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カラフル



 彼はいつも、気が遠くなるほど真っ白な部屋にいた。そこは壁も、床も、ベッドも、何もかもが白い。彼の髪と瞳を除けば白以外に何一つないのではないのかと、疑いたくなるほどに。
 その部屋を、長時間居ると常人ならば気が狂いそうになる部屋、と称したのは、恋次である。
 そこにいる本人は白が好きだからこれでいいと言うのだが、その度に恋次はせめて窓だけでもあればいいのにと思っていた。そうしたら、朝日の金も、空の青も、夕焼けの橙も、闇夜の黒だって見ることができるのに。
 けれど現実は、どんなに恋次がそう願ったところで、何も変わらなかった。恋次は未だに彼をこの部屋から連れ出せたことはないし、出たいと思わせることもできない。
 言葉にできないもどかしさに押しつぶされそうになりつつも、恋次は白い世界に続く扉をゆっくりと開けた。
「よお、元気だったか」
 すぐに扉を閉めていつも通りに声をかけると、彼もいつも通りに困ったような笑みを小さく口元に浮かべて恋次を見る。それが癖のようなものだということを、一年以上もの間ここに通い詰めた恋次にはわかっていた。
「今日は呼び出してごめんね」
「いや、気にするなよ。どうせ暇なんだし」
 内心でどうして呼び出されたのかを疑問に思いつつ、恋次は小さく笑い返す。
 恋次が笑みを向けた、とある病院の一室で静かに笑う石田雨竜という人間は、けれど病人というわけではなかった。だからといって体が弱いわけでもないし、厄介なウィルスを持っているというわけでもない。ただ、彼は普通に生活することができないのだ。彼が持つ、特異とも呼べる能力のせいで。
「ああ、実は朽木さんに今日が君の誕生日だって聞いて」
 恋次は生まれた疑問を決して声に出していない。だが、雨竜はまるで恋次の心の声が聞こえていたかのように、会話をする。いや、聞こえていたかのように、ではない。確かに聞こえていたのだ。
 恋次はもう慣れてしまったが、雨竜は人の心を読める能力を持っている。だからこそ、父親が病院の院長ということもあり、完全防音となっている病院の一室にいるのだ。
 そして雨竜も他人の声を聞くのが嫌だからであろうか、それに反発することもなく、小さい頃からこの部屋で過ごしている。
 それが、恋次には時々もどかしかった。
 一歩この部屋から出れば、たくさんの色を見ることができるのに。もっと広い世界を見ることができるのに。
 恋次は少しだけ恨めしげにそんなことを思ったが、雨竜は聞かないふりをすることにしたらしい。何を言うこともなく、座っていた白いソファから立ち上がった。そうして、恋次の見ている前で、備え付けてあったやはり白い冷蔵庫を開けると、両手で持てるくらいの箱を取り出す。
 それが何かなんて聞くほど、恋次は自分のことを察しが悪いとは思っていない。けれど、雨竜の言葉で自分の誕生日を思い出した恋次は、立ったまま雨竜を見つめて、どうして、と呟くことしかできなかった。
 雨竜が恋次の誕生日を覚えていたことにも驚いたが、いつもは歓迎されているのかわからないような態度をとっていた雨竜が自分の誕生日を祝ってくれるということに、恋次は思わず野暮なことを口にしてしまうくらい驚いたのだ。
「あ、やっぱり忘れてたんだ」
 そんな恋次の様子に、雨竜はこちらを見ることもなく楽しそうに笑う。
「誕生日おめでとう」
「ああ、ありがとう」
 恋次は驚きつつも雨竜が作ったケーキが入っているだろう箱を受け取り、上辺だけではない笑顔を顔一面に浮かべた。



