」
「意外だね、話してるところなんて一回も見たことなかったのに」
「もしかして、できてたんじゃねえの」
「じゃあ黒崎は石田に振られたわけか」
 低俗な言葉たちは教室中を飛び交ったけれど、どれも相手をする気にはならなかった。チャドや井上の心配そうな視線にも、構ってられない。
 俺の中ではそれだけ、石田が転校するということは重大なことだった。胸が苦しくて、痛い。こんな風になるのは、久しぶりだ。
 母親が亡くなってから、俺が誰かや何かに執着することは一切なかった。強いて言うなら家族は絶対に失いたくなかったが、ほとんど関わり合いのなかった男に執着するなんて、今までの俺ならあり得ない。
 きっと、昨日一緒に過ごしたせいだ。一緒に出掛けさえしなければ、こんな気持ちになることはなかっただろう。石田が誘いさえしなければ、石田が転校することでこんな風に苦しくなることもなかったのに。
 相変わらずの無表情で席に戻った石田を眺めながら、俺は深く溜息を吐いた。



 皆に囲まれている石田を、俺は離れたところから眺める。同じ手芸部らしい女子ばかりだったが、それでも惜しまれていることは十分に分かった。
 しばらくして、石田だけが取り残されたところで、俺は石田に近付く。
「石田」
 この前声をかけてきたのは石田の方だったのに、今日は俺が必死に引き留めようとしている。
「黒崎。どうかしたのか」
 石田は真っ直ぐに俺を見た。俺も、その漆黒の双眸を真っ直ぐに見詰め返す。
「俺、忘れないからな。おまえは離れ離れになっても愛し合うことなんて現実じゃ無理だって言ったけど、俺は絶対おまえのことを忘れない。俺らは別に恋人同士じゃねえけど、それでも忘れないからな」
 俺が宣誓するかのように言い放つと、石田は一瞬きょとんとした表情になり、それから呆れたように頬を緩めた。
「単純だな、君は。最近まで一緒に過ごした人間がいなくなるから、感傷的になっているだけだよ。少し経てば、僕のことなんか忘れる」
「勝手に言ってろ。でもとりあえず」
 俺は自分の携帯電話の番号とメールアドレスを書いたノートの切れ端を石田の手に無理やり持たせた。
「向こうに行っても連絡しろ。わかったな?」
 俺が真剣な顔で石田を見ていると、観念したのか絆されただけなのか、呆れたような顔のまま、こくんと一つ頷いた。そしてしばらく何やら思案しているような顔をしたと思えば、今まで見たことのない偉そうな顔で笑って、徐に口を開いた。
「君と過ごした時間は少なかったけど、結構楽しかったよ」
 俺も、楽しかった。
 その言葉は何故だか声にならなかったから、とりあえず俺は、目の前の石田を思い切り抱き締めることにした。



end

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