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11月3日



 何時だったのかは忘れてしまったが、一護は一度だけ雨竜の家に行ったことがある。一年くらい前のことだが、今となっては随分と昔の記憶に思えて、その時のことはあまり覚えてはいない。ぼろぼろになったコンを修繕してもらうため、雨竜と共に学校から彼の家へ向かったはずだが、そこら辺も曖昧だ。
 ただ、雨竜の家までの道順だけは、何故だかよく覚えている。彼と何を話したのかも、彼がどんな顔をしていたのかもわからないのに、だ。
 一護はそれを不思議に思いながらも、記憶を頼りに辿り着いた雨竜の家のインターホンを鳴らした。
「……本当に、来たんだね」
 何処か躊躇うようにゆっくりと開いた扉から顔を覗かせた雨竜は、呆れたような困惑したような表情を浮かべている。
 それを見た一護は、思わず苦笑してしまった。
「昨日、約束したじゃねえか」
 共に歩いた帰り道、ぽつりぽつりと交わされる会話の中で、一護は確かに約束を取り付けたのだ。
 最近になって成績が落ちてきたのを理由に勉強を教えてくれと頼み込んだら、雨竜は意外にもあっさり了承した。あまりにも素直に頷いたから一護は怪訝に思っていたのだが、まさか本気にしていなかっただけだなんて。
 一護の口元に苦笑が浮かぶのも無理はないだろう。
「うん、そうなんだけど」
 雨竜はまだ何かを言いたそうにしていたが、とりあえず部屋の中には入れてくれる気にはなったらしい。狭いけど、という言葉と共に、一護は雨竜の部屋に招かれることになった。
 玄関で靴を揃え、部屋に足を踏み入れた一護の感想は、確かに広くないな、である。けれど、一人暮らしなのだからこれで事足りるのかもしれない。それに物がほとんどないせいか、実際の面積よりは広く感じられる。
 そこまで考えて、一護は自分自身に呆れてしまった。一度とは言え確かに足を踏み入れた場所なのに、自分は本当に何も覚えていない。
「適当に座って。それと、コーヒー飲めるよね?」
「ああ」
 所在無げに立っていた一護に助け舟を出すかのような雨竜の言葉が聞こえてきて、一護は返事をしながら言われた通りに腰を下ろした。
 編み物をしていたのだろう、一護の前にあるテーブルには編みかけのマフラーがある。ほとんど既製品に近いそれは、恐らく完成間近なのだろう。
 黒い毛糸で編まれたマフラー。あまり黒を身につけない雨竜が使うとは思えない。誰かに、あげるのだろうか。
「……どうかした?」
 自分の分と一護の分のコーヒーをテーブルに置きながら、雨竜は怪訝そうに一護を見る。
「え、いや、別に」
 一護は雨竜に顔を覗きこまれて、思わず誤魔化すように言葉を濁してしまった。
 雨竜が手編みのマフラーを誰にあげようと、自分には関係ない。それなのに、気にしてしまった自分が、どうしようもなく嫌だった。
 けれど雨竜は何も気づかなかったらしく、一護の視線を辿り納得したように頷く。
「似合わないって、思ってるんだろう?」
「いや、そういうんじゃねえけど」
「……あげたい人がいるんだ」
 自嘲の響きが含まれた言葉を咄嗟に否定した一護に、雨竜は一護が聞いたことのないような響きでそう言った。
 自嘲とも、諦めとも違う、その響き。どこか哀しいような、縋りつくような音にも聞こえた。
 その言葉に心臓を鷲掴みにされた気持ちになって、一護はなんとか口を開く。
「あげれば、いいじゃねえか」
 雨竜はマフラーから一護に視線を戻して、小さく口元だけで笑った。その笑みがあまりに寂しそうで、一護は彼の顔から視線を外せなくなる。
「うん。でも、多分受け取ってくれないから」
 雨竜が、苦しいほどに報われない恋をしているということに、一護は初めて気が付いた。





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