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マーガレットの花束を



 待ち合わせの時間よりも少し遅れてその場所へ行くと、懐かしい姿がコーヒーカップを傾けていた。一護が来たことは霊圧でわかっているのだろう、彼はこちらを見ることもなく涼しい顔で手にしていたカップをテーブルに置く。
 そんな彼を見て、そういえばと一護は不意に思い出した。
 以前にも、ここで彼と待ち合わせをしたことがある。その時は自分が呼び出したのだけれど、今日は彼の方からだ。昔話をしようなんて誘う奴ではないから何かあったのだろうかと心配したけれど、顔を見る限りそんなことはなさそうだと一護は密かに安堵する。それを悟られないように、一護は雨竜の前に座った。
「遅くなって悪いな」
 とりあえず謝罪の言葉を述べて、近付いてきた店員にコーヒーを注文すると、雨竜は無表情のまま別に、と小さく呟いた。
「呼び出したのは、僕だから」
 何故だか緊張した面持ちの雨竜に内心で首を傾けながら、一護は運ばれてきたコーヒーを受け取った。相変わらず白い肌は、少し青ざめているように見える。さっきまで外を歩いていた一護にとってはちょうどいい温度だが、もしかしたらクーラーが利きすぎているのかもしれない。やっぱりもう少し急いで来ればよかったと一護が思った瞬間に、雨竜はゆっくりと口を開いた。
 薄い唇から、躊躇うように言葉が吐き出される。
「本当は、ずっと言わないでおこうと思っていたんだ。もしこれを聞いてしまったら、君は嫌な思いをするかもしれないし、今まで通りではいられないと思っていたから」
 雨竜はそこで逡巡するように瞳を伏せた。何を言うつもりなのか全く見当がつかない一護には、困ってただ雨竜を見ることしかできない。けれど一護が何かを言う前に、どこか決然とした雨竜の視線と一護のそれが確かに交差した。
 思わず、息を呑んでしまう。それほどまでに、強い瞳だった。
「……ずっと、君のことが好きだった」
 それは、怖くなるほどに真っ直ぐな言葉だ。余計なものも、装飾も、そこには一切存在しない。
 その言葉に、困惑しなかったと言ったら嘘になる。怯みそうにならなかったと言ったら嘘になる。
 けれど、それ以上に心のどこかで納得してしまったのだろう、一護は自分でも驚くほどすんなりとそれを受け止めることができた。
 たとえば、ずっと引っかかっていた小石がようやく取れたように。
「……そっか」
「うん」
 無意識に呟いた言葉に対して、雨竜は律儀に頷く。その様子は出会った頃から大人びていた彼にしては幼いもので、一護はふっと小さく笑みを漏らした。
 自分を好きだったと言った目の前の人物は、もう虚勢を張らなくてもいい場所を見つけたのだろう。こんな風に、たとえそこにいなくても本来の自分を出せるような、そんな居場所を。
 そして、親友として少し寂しいことだけど、その場所が自分ではないこともわかっている。
「ありがとう」
 言おうと思っていなかった言葉は、存外すらりと口から滑り落ちた。けれど、声に出して初めて、一護はこの言葉をずっと雨竜に伝えたかったのだと気が付く。
 驚きに目を見開いた雨竜を見て、一護はもう一度笑って見せた。
 雨竜はきっと、本当に自分を好きでいてくれたのだろう。
 たとえば、自分が己の無力さに膝を折った時も、力を暴走させ彼を傷付けてしまった時も、情けない姿を晒した時も。
 たとえば、自分が恋愛になんて興味がなかった時も、織姫が好きなのかと無神経に聞いた時も、彼の気持ちなんて一切考えないで結婚式に招待した時も。
 彼の想いを一切知らずに過ごしてきたこの数年間、雨竜はずっと自分だけを好きでいてくれたのだ。
 それはもしかしたら、一護が織姫を好きな気持ちよりも、織姫が一護を好きな気持ちよりも、大きかったのかもしれない。
 それでも、雨竜は二人の幸せを祝福してくれた。
 ありがとう、ともう一度呟くと、雨竜は今度こそ耐えられないというように漆黒の瞳を伏せ、静かに透明な雫を零した。その泣き方が雨竜に似合っているだなんて場違いなことを考えてしまうのは、彼が嗚咽もしゃくり上げることもなく、本当に静かに泣くからだ。
 綺麗だと、一護は素直にそう思った。それは静かに泣く雨竜のことだったかもしれないし、雨竜が流す涙のことだったかもしれない。たとえどっちだったとしても、結局一護にはわからないままだ。
 そのままの状態で、少しだけ時間が経った。運ばれてきたコーヒーが冷めないくらいの、ほんの僅かな時間。
 雨竜は涙を拭い、顔を上げて小さく笑った。
「……こっちこそ、ありがとう」
 その笑顔に、一護はつられるようにして口元だけで笑う。そうしながら、雨竜に愛された人物はさぞかし幸せだろうと、一護は漠然と思った。
 こんな風に誰かの幸せを願えるような愛し方ができる人に愛されたのなら、幸せでないはずがないだろう。
 雨竜の携帯電話が鳴ったのは、一護が雨竜の愛した人はどんな人なのか聞こうとした瞬間だった。どうやらそれはメールを受信したことを知らせるものだったようで、雨竜は一瞬だけ携帯電話の画面に目をやる。それからすぐに、申し訳なさそうな瞳で一護を見た。
「ごめん。これからちょっと用事ができたみたいなんだ」
 申し訳なさそうな瞳の中に幸せそうな色が滲んでいることを敏感に読み取り、メールの相手は雨竜の愛した人なのだろうと一護は確信する。それならば、もう引きとめる理由なんてないだろう。
「ああ、俺のことは気にしないで行ってやれよ」
 一護がそう言ってやると、雨竜は安心したよう小さく微笑む。
「僕が呼び出したのにごめんね。それじゃあまた」
 一護が小さく手を振ると、雨竜は最後にもう一度だけ笑い、一護の分の伝票まで手に取ってこの場を去って行った。
 優しい奴だと、一護は改めて思う。だからこそ、誰よりも幸せになってほしい。
 そんなことを考えながら窓の外に視線をやった一護の目に、あるものが映った。
 思わず、頬が緩んでしまう。いつものように眉間に皺を寄せようと思っても、うまくできない。けれど、それでもいいと思ってしまうくらいに、一護は今、幸せな気分だった。
 雨竜はきっと、赤い髪の死神の隣で誰よりも幸せになるだろう。
 雨竜と恋次の幸せそうな笑顔を眺めながら、一護は自分でもよくわからないほど強く、そう確信した。



end

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