 始まりは、幼馴染である朽木ルキアの頼みからだった。
 普段とは違う殊勝な態度で話を切り出されたから、何を言われるのかとその時恋次は訝しく思ったが、聞けばある知り合いに会って欲しいということらしい。
 その話を聞いたとき、恋次は少なからず、何故自分にそんなことを頼むのか、どうして自分が見ず知らずの人間にわざわざ会わなければいけないのか、疑問に思うと同時に不満に思った。
 けれど、ルキアを問いただしてみると、その知り合いとやらは人の心を読んでしまう能力を持っていて、ある病院の一室で生活をしているらしいのだ。だから、いつも一人でいる彼の友達になって欲しい。それがルキアの狙いだった。
 もちろん恋次は、初めその話を信じなかった。ルキアが自分をからかうために嘘を吐いているのかもしれないとすら思った。だが、ルキアがそんな嘘を吐くはずがないということも長い付き合いでわかっている。
 結局、ルキアの知り合いに会うことを了承してしまったのは、本当に人の心を読める人間がいるのかどうか気になったからの一言に尽きるだろう。決して、特異な能力を持っている故にあまり人と接触したがらない彼の心を開いてやろうだとか、自分が彼の友人になって外の世界を見せてあげようだとか、そんな気持ちがあったからではない。本当に、興味本位だったのだ。
 実際に会ってみると、ルキアの知り合いである石田雨竜は、非常にいけすかない男であった。気違い染みた真っ白い部屋に引き籠っている変人。それが第一印象であったのだから無理もないだろう。それでなくとも雨竜はとっつきにくく、ルキアがいなかったら会話すら続かなかったかもしれない。
 確かに雨竜は人の心が読めるようであったが、自分の心を読まれているというのはどうにも居心地が悪く、もう二度と会いたくないと思いながら雨竜とは別れた。思った一瞬、傷付けてしまったかと焦り、ちらりと顔色を窺ったが、雨竜の表情は一切変わっていなかった。
 だから恋次は思ってしまったのだ。人にどう思われていても関係ない、強い奴なのだと。こんな真っ白い部屋に閉じこもることでしか自分を守れないほど弱い人間だと、本当は気付いていたはずなのに。
 それからは、ルキアに引っ張られて何度か彼に会いに行った。けれどそれはルキアのためであり、決して雨竜に会いたかったからではない。
 そんな恋次の気持ちを知っているはずなのに、雨竜は歓迎こそしなかったが拒絶もしなかった。
 あいつは、人の心は読めるけど理解することはできないんだな。
 ルキアが思いがけないことを言ったのは、彼女と一緒に雨竜と面会した後に、恋次がそんなことを思ったときだった。
「石田は、恋次が自分を強い奴だと思ったことが、余程嬉しかったらしい」
「は?」
 本当に、ルキアの言葉は恋次にとって驚天動地と言う他ないものだった。そもそもそんな風に思ったことすら、恋次はルキアに言われるまで忘れていたのだ。
「石田は何も望まない奴だった。でも、おまえにだけはまた会いたいって、そう言ったんだ。だから、これからも仲良くしてほしい」
 ルキアに真っ直ぐな瞳で見られて、恋次は表面上は曖昧に頷いたが、内心では叫んでしまいたい気分だった。
 だって自分はあの時、こう思っていたのだ。
 人にどう思われていても関係ない、強い奴。人にどう思われていても関係ない、――無神経な奴、と。
 そしてその後も、決して友好的な思いで会っていたわけではなかった。ルキアのためなんて、最低な理由でしか会いにいっていなかった。
 馬鹿だと、恋次は心の中で呟く。雨竜のことではない。自分のことだ。
 雨竜が無神経だなんて、どうしてそんなことを思えていたのだろう。
 きっと雨竜は、ずっと傷付かないふりをしていたのだ。ずっと何も聞こえないふりをしていたのだ。恋次が嫌な気持ちにならないように。恋次が少しでも居心地の悪い思いをしなくてもいいように。
 今なら、そのことを簡単に想像できた。まるでそれが当たり前であるかのように。今まで気付かなかった自分が嘘のように。
 だって石田雨竜という人間は、自分のあんな言葉さえも大事にできる、とても優しい人間なのだから。



 恋次が、受け取った箱を開けると、そこには白い生クリームの上に赤い苺がふんだんにのせられたホールケーキがあった。
「相変わらずおまえが作ったものは美味そうだな」
 恋次は素直にそう言って、ソファの前にある白いテーブルにケーキを箱ごと置く。
 雨竜が恋次に料理を作るのは珍しいことではなかった。この病院の院長である雨竜の父親は、雨竜が少しでも快適に過ごせるようにと、この部屋に色々なものを備え付けたのだ。それは冷蔵庫やソファ、テーブルなどに止まらず、キッチンや本棚、果ては洗濯機などというものもある。
 それは確かに人と会うことを厭う雨竜にはありがたいかもしれないが、その過保護な態度が余計に雨竜の引きこもりを助長させるのではないのかと、恋次はいつも思っている。
 けれど、その過保護な態度により備え付けられたキッチンでケーキを作ってもらえたのだから、今後はそのことに関して何も言えないかもしれないと、恋次は内心で少しだけ苦笑いを浮かべた。
「ありがとうな」
 皿やナイフを用意している雨竜の背中に、恋次はもう一度だけお礼の言葉を投げかける。
「こんなことくらいしか、できないから」
 お礼の言葉を受け取った雨竜は、そう言ってやっぱり困ったように小さく笑うだけだった。
 彼は、恋次がここに来ることを申し訳なく思っているのだ。自分なんかに会うために時間を割かせるのを嬉しいと思う反面、罪悪感があるらしい。だからこそ、恋次が雨竜に会いに来る度、困ったような顔で笑うのだ。
 けれど、そんな風に思う雨竜は、嫌いではない。いや、むしろそうやって人を思いやれる雨竜の心が好きだ。雨竜が、好きだ。
 恋次はそう考えて、ふっと小さく微笑んだ。
 ずっと隠してきたことを、今、さらけ出してもいいかもしれない。
(――石田が、好きだ。簡単におまえを傷付ける最低な人間だけど、おまえが傷付いていることにすら気付けない無神経な人間だけど、それでもおまえが好きだ)
 恋次がいくら思っても、後ろを向いたままの雨竜は、何も言わなかった。聞こえていないはずがないのに、なんの反応もない。
 雨竜の蚊の鳴くような声が聞こえてきたのは、やっぱりこんな自分では駄目なのだろうかと諦めかけた瞬間だった。
「……僕は、君に好きになってもらえるような人間じゃないと思うけど」
「それでも、おまえが好きなんだ」
 恋次が思わず声に出してそう言ってもやっぱり雨竜は何も言わなかった。けれど、長めの髪からちらりとのぞく真っ白な耳がほんのりと桃色に染まっていることに、恋次は気付いてしまう。
 思わず、頬が緩んだ。
「好きだ」
 もう一度、恋次は繰り返す。雨竜の声が聞こえてきたのは、それからしばらく経ってからだった。
「……僕も、君が好きだよ。多分、君が僕を好きになる、ずっと前から」
 雨竜は後ろを向いていたから、恋次からは彼の顔が見えなかったけれど、それでも雨竜が笑ったのはわかった。そしてそれが、いつもの困ったような笑みではなくて、幸せによるものであるということも。
 いつか、彼をこの真っ白い部屋から連れ出せたら、二人で朝焼けを見に行こう。
 恋次は、不意にそう思った。
 きっと、その景色を彼は気に入るはずだ。
 だってそれは、自分の髪の色と同じ色をしているのだから。



end

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あきゅろす。
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