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Don't forgive



 ――死ぬなら、暖かいところがいいな。
 いつだったか夕日に染まる教室でそう言った石田の静かな笑顔を、俺は不意に思い出す。
 あの時の俺は、その笑顔があまりに儚くて、綺麗で、今にも消えてしまいそうだったから、何も言えなかった。何も、言ってやれなかった。
 あいつは笑いながら、泣き出す直前のような表情をしていたというのに。



「石田君!」
 井上の、悲鳴にも似た高い声が辺りに響き渡る。その声に振り向くと、俺の目には真っ白な衣装を赤い血で染めた石田が映り込んだ。俺は咄嗟に石田を襲っていた虚に斬月を向け、その虚がどうなったのかを確かめることすらしないまま、石田と石田を素早く治療し始めた井上に駆け寄る。
 日を浴びたことがないのではないのかと思うくらいに真っ白な顔は、血を失っているからなのか、白を通り越して青くなっていた。閉じられた瞼は震えることすらしないで、俺はもう二度とこいつが目覚めないのではないのかと錯覚してしまう。
 思わず震えそうになる手を、ぎゅっと握りしめた。
「大丈夫、石田君は私が治すよ」
 底知れない恐怖を感じた俺に気が付いたのかもしれない。井上はそう言って、俺を安心させるためにだろう、少々引き攣ってはいたがいつものように明るい笑みを浮かべた。
 そんな井上を見て、俺は情けなくなる。
 いつだって俺は、石田に何もしてやれない。今も、あの時も。
 本当は、わかっていたんだ。俺はあのとき、どうすればよかったのか。石田が何を望んでいたのか。
 きっとこいつはただ、手を握って欲しかっただけなんだ。抱きしめて欲しかっただけなんだ。そうしておまえは独りではないと、言われたかっただけなんだ。
 それなのに俺は、今にも消えてしまいそうな石田が怖くて、何もせずに逃げ出した。いつだってこいつは逃げ出さずに俺を救ってくれたというのに、俺はそんな石田から逃げ出したんだ。
 石田は泣きそうな笑顔で、独りは嫌だと、独りで死ぬのは嫌なのだと、懸命に訴えていたのに。
 俺は石田の傍に膝を付いて、その細い手をそっと握った。あまりに細くて今にも折れてしまいそうだから、俺は不意に泣きたくなってくる。
 石田がいつも、こんなに細い手でみんなを守ろうとしていたことに、俺は今更気が付いた。
 馬鹿だな、おまえ。こんなに頼りない手でたくさんの人を護っていたら、自分が欲しいものなんて何も掴めないだろうに。自分を護ることすら、できないだろうに。
 なあ、石田。こんなところで死ぬなよ。こんな暗くて冷たいところなんかで、死ぬんじゃねえよ。
 おまえが望むなら、俺がなんだって叶えてやるから。
 暖かいところで死にたいっていうなら、一年中暑い国に連れて行ってやる。独りが嫌だっていうなら、俺がずっと、一生だって傍にいてやる。だから、こんなところで死ぬなよ。
「くろ、さき……」
 石田の弱々しい声が聞こえてきたのは、俺が石田の手を握る手に力を籠めた時だった。
「石田!」
「石田君!」
 思わず俺らが叫ぶと、石田は腕だって動かせないというのに、青白い顔に薄く笑みを浮かべて見せる。
「ごめん……、井上、さん」
「謝らないでよ!私が必ず治してあげるから、だから、早く元気になってね」
 井上は石田が意識を取り戻して安心したのか、薄らと涙の浮かぶ瞳で、それでも気丈に笑って見せた。そんな井上に、石田は何も言わずもう一度だけ薄く笑って、今度は瞳だけで俺を見る。
「……今」
 掠れた声が聞き取りにくくて、俺は石田に顔を近づけた。どんな言葉でも、どんな願いでも、石田が何かを言うのなら、俺は今度こそちゃんと聞いてやりたい。
「今、死ねたら、幸せだな」
 石田はやはり掠れた声でそう言うと、あの日のように、儚くて綺麗で今にも消えてしまいそうな笑みを浮かべた。
 同時に、石田の手を握っている俺の手が、ほんの僅かに握り返される。
 やっぱり、おまえは馬鹿だな。
 俺はさっきと同じように泣きたくなりながら、そう思った。
 こんなところ、全然暖かくねえだろ。ただ、俺が手を握っているだけだろ。おまえから逃げ出すような、卑怯で最低な奴が手を握っているくらいで、そんなこと言うなよ。そんな嬉しそうな顔するなよ。
 おまえは、もっとたくさんのことを望んでいいんだから。もっとたくさん、幸せになっていいんだから。
「……おまえ、が。おまえが望むなら、どんな願いだろうといくらでも叶えてやる。だから、だからそんなこと言うんじゃねえよ!」
 俺の言葉に石田は一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから何も言わずにゆっくりと目を閉じた。
 目を閉じたその顔が幸せそうに微笑んでいたから、俺はまた、泣きたくなる。
「ここで死んだら、俺は絶対、一生だって許さないからな!」
 だから、石田。生きて、最低な俺の傍に、これからもいてくれよ。



「石田、起きてるか」
 俺が石田の住んでいるアパートの一室に死神姿で入り込むと、その部屋の住人は丁度風呂から上がった直後らしく、濡れた髪を拭いているところだった。風呂上がりだからなのかほんのりと白い頬が赤く染まっており、眼鏡もかけていない。
 多分霊圧で俺が来ることに気付いていたのであろう石田は、それでも不機嫌そうに眉を顰めた。
「なんで君は毎日僕のところに来るんだ。怪我ならもう治ったと言っただろう」
 そんな風に不機嫌そうな顔をするよりもまず、その無防備な姿をどうにかしろという俺の想いが通じたのか、石田はテーブルの上に置いてあった眼鏡をかけて、不機嫌そうな表情のまま俺を睨んだ。
 確かに今こいつが言ったように、石田の怪我はとっくに治っている。井上のおかげで、跡すら残っていない。それどころか、あのとき自分が言ったことすら忘れているようだった。
 まあ、あれだけ意識が朦朧としていたのなら、忘れてしまうのも当然なのかもしれない。
 でも俺は、覚えているんだ。あのときこいつが言ったことも。こいつが浮かべた表情も。
 だから、俺は。
「言っただろ、俺はできるだけおまえの傍にいるって」
 石田は相変わらず意味がわからないというように顔を顰めているけれど、俺は知っている。
 不機嫌そうにそっぽを向き、髪で隠したその顔に、あのとき以上に幸せそうな微笑みが浮かんでいるということを。



end

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あきゅろす。
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