[携帯モード] [URL送信]
愛してる



 石田の家にずぶ濡れのまま駆け込んだのは、たまたま二人で下校していたときに突然雨が降ってきたからという、至極単純な理由からだった。俺の家よりあいつの家の方がその時歩いていた場所から近かったというのも、その要因の一つだろう。二人揃って石田の家の小さめな玄関に入ってきた姿は、濡れ鼠という言葉がよく当てはまっていた。
「黒崎、服は乾かしておくからシャワーでも浴びてきたら?」
 石田は俺に貸してくれたものと同じような大きめのタオルを頭から被って髪を拭きながら、なんでもないことのようにそう言い放った。
 石田のこういう所が、俺は馬鹿だと思う。普段はキツいことだって平気で言うくせに、こういう時だけなんの躊躇いもなく俺を優先にするのだ。本当に、馬鹿だとしか言いようがない。そしてこいつのそういう所さえ好きな俺も、きっと相当な馬鹿なのだろう。
「いや、俺は大丈夫だからおまえが先に入れよ」
「僕は後から入る。君が先に入れ」
 髪を拭くために下げていた頭を少し上げ、石田はいいから言う通りにしろと言わんばかりに、不機嫌そうな目をしてこちらを見た。こうなった石田は、梃子でも動かない。
 だからといって今回ばかりは俺も譲る気はなかった。好きな奴が風邪を引く姿なんて、できれば見たくない。
「俺のことは気にするなって」
 そう言って、何度か来ている内に覚えてしまった風呂場へ、濡れたままの石田を無理矢理にでも連れていこうと思ったときだった。掴んだ手を、音が立つほど思いっきり振り払われたのは。
「いし、だ……?」
 そんなに嫌だったのかと多少ショックを受けながら石田の方を見ると、俺なんかよりも石田の方がよっぽど傷付いた顔をしていた。
「いや、あの、……ごめ、ん」
「別に謝らなくてもいいけど……掴んだ俺が悪かったんだし」
 どうしてそこまで傷付いた顔をするのかわからなくて頭を掻いていると、石田は拭いていたタオルで顔を隠すようにして、ぽつりと呟いた。
「素肌の接触が、……苦手なんだ」
 その声は、降り続く雨音にさえもかき消されそうなほど小さく、頼りないものだった。
「掴まれたのが嫌だったとかじゃなくて、ただ、人の体温が苦手なだけなんだ。今まで言わなくてごめん」
 相変わらず俯いたままの石田に掛ける言葉が見つからなかった。別に言わなかったことを責めているわけではない。付き合っているといってもつい一週間ほど前からだし、恋人だからなんでもかんでも話すというわけではないだろうから。ただぽつりぽつりと言葉を紡ぐ石田が酷く苦しそうで、なんて言ってやったらいいのかわからなかった。
 そんな俺に、石田は静かに笑って見せた。それがまるで自嘲の笑みのようで、俺は思わず眉をしかめてしまう。
「……やっぱり、こんな奴と付き合うのは嫌だろう?」
 自嘲混じりの笑みと共に零れた言葉は案の定変な方向に突っ走ったもので、俺は大きく溜息を吐く。そうしたら傍目にもわかるほど石田が肩を揺らすから、俺はタオル越しにそっと頭を撫でてやった。
「別に嫌じゃねえよ。そりゃあ俺だって健全な男子高校生だから好きな奴には触りたいって思うけど、おまえが傍にいるだけで俺は結構幸せなんだ。安っぽいかもしれねえけどな」
「……馬鹿じゃないのか、君は。このままだったらキスもセックスもできないかもしれないんだぞ」
「それはちょっと困るな。でも俺がそういうことをしたいって思うのはおまえだけだから、別れても結局できないままだろうけど」
「本当に、馬鹿としか、言いようがない」
 震える声でそう言う石田に、馬鹿なのはおまえだ、と思うが、それは心の中だけで留めておいた。
 どうして接触が嫌いなのかはわからないけれど、きっとそれなりの理由があるのだろう。そのくせそれがまるで悪いことのように、石田は自分を責める。いっそのこと、泣いて縋ってくれれば楽なのに、石田が石田である限り、そんな日は永遠に来ないだろう。
 そういう所が憎らしくて、腹立たしくて、苦しくて、……泣きたいくらいに愛しいのだ。
「だけどさ」
 俺は言いながら、両手でタオル越しに石田の俯いていた頭を上げさせる。相変わらず顔にはタオルがかかっていて、表情は見えなかった。
「このくらいは、許してくれな?」
 濡れたタオルを挟んでそっと口付けた唇は、それでも酷く柔らかくて、幸せを感じるには十分過ぎるほどだった。
 キスどころか手を繋ぐことさえできていない俺らは、酷く経験不足で。運命の相手なんて呼ばれる人間に巡り逢っていないかもしれないほど、幼くて。周りから見ればおままごとみたいな恋愛をしているのかもしれない。
 それでもこの胸から溢れてくるのは。
「……愛してる」
 ただ、それだけで。
 顔を見せないまま何度も頷く石田がどうしようもなく愛しくて、俺はもう一度、タオル越しにそっとキスを落とした。



end

[*前へ][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